日本の鉄道の創成期に尽力した渋沢栄一は、鉄道国有化法の施行から10年超が過ぎ、大正時代に入ったころ、東京の郊外に理想的な住宅地を建設する田園都市構想を打ち出し、その実現を東急グループの創業者である五島慶太に託した。
その時、関西ではすでに、鉄道を核としたまちづくり構想の実現に向け、阪急東宝グループ(現在の阪急阪神東宝グループの前身の一つ)の創業者、小林一三が独創的な経営手腕で成功を収めていた。経営史・産業史を研究している経済学部の杉山里枝教授は「私鉄経営のカリスマたちの登場によって、日本の鉄道開発史は新たなステージへと突入した」と話す。
【前編】日本の鉄道網構築にも尽力した渋沢栄一
―― 渋沢が描いた理想的な住宅地とは
当時の東京市が拡がりを加速させる中で、渋沢らは、緑豊かな住宅都市の建設をめざして田園都市株式会社(のちの東急株式会社)を設立した。田園都市論は英国の経済学者エベネザー・ハワードが1898(明治31)年に提唱したものだ。ロンドンの衛星都市として考案され、レッチワースで具現化された職住近接のまちづくりであり、渋沢らが目指したのは、緑豊かな「日本型田園都市」だ。渋沢は、「人は到底自然なくして生活できるものではない」との言葉を残しており、レッチワースなど欧米諸都市に倣ったまちづくりに強い思いを抱いていた。そして、その田園都市に命を吹き込み、人々が集うまちにするためには、鉄道果たす役割が大きかった。

田園都市構想から生まれた街「田園調布」(写真は復元された田園調布駅旧駅舎)
―― 経営者の役割を五島慶太に託している
渋沢がまず、目を付けたのが阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループの創業者、小林一三だった。小林は明治40年、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現、阪急宝塚線・箕面線)を創立。明治43年運行を開始した電車事業は、沿線の住宅開発を共に行うという独創的なアイデアによって好調なスタートを切った。昭和4年、ターミナル駅の梅田駅(現在の大阪梅田駅)に阪急百貨店(現、阪急うめだ本店)を開業、宝塚歌劇やプロ野球の阪急ブレーブス、東宝を設立するなどエンターテインメント事業を成功させた。多忙を極めていた小林は、渋沢の要請を断り、代わりに五島を紹介したと言われている。五島は、官僚を9年務めた後に東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(現・東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収するなど事業を拡大させた。五島のまちづくりを核とした鉄道経営のビジネスモデルは、小林のユニークな発想を彷彿とさせるものがあり、カリスマ鉄道経営者としての地位を確立し、「西の小林・東の五島」と称された。
―― 一方で鉄道の国営化は後に国鉄、JRへと継承された
明治の鉄道官僚、井上勝が築き上げた国有化された鉄道事業は、戦後、日本国有鉄道(国鉄)へと引き継がれ、その後、分割民営化によって現在のJRグループが誕生した。国鉄やJRは、昭和39年の東京駅―新大阪駅間に開業した東海道新幹線に始まる高速鉄道網の充実や、個人旅行客の増大を目的に昭和45年から始めたキャンペーン「ディスカバージャパン」に代表されるように、日本の国力・経済力を国内外へアピールし、新幹線システムの海外輸出やインバウンド(訪日外国人客)の誘致などで大きな実績を上げてきた。
確かに、国家による鉄道経営は財政悪化をもたらしたが、もし、日本に私鉄しかなかったら、地方の鉄道網やローカル線は存在しなかったかもしれない。私鉄が目指すビジネスモデルは、収益を稼ぎ出すことが第一であり、ある程度の人口を抱える都市部でないと成功は難しい。日本には、井上が中心となって国力の向上にかけた歴史と、渋沢らが地域を見つめて民間の力を集めた私鉄の歴史という2つのレールがあり、150年にわたる鉄道史の中で、それぞれが役割を果たしてきた。だからこそ、世界に冠たる鉄道網が整備できたと言える。
―― 日本の鉄道の将来は
今、鉄道事業者は経済的なほころびが出ている上に、新型コロナウイルスの感染拡大が、鉄道経営の先行きを、より不透明にしている。これまで、国鉄やJRは国力や経済力のシンボルとして大きなプロジェクトを担い、私鉄は住民の豊かな暮らしと利便性の向上を目指してきた。2つの鉄道の持つ性格は違うけれども、うまく調和しながら、日本の経済発展をもたらしてきた。鉄道を基軸にしたビジネスモデルは、ほとんど出尽くしたとの指摘もあるが、コロナ後の経済復活の起爆剤になるような、新しい鉄道ビジネスの革新が登場することを期待したい。
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