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平成27年度入学式学長告辞

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2015年4月15日更新

平成27年度入学式「学長告辞」

                                                           学長
                                                           赤井 益久

 各学部・専攻科・別科の新入生の皆さん、ご入学誠におめでとうございます。また、ご父母の皆様にも心よりお祝いを申し上げ、大学を代表して歓迎いたします。

 はじめに、詩人高村光太郎の詩「道程」を紹介します。

  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  ああ、自然よ
  父よ
  僕を一人立ちにさせた広大な父よ
  僕から目を離さないで守る事をせよ
  常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のため
  この遠い道程のため

 教科書にも載っているこの詩を皆さんは読んだことがあると思います。アメリカとヨーロッパ留学から帰国した高村光太郎が、すさんだ心を大自然に抱かれることによって癒され、その息吹に感じて再び人生を肯定的に生きていこうと決心した表明であると言われています。もとは120行もある詩でしたが、最後の9行が現在の「道程」です。
 「道程」を理解するには、元の詩が注釈になると考えられています。それには次のようにあります。一部引用してみます。

 「どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない。僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る。道は僕のふみしだいて来た足あとだ。だから、道の最端にいつでも僕は立つてゐる。何といふ曲りくねり、迷ひまよつた道だらう。自堕落に消え滅びかけたあの道、絶望に閉ぢ込められかけたあの道、幼い苦悩にもみつぶれたあの道。ふり返つてみると、自分の道は戦慄に値ひする。四離滅裂な、又むざんな此の光景を見て、誰がこれを、生命(いのち)の道と信ずるだらう。それだのに、やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた。そして僕は此処まで来てしまつた。」というものであります。

 「そしてその気魄が宇宙に充ちみちた。驚いてゐる僕の魂は、いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた。僕は武者ぶるひをした。」というように続きます。青春時代の思い悩む心、たちもとおる歩み、その思いを率直に歌い上げています。しかし、自分の歩む方向を見出してからは、前を向き、一歩一歩と力強く歩み始めます。

 今日より皆さんは國學院大學の学生として新たな道を歩まれることになります。これから皆さんが歩いていく道は、今まで歩んできた道の続きでもありますが、さらに大きく未来へと広がる可能性をもつ道でもあります。同時に、きっとさまざまな分岐点もあるはずです。また、平坦な道ばかりではありません。そのたびに、ご自身がよく考えて自ら選択しなければならない場合もあるでしょう。一人の力では上りきれない坂もあるかもしれません。

 しかし、この道は、皆さんが目指す目的地まで、皆さんを運んでくれる道であると信じています。入学を機に、これまで歩んできた道を振り返るとともに、これから一歩踏み出すに際して、先ず心に刻んでいただきたいことを申しあげたいと存じます。

 はじめに、皆さんは、ご自身が入学される國學院大學について知る必要があります。それは、これから皆さんが学ぶ場所がどのようなところか、いかなる歴史を有し、どのような特色があるのか。これから新たな旅たちをする皆さんの拠って立つ基盤をしつかりと認識することが、出発の第一歩としてはきわめて大事です。なぜならば、今後の四年間の学生生活を左右することになるからです。自己を正しく認識し、説明できない人間は、他者を正しく認識し、理解することができないからです。自己を知り、他者に学ぶ必要があります。

 明治維新後の近代化を急いだ曰本は、西欧列強に負けまいと法律や政治制度をはじめとして、その文物の取り込みに懸命になり、西欧の文明に追いつこうとしました。いわゆる「欧化」一色になったといってよいでしょう。

 こうした欧化一辺倒にあって、わが国固有の文化や伝統を大切にし、重視しようとする動きも一方ではありましたが、「欧化」の勢いを止めることはできませんでした。このような状況下で、朝野の一部の有識者に、日本の古典を研究教育して、国家の在りようを明確にし、徳性を養うことで国民精神の覚醒を促すべきであるとの機運が高まりました。それを具体化した1つが、明治15年に設立された、國舉院大學の母体である皇典講究所であります。「皇典」とは、皇国の典籍、日本の古典という意味です。
 
 皇典講究所設立の際に、初代総裁である有栖川宮幟仁親王は、「告諭」において、「凡ソ学問ノ道ハ 本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ 故ニ国体ヲ講明シテ 以テ立国ノ基礎ヲ鞏ク シ 徳性ヲ涵養シテ以テ人生ノ本分ヲ尽スハ 百世易フべカラザル典則ナリ」と生徒•職員に宣言しておられます。

