神道文化学部 在学生インタビュー(42)

2016年7月21日更新

香港から神道を学びに来ました

神道文化学部では、海外からやってきた学生さんも学んでいます。リュウさんもその一人です。先般、「全国一宮巡拝」達成によって若木チャレンジ受賞の栄に浴しました。
以下、リュウさんのインタビューです。

リュウさん
フレックスA(夜間主)2年

―リュウさんは香港生まれです。

生まれも育ちも香港です。振り返ると、多くの出会いが、本学での「神道の学び」へと導いてくれました。

「神社ネットワーク論 I」(黒崎浩行教授担当)のグループワークで

―日本に関心を持ったきっかけは?

私の祖母は日本で暮らしていたことがありました。帰国後も、ある日本人女性との交流が続いていました。
その女性は、祖母のビジネス仲間でもあり、折に触れて香港のわが家を訪ねて来てくれました。
私は、この人のことが大好きでした。
美しい立居振舞、思いやりの深さ、優しい言葉使い…
この女性との交流を通じて、彼女の母国、日本という国への憧れと親しみが培われていったのです。

「一宮巡拝ご朱印帳」と

―一宮巡拝のきっかけは?

香港の大学に進み、金融関係の仕事につきました。有給休暇で、はじめて日本に行きました。
夜が明けるや、まっさきに尋ねたのは若者の街・原宿。早朝で人影はまばらでした。
私の足は、おのずから明治神宮に向かったのです。
神宮の森でのあの驚きと感動を、終生忘れることはないでしょう。
思えば、明治神宮参拝こそが、私の一宮巡拝の、そもそものきっかけとなったと言えるでしょう。

若木チャレンジ賞受賞

―日本で就職した経緯は?

明治神宮参拝がきっかけとなって、ご祭神の明治天皇や日本の近代史についても勉強を始めました。その過程で、「もっと日本を見たい、もっと日本文化を体験したい」という思いが強まっていったのです。私は会社勤務の傍ら、香港日本総領事館の講座に通いました。総領事館には、日本企業の求人が寄せられます。とうとう私はこう決意しました。
「折角のチャンスを生かそう、日本で働いてみよう」
労働ピザを取得し、思い切って日本の会社に転職することにしたのです。

受賞挨拶

―神道文化学部入学の経緯は?

来日後、都内の会社勤務の傍ら、代々木の日本文化興隆財団で『古事記』の講義を受講していました。講読の先生は、本学で兼任講師を務めていらっしゃる方でした。私はそこで國學院大學の存在を知ったのです。
「神道の大学・神道の学部で専門的に学んでみよう」
そう考えた私は、社会人入試を経て、神道文化学部に入学しました。香港での学歴は活かせず、1年次からの入学となりました。

高島佳代子若木育成会会長と

―平成28年6月、成績最優秀者として表彰されました。

神道の専門科目は、どの科目も一言も聞き逃すまい、という気持ちで聴講しています。神道の知識や思考を貪欲に吸収する日々です。
平成28年に入って、ついに全国一宮巡拝を成し遂げることができました。この達成によって、5月、若木チャレンジ賞を受賞させていただきました。とても嬉しく思っています。

「古典講読 I」(武田秀章教授担当)の授業で発表

―今後の抱負は?

「神道のエッセンスは古典にあり!」本学で学んで、このことを心から痛感しました。引き続き勉学に励み、神道古典の蘊奥を究めていきたいと考えています。
将来的には、神道や日本文化について、「外」の視点から発信していくことを目指したいと思っています。
文化間のよき「橋渡し役」として、自らの役割を果たしていきたいものと念願しています。

武田秀章学部長より

リュウさんは、会社勤務を終えるや、脱兎のごとく教室に駆けつけてきます。
寸暇を惜しんで学修に勤しむリュウさんは、全国津々浦々を巡り歩く心豊かな旅人でもあります。
昨年度の『古事記』講読の最終授業時、リュウさんは次のメッセージを届けてくれました。
「私は中国から来ました。この授業で『古事記』を詳しく学びました。ゴッドは絶対で完全無欠・万能で、失敗なんかあり得ません。これに対して、建速須佐之男命の波乱万丈の物語は、まるで過ち多き人間の一生のようです…先の大戦後、日本人は民族神話を封印されました。けれども、私が『古事記』から学んだのは、失敗から立ちあがる「百折不撓の精神」、千年以上続く「永遠の祈りの精神」でした。それは、今なお日本人の行動原理として働き続けていると思います」
何と力強いメッセージでしょうか。まことに「百折不撓の精神」「永遠の祈りの精神」こそ、神道古典の要諦にほかならないでしょう。
リュウさんの宿願成就を、心から祈念したいと思います。

「神社ネットワーク論 I」で

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