神道文化学部 在学生インタビュー(39)

2016年1月29日更新

観月祭と共にあった学生生活でした

神道文化学部で生き生きと学ぶ学生諸君。
そんな学生さんの声をお届けします。

五十嵐さん
フレックスB(昼間主)4年

―五十嵐さんは社家の出身です。

「北海道の社家に生まれました。小さい頃から、当たり前のようにお宮のお手伝いをしていました。これからも、家族で神社を支えていきたい…そんな思いで、神道文化学部への入学を決めました。他大学への進学は、全く考えませんでした」

観月祭で「胡蝶」を舞う五十嵐さん

―実際に入学していかがでしたか?

「神道文化学部には、全国から神職子女が集まってきます。境遇を同じくする、かけがえのない仲間たちです。「ふるさとへ帰ったら、神社をどうやって盛り立てていこうか」「郷土のお祭りを、どうやって盛り上げていこうか」そんなことを、学友たちと語り合う嬉しさ、心強さ。この愉しさは、この学部でなければあり得ません」

観月祭の稽古始めで

―観月祭の常連です。

「入学以来、ずっと観月祭に奉仕してきました。2年次は「胡蝶」の舞人を、3年次は龍笛・楽箏の楽人を、4年次は右舞の舞人を務めました。観月祭は、私の学生生活そのものと言っても言い過ぎではありません」

―この写真は4年次、観月祭の合同稽古の時のものです。

「竣功直後の多目的教室で舞わせていただきました。あたかも教室竣功の奉祝舞を舞わせていただいているような気分でした。この日、はじめて本装束を着装しました。華麗な装束を身に纏い、体中に新たな力が漲る思いでした」

「観月祭本番では、渾身の力を籠めて舞いました。参観の方々の暖かい眼差しに見守られながら、いままでの稽古の成果を存分に発揮できたと思います」

―ゼミでの学修は?

「演習では、茂木栄先生のゼミで、実家の神社の研究に励んできました。ふるさとの開拓の歴史は、氏神さまのご鎮座から始まりました。神社の歴史をあらためて顧みることで、ご奉仕のための「基礎資料」を、しっかりと作り上げることができたと思っています」

―もう卒業が間近です。

「多目的教室の竣功、装束類や備品の増加…私の在学中、学部の施設設備は、目を瞠るほど充実してきました。観月祭も年々、拡充の一途を辿っています。行事を支える裏方の仕組みも、見違えるほど整えられてきました。思えば、学部が発展していくプロセスを、身をもって体験した4年間だったと思います」

観月祭で

―卒業後の奉職も内定しました。

「おかげさまで都内の神社への奉職内定をいただきました。ご社頭で経験を積ませていただいたのち、ふるさとに戻って、家族と共に神社を支えていきたいものと願っています」

―志願者へのエールをお願いします。

「もうすぐ東京オリンピックが開催されます。大勢の外国の方々が、日本の文化について、神道について、興味津々で訪れてくると思います。そういった方々の問い掛けに、しっかりと応えられる人材が求められているのではないでしょうか。いよいよ神道文化学部生の出番です」

「神道文化学部では、神職子弟も、一般家庭の子弟も、分け隔てなく学んでいます。社家以外の人が、神社に奉職する事例も増えています。神社界以外に進んだとしても、神道の学びは必ず活きてくると思います。私は、一般家庭出身者の人たちにも、神道文化学部への入学を強くお薦めしたいと思っています」

武田秀章学部長より

五十嵐さんは、観月祭のヒロインです。
前々回の観月祭の「胡蝶」。五十嵐さんの可憐な舞姿は今も忘れられません。
今回の観月祭では、締めくくりの右舞の舞人を務めました。
五十嵐さんは、全体のトリにふさわしい、堂々たる舞を披露したのです。

去年、北海道に出張する機会がありました。
五十嵐さんの故郷の街を、2度に亘って訪れたのです。
地元の人々は、開拓の歴史を、いまなお熱心に語り継いでいました。
開拓民の暮らしは、常に氏神さまと共にありました。
その大切な氏神さまをお守りするのが、五十嵐さんの将来の使命です。
五十嵐さんの神職としての成長を、心から祈ってやみません。

小野貴嗣先生と 観月祭打ち上げで

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