教授

千々和 到

チヂワ イタル

専門分野
日本中世史
本学就任
1993年04月01日
担当教科
史学展開演習(日本史)、史学展開演習2(日本史)、史学応用演習(日本史)、卒業論文、卒業論文(1次題目)、前期課程・日本中世史研究1(演習)、前期課程・宗教史料学研究(演習)、後期課程・日本中世史特殊研究1(演習)、後期課程・宗教史料学特殊研究(演習)

著書・論文紹介

本書は2014年2月2日に埼玉県嵐山町で開催されたシンポジウムのための資料集である。シンポジウムでは、小川町で発見された武蔵型板碑の石材切り出し場の確認、調査をふまえて、板碑の作製等を中心に広範な問題が議論された。千々和は、板碑にこめられた祈りの内容について論じた。

中世の関東地方で5万基も作られたとされる武蔵型板碑の製作のための青石(緑泥石片岩)石材の切り出しと一次加工の場所が、はじめて特定された。それは埼玉県小川町の下里、割谷の地区で、雑木林の広い範囲に、削り落とされたズリと呼ばれる削りクズが深く堆積していることが確認され、その調査にあたった人たちがまとめたのがこの調査報告書である。この遺跡の調査指導委員長だった千々和は、まず関東の板碑文化の中でのこの遺跡確認の意義について、考察を記すとともに、全体の調整にあたった。

オックスフォード大学ピットリヴァーズ博物館には、明治時代に日本に在住したB・H・チェンバレンが収集した「おふだ」が大量に残されている。その調査から得た知見をまとめたものだが、とくに明治時代の神社のおふだに多く見られる神代文字のおふだについて、検討を行った。

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教授からのメッセージ

ゼミについて
 私は鎌倉時代史と、中世文化史を専門としています。だから私の学部のゼミでは『吾妻鏡』を、大学院のゼミでは『東寺文書』 や『東大寺文書』などを史料に使うことが多いです。大学での授業のほか、夏休みや春休みには、フィールドワークや合宿をしています。そういうときには、できるだけナマの史料に触れたり、院生も学部生も、学年を越えて一緒に議論したり、調査したりするようにして、自分なりの研究方法を見つけられるように努力しています。
 そして私のゼミ生の卒業論文のテーマですが、鎌倉・南北朝時代の政治・社会史と、私の研究テーマに近い、中世の民衆生活史・文化史・仏教史や史料論とが、ほぼ半々です。文化史などでは、前期だけでなく、中世後期を主として研究しよう、というゼミ生もいます。
 また、来年度の「日本史演習2)」でも、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』をテキストにして、鎌倉時代の政治と文化を中心に考えていく予定です が、ゼミ生の希望に応じて、室町・戦国時代の史料も見たいと考えています。

受験生や学生に一言
 今、なぜ歴史を研究しているのか、と問われれば、地べたをはうように生きてきた日本の民衆が、何を考えながら生きていたのかを知りたいから、と答えると思います。でもはじめからそうかと聞かれれば、そうじゃない。子供の頃、歴史のマンガや東映のチャンバラ映画が大好きでよく見ました。そこから「昔」が好きになった。そんなことがきっかけだったように思います。きっかけは、何でもいいのじゃないですか。以前ある学生が演習のときに、史料を読むとき言葉の意味を教えないで学生に調べさせるのは反則で、教えるのは教員の給料のうちだと冗談半分に文句を言いました。そうかもしれません。でも、私は言葉の意味を教えるつもりは あまりないのです。なぜなら、いわば辞書などを引いて調べるのが学生の仕事で、調べること・調べ方を教えることこそ、教員の仕事だと考えているからです。だって研究者になるひとは別として、多くの学生にとっては、社会に出たら中世の言葉の意味の知識なんてそのままただちに役に立つはずないでしょう。勝負は、何かにぶつかったとき、どう調べ、分析するかをカラダで知っているかどうか、だと思います。日本史の史料調査や分析方法を学び、さらに自分の意見をまとめて相手に正確に伝える能力を鍛えることは、きっと社会で役立つチカラになるでしょう。

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