2022年4月1日更新
國學院大學の起源は明治15年(1882年)に創立された「皇典講究所」です。当時は明治維新を契機に押し寄せた欧化の波と日本文化がせめぎあう激動の時代。そうしたなかで「国家の発展は西洋の模倣ではなく、自国の歴史や民族性に基づくものであるべき」といった主張がうまれ、皇典講究所が誕生しました。
以来、「正しい自己認識なくしてグローバル化は成立しない」という思いのもと、日本語の規範、人文・社会科学のスタンダートを提供する覚悟で日本の本質を追求しつづけています。
國學院大學が大切にするこの考え方は、100年後の将来でも通用するものだと信じています。これまでに約14万人の卒業生と1万人を超える教育者を社会に送り出してきました。そしてこれからも「今」を積み重ねて、社会に貢献し続けていきます。
國學院大學の母体「皇典講究所」創立。初代総裁は有栖川宮幟仁(たかひと)親王、場所は東京・麹町区飯田町(現・千代田区飯田橋)。9月1日、授業開始。11月4日、開校式。ここに本学は晴れの第一歩を記す。
7月、「皇典講究所」を母体として、国史・国文・国法を攻究する教育機関「國學院」が誕生(本科3年・研究科2年)。「國學院」の名前が歴史上に初めて登場する。
6月、文部省告示により「私立國學院大學」と改称、大学組織となる。
4月15日、大学令により大学に昇格。同年、私立大学として最初に認可されたのは、本学の他に、慶應義塾・早稲田・明治・中央・日本・法政・同志社の7大学。
学生数も増え、大規模な学園拡充計画を5年前から進め、5月には渋谷御料地(現在地)に新校舎が完成。6月、授業を開始。9月、関東大震災に被災するも、翌13年に復旧するとともに、校歌・校旗を定める。以後、昭和10年代にかけて本学は発展の一途をたどる。
財団法人を廃し「学校法人國學院大學」となる。政経学部第二部を開設。大学院日本文学専攻・神道学専攻修士課程を開設。
文学部第一部に日本文学科・中国文学科・外国語文化学科、経済学部第一部に経済ネットワーキング学科、同第二部に産業消費情報学科を開設。
4月、たまプラーザキャンパスに人間開発学部を開設。「教育開発推進機構」が発足。「國學院短期大学」を「國學院大學北海道短期大学部」に改称。9月、3号館が竣功。
4月、たまプラーザキャンパスに最新の設備機器が取り揃った体育施設が完成。
このページに対するお問い合せ先: 総合企画部入学課
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