赤井 益久

教授

赤井 益久

アカイ マスヒサ

専門分野
中国古典文学、中国古典語法
本学就任
1985年04月01日
担当教科
卒業論文2(3年次)、卒業論文、卒業論文2(4年次)、前期課程・中国文学研究2(演習)、後期課程・中国文学特殊研究2(演習)
プロフィール
1950年9月6日生まれ。國學院大學学長・國學院大學文学部教授、博士(文学)。1976年に早稲田大学第二文学部東洋文化専修卒業後、1983年に國學院大學大学院文学研究科博士課程後期満期退学。2011年4月に國學院大學学長に就任し、現在に至る。本学以外では中国古典学会理事、日本中国学会理事も務めている。

著書・論文紹介

 中国文学史上、時代を画する事象が多く顕現する唐代中期を、文学規範の変革期としてとらえる。その文学的事象を考察する13の論文からなる。いわゆる四唐説からすれば、その定義付けが最も遅い「中唐」は、盛唐と晩唐の間にあって着目が後れた。それは、従来大暦期と元和期からなる時代区分に矛盾があり、また「晩唐」との混同があったからである。じつは、詩歌における革新、小説の誕生、「古文」文体の標榜、文学理論と実作の一体化といった文学を決定する事象がこの時期に集中していることは、中唐を画期とみなすべき要因である。とりわけ、本書は文学の変革が何に起因するのか、作者という個人の営為とそれを決定する時代相との関わりに関心をおき執筆されている。

 東南海洋から中国に舶載された奴僕を「崑崙奴」と呼び、史料には散見する。唐伝奇「崑崙奴」は、高官の子弟崔生とやはり高官の私妓紅綃との間の恋愛を、崔生の下僕である崑崙奴磨勒が仲介し、成就させるという物語である。奴僕の磨勒の人物像が那辺に由来し、いかに超人的な人格と人物形象を持ち得たかを論証した。その人物像は、一つは水中の活動に長けた人種的特徴をもち、唐伝奇にはこれに取材する話柄が数種伝わる。また、本来歴史的に顧みられることのない社会的下層の身分である下女奴僕が物語の進展上重要な役割を担う所謂「第三人物形象」であることを論証した上で、『荘子』以来の仙人が多く醜陋な姿で現世に現れることなどを参照し、「醜陋仙翁説話」群としてとらえた。こうすることにより、崑崙奴磨勒の趙人的な行動や人物像が理解できる。また、所謂「豪侠」という人物像が中晩唐に脚光を浴びる社会歴史的背景を解明した。中央政府の統制がゆるみ、軍閥が割拠する中晩唐において、従来の科挙制度が維持した人材登用の価値観が、文官から武官の相対的な価値の上昇があったと推測した。

平成25年度文部科学省の高等学校指導要領の改訂に伴う国語総合科目教科書の編集である。

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教授からのメッセージ

わが国における「中国文学」を学ぶ意味は、大きく分けて二つある。
一つは、言うまでもなく外国文学として学ぶ意味であり、英文学やロシア文学を学ぶことと同じ意味合いを持つ。他一つは、ふるくわが国に伝わる「古典」として学ぶ意味合いである。
前者は、世界における「中国文学」として学ぶ必要がある。それを学ぶ方法は、他の国々の人が学ぶ方法と同様であり、中国の言語を学び、中国の文学や思想を学ぼうとすることである。
後者は、わが国が他の国と異なり、中国との悠久の交流の歴史を有しており、その間に、独自の文化の摂取と発展を果たしている。その成果をふまえ、世界における日本の個性として学ぶことである。
中国文学を学ぶこととは、いかなることか。それに今日的価値と意味を見出すことが求められる。学問は人のためにある。よりよく生きることのために、文学は力を持つか?
永き歴史に、力を尽くして生きた人々がいた。そして、多くの言葉が残された。その生き生きとして、かつ輝きを今に放つ言葉や文学を皆さんと共に学べることを嬉しく思います。

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