 日本人の拠って立つ基盤、存在意義を、まず確立すべきであるとしています。國學院大學は、この「告諭」を建学の精神として位置づけ、「日本の国柄を明らかにして、その拠って立つ基盤を強固にし、徳性を養って、それぞれが持って生まれた本分を尽くすことが、人生を生きる上での変わることのない規範である」と理解しています。
 
 この「告諭」に言う「国体の講明」とは、曰本の国の特色ないしは日本らしさ、日本を日本たらしめている本質的なもの、人に人柄があり、土地に土地柄があるように、国にとっての国柄とも理解できます。したがって、日本文化の内実を探求し、それを充実させることによって日本の基盤を固めるというように理解できます。

 つぎに「徳性を涵養して以て人生の本分を尽くす」とは、道徳を磨き、養うこと、徳とは、正しさや善きことを志向し、邪悪を退ける精神、つまりは道徳精神とも言えるものです。学問を通して徐々にこれを養い、磨き上げてゆき、自らの人生をいかに生き、何をなすべきかを決断し、その目標に向かって努力を重ねてゆくことと理解できます。

 これを現代的に解釈すれば、専門の学問を創造的に学びながら、日本の特性や文化を学び研究し、それを内外に説明し、発信できるように努力をすること。また、自らの個性や特性を活かし、道徳意識を向上させ、人生の目標を定め、それに向かって邁進すること、というように考えられます。

 また、國學院大學は、人材育成について、「神道精神」に基づくことを標榜しています。ふるく神道は宗教という枠に収まらない生活規範や習俗、伝統文化などと不可分の関係にあり、その許容性や排他的でない寛容性から、現在では「日本人としての主体性を保持した寛容性と謙虚さ」と理解しています。

 古典の中には、「明(あか)き清(きよ)き直(なお)き誠(まこと)の心」「明(あか)き清き正しき心」と言われております。つまり、明るく清純で、素直にして誠実な心の意味であると理解できます。ロで言うのは簡単ですが、これを実践することは容易ではありません。なぜならば、道徳は短時間で身につくものではないからです。しかし、そのような人間になりたいという志を持ち、そのように行動することができれば、けっして難しいことではありません。

 また、神社や神道といってすぐに思い浮かべるのは、多分鎮守の森やお祭りではないでしょうか。神道は「祭りの宗教」といわれるほど祭りが重要です。祭りは神様への奉仕であり、地域共同体の平安と福祉のために自らが率先して協働することが求められます。これらを分かりやすく言い換えれば、國學院大學の人材育成の目標は、「明るく清く誠実」で、「寛容性と謙虚さ」を有し、日本人の主体性や誇りを持って「共同体への奉仕」ができる人間であるといえます。

 皆さんが新たな「学びの道」を歩まれるに際して、もう1篇文学作品を龆介いたしましょう。中国近代文学の生みの親である文豪魯迅の小説「故郷」の最後にある一句です。

 20年ぶりに故郷に戻った主人公は、幼なじみの閏土(ルントウ)と大人になって再会します。超えがたい2人の境遇、何物にも代え難い子ども時代の貴重な思い出、そのあまりの格差や錯綜する思いに「希望」とは何かを考えます。いま、藤井(ふじい)省三(しょうぞう)氏の訳で、引用しましょう。

 ――「ぼんやりとしている僕の目の前では、一面に海辺の深緑の砂地(すなち)が広がり、頭上の深い藍(あい)色(いろ)の大空には金色(こんじき)の満月がかかっている。僕は考えた―希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、じつは地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。」――

 そう、皆さんの前に道はありません、「歩いたところに道はできる」。前途を恐れることはありません、きっと多くの可能性に満ちた道が広がるはずです。独自の道を歩め、自分の人生を切り開け、自分の人生は自分にしか生きられません。努力次第で誰でも到達できる「道」ということになります。学問を学ぶことを通して、道徳を磨き、友人と切磋琢磨して、有意義な学生時代を送って欲しいと願っています。
 皆さんが「まなびの道」を着実に歩まれ、大いなる成果が上がることを期待して、学長告辞と致します。

                                                                   以上

                             (平成27年4月2日 グランドプリンスホテル新高輪「飛天」にて挙行) 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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