准教授

宮内 克浩

ミヤウチ カツヒロ

専門分野
中国古典文学
本学就任
2004年04月01日
担当教科
卒業論文2(3年次)、卒業論文、卒業論文2(4年次)

著書・論文紹介

『詩』が古典化さた後漢期において、その内容が賦として敷衍され、やがて建安期の五言詩に受け継がれていく点、また叙述に関しては、楚辞「招魂」以来の叙事の描写形式が蓄積されていく中で、傅毅ならではの精緻な観察と細密な描写が行われている点などを、辺譲「章華台賦」との比較を通して指摘しつつ、当該作品が、「勧百諷一」を効かせた所謂「詩人の賦」とは異なり、時代が求めた、作者ならではの賦頌であり、礼教国家体制が機能した明帝・章帝朝の優游たる暇日の一コマを賦頌した作品であると論じた。

漢代に文学ジャンルの1類目として定立し、後世に継承・製作される箴の、その定立期の1篇に焦点をあて、文学として、後漢文人官僚たちの取る所となった箴の製作背景を究明することを目的とした。箴が文学として製作されるのは、前漢末の揚雄の作を嚆矢とする。その製作意図は、後漢においては、三代の美風として、百官が職分に応じて君主の過誤を諫め正し、君主の天下統治を十全ならしめ、礼教国家の体裁を整えるものと捉えられ、その主旨-官箴-で増補され「百官箴」として完成する。この「百官箴」とほぼ同時期に作られた当該作は、同じく三代の美風を憧憬する文人官僚たちの宴席の場で作られた、詩人の義を体した箴諫の辞であり、すぐに訪れることとなる新たなる詩人の時代の直前に現れた、漢王朝詩人(詩人の義を体した文人)による「箴官」として、箴の展開に独自の位置を占める作である。

班・傅・崔、三氏によって製作された「北征頌」は、後漢和帝期に遂行された異民族征伐の成功を称美する意図で作られたものである。それは明帝・章帝期に高揚した頌漢思潮の流れを継ぐものであり、後漢の盛世を後世に知らしむるものとして、『詩』の頌詩の体例とは全く異なる賦体によって新たな体例を模索する中で生まれた作品であった。

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教授からのメッセージ

人生を有意義に過ごすためには、将来への展望を持ち、実現に向けての地道な努力を続けなくてはならない、とはよく言われることである。それは目標を立てる(夢を見る・志を立てる)ことから始まるはずである。高等学校在学中であれば、大学進学、もっと具体的に○○大学××学部に合格するといったことも目標の一つになり得たであろう。しかし、大学入学をむしろスタート地点に立ったことと考えれば、これからの学生生活は、自分が以後の人生を通して関わり合えるような、かけがえのない価値を探し出して、それと自分との関係を築き上げる期間としなくてはなるまい。
中国文学科に入学したのであるならば、何よりもまず中国文化への関心を抱き続けること。また中国文化に対する先人の関心の持ち方を知ること、つまり先人の業績を辿ること。さらに他者の解釈に引きずられることなく、自ら客観的にことがらを分析する力を培うこと。これらの期間に学生時代を充ててもよいのではないか。実はこれらも漢文訓読法がしっかりと身に付いていなくては困難であろう。大学受験を経てきた諸君は、その基礎が培われているであろうが、少しでも不安があるのならば、今一度謙虚に復習し直すべきである。
最後に、学問研究に近道はあるまいが、必ず踏まなくてはならない道筋がある。この手順の踏み方・手続きの取り方だけは自分の力だけでは確立されないので、必ず先生・先輩から手ほどきを受けなくてはならない。旺盛な探求心は勿論大切なことであるが、同時に先学の知恵を謙虚に受け容れることのできる柔軟な心を持つ、あるいはそうあるように鍛錬することは必要である。國學院大學中国文学科とは、今それが充分可能な学科である。

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