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伊勢神宮でひもとく信仰と鉄道の近代史(上)

鉄道を学問する vol.1【神社史】

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神道文化学部 教授 藤本 頼生

2022年5月10日更新

 伊勢神宮が鎮座する「神都」として全国から参拝者が集まる三重県伊勢市には、最盛期の昭和初期に官民3本もの鉄道が存在した。近代神道史を専門とする神道文化学部の藤本頼生教授は「人口10万人規模の地方都市としては異例。路面電車やバスにとどまらず、近隣にはロープウェイやケーブルカーまであったのだから〝乗り物天国〟といった様相だ。神宮には人を引き付ける力があり、それが20年ごとの式年遷宮によって増幅された結果」と指摘する。

伊勢神宮でひもとく信仰と鉄道の近代史(下)

「一生に一度」だった参宮の歴史

 伊勢への参宮は「お蔭参り[i]」が知られるが、始まりは近世以前に遡る。中世に荘園制が変質し、武家の土地寄進によって神宮の神職と地方の在地領主との縁が結ばれるようになり、戦国時代になると神宮の教えを地方に広めた御師(おんし)が窓口となって各地の大名と密接な関係が構築される。社会が安定した江戸時代には五街道や船などの交通網も発達し、それを活用して「お蔭参り」に代表されるお伊勢参りが盛んになり、明治時代に鉄道が通ると「一生に一度」が「十年に一度」といった形に変化していったのだ。

「真誠講」が発行した定宿帳(藤本教授所蔵)

 物流大手・日本通運の前身である内国通運の存在も忘れてはならない。明治5年に飛脚のグループを取りまとめて創業した内国通運は「真誠講」という旅館の組織を作り、これがツーリストビューローの役割を果たす。真誠講は、伊勢神宮の講社組織であった神風講社とも協力関係を結ぶが、物資運搬だけでなく、旅行者やその荷物を運び、宿の手配、旅のアドバイスもやっていたわけだ。このようにして、庶民による群参の素地が出来上がっていく。

鉄道の出現と発展が誘客を生む

昭和13年発行の路線図(藤本教授所蔵)。黒の線で描かれた国鉄参宮線と、赤線の大軌、参軌が確認できる

 伊勢初の鉄道は大阪からの関西鉄道(現在のJR関西本線)から南下する参宮鉄道(同紀勢本線、参宮線)で、明治30年に山田駅(同伊勢市駅)まで開通した。殖産興業、富国強兵のために作られた鉄道だが、伊勢に関しては20年に一度の式年遷宮との関わりを外すわけにはいかない。明治22年に行われた第56回式年遷宮後の29年、伊勢神宮の御鎮座1900年に合わせて日本鉄道、両毛鉄道、青梅鉄道、総武鉄道、武甲鉄道などをはじめ、各鉄道会社で「鉄道で神宮をお参りするなら運賃を割引く」といったサービスが出現するなど、20年代~30年代に鉄道を使った参宮が盛んになり、42年の式年遷宮を経て参宮と鉄道との関与の度合いがさらに増していく。

 大きな転機は昭和4年の第58回式年遷宮だ。大阪電気軌道(近鉄の前身)が翌5年に宇治山田まで延伸し、地元資本の伊勢電気鉄道も外宮に隣接する大神宮前駅(現存せず)まで開通させたことで、官設鉄道を含め3本の路線[ii]で乗客を奪い合う時代となったのだ。迎え入れる側も官設鉄道の山田駅のみだったものが宇治山田駅[iii]、大神宮前駅と玄関口が3つになり、「大阪から伊勢まで2時間」と誘客が活発化。3線競合で利便性やサービス向上も図られたこともあって乗客の急増を招いた。遷宮の翌5年には参拝客増を見込んだ「御遷宮奉祝神都博覧会」が開催されたが、この博覧会の開催に合わせて2年に内宮近くの宇治浦田町周辺のランドマークであった神宮奉斎会伊勢大本部を博覧会場に移築したのが神都公会堂である。また、博覧会の跡地に6年に建設されたのが宇治山田駅である。伊勢市の人口は10万人台で推移しているが、交通上の要衝や結節点でもない地方都市に鉄道が3本通るのは異例といえる。

伊勢外宮前を写した絵葉書(藤本教授所蔵)。昭和36年まで市内を走った路面電車の軌道と車両が見える。左後ろは宇治山田郵便局(現在は明治村に移築)

 伊勢には乗客増を見込める「神宮」という日本随一の聖地があり、これを遷宮ごとに掘り起こしてコンテンツ化してきたことが伊勢の鉄道・交通網発展の歴史であったといえる。市内には路面電車や路線バスが走り回り、近隣の朝熊山にはケーブルカー(大正14~昭和19年)が、また路面電車の終点の一つで日本の海水浴場の発祥の地である、二見浦にはロープウェイ(昭和7~17年)まで存在した。人を呼び込む上手さは経済的な観点から見ても面白いはず。さまざまな集客のための仕掛けづくりの系譜を受け継いで近鉄はいまでも新型の車両を投入しているが、これもお伊勢さんなくしては語れないのではないか。(談・つづく


用語解説

[i] お蔭参り 江戸時代に約60年周期で起こった伊勢神宮への群参。奉公人らが無断で飛び出したため「抜け参り」とも呼ばれる。幕末の文政13(天保元)年には450万人が参拝したとされる。農村などで集められたお金で伊勢に赴いた参拝者は、全国から集積した最新の情報や技術を持ち帰ることで地元に還元。全国規模での人的交流が進んだことで幕藩体制の変容に繋がったとの指摘もある。

[ii] 伊勢への鉄道3線 参宮鉄道の津~宮川が明治26年に開業、30年に山田駅まで全線開通。40年に国有化され官設鉄道に。大阪電気軌道は昭和2年に子会社の参宮急行電鉄設立、5~7年に桜井駅~名張駅~参急中川駅(現・伊勢中川駅)~宇治山田駅および中川駅~津駅を開業した。地元資本の伊勢電気鉄道も5年に大垣~大神宮前駅まで開通させたが、11年に参急と合併。

[iii] 宇治山田駅 昭和6年3月開業。鉄骨鉄筋コンクリート造3階建てで、東武鉄道浅草駅や南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)を手がけた久野節の設計。間口は128 mに及び、入口上部には八角形の窓が並ぶ。デザインに優れた昭和初期の名建築と評価され、平成13年に駅舎本屋が国の登録有形文化財になった。駅舎内には貴賓室があり、天皇や内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている。

藤本 頼生

研究分野

近代神道史、神道教化論、神道と福祉、宗教社会学、都市社会学

論文

神社管理における御祭神・社名の取り扱いについての一考察―近代以降の制度変遷と仏語を用いた神名・社名を中心に―(2021/06/15)

宗教教誨活動における教誨師の施設への常駐と待遇の沿革について―「駐在」・「給与」の語に着目して―(2021/03/10)

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