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「道」が通じ「神」が降り立ち「鉄道」が敷かれる

鉄道を学問する vol.3【神道史】

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神道文化学部 教授 加瀬 直弥

2022年5月27日更新

 今年、開業から150年を迎える日本の鉄道。近代以降に敷設された鉄道は、古代から人々が往来した「道」に沿うことが多い。徒歩も鉄道も設けられやすいルートは同じで、各地に点在する交通の要衝には必然的に鉄道駅も設けられるのだが、不思議と有名な神社が近くに鎮座する。その答えについて、神道文化学部の加瀬直弥教授(専門:神道史)は「古くから『道の神』が信仰されてきたから」と指摘。平安時代、天皇が即位する際に朝廷から鏡や剣などを供えた「大神宝奉献」の対象神社の中にも、陸海の「道の神」が含まれるというのだ。

【後編】人々の願いを運んだ参詣鉄道

朝廷が重視した大神宝奉献社

 大神宝奉献(通称大神宝使)とは鏡や剣などの神宝を特定の神社に奉納する平安時代制定の天皇即位儀礼の一つで、対象の神社に神宝を届けるために使いが派遣された。平安時代中期の史料からは、対象が50社確認され、宮中はもとより、五畿七道[1]に広く確認できる(表)が、その中には、律令国家成立期ごろから海陸の交通の要衝だった地に鎮座する神社も含まれた。

 具体例としては、濃尾平野の西端で壬申の乱(672年)の後に設けられた関所・不破関(ふわのせき)の東国側にある南宮大社(岐阜県垂井町)。平野の隅に鎮座する神社が重視されたのは、関所近くの要衝にあったのも一因であろう。気比神宮(福井県敦賀市)も愛発関(あらちのせき)の北側で日本海に面した場所に鎮座する。その地は現在の中国東北部からロシアの沿海州にかけた地に建国された渤海(698~926年)を念頭に置いたとみられる対外施設「松原客館[2]」が設けられた場所で、外国との交流拠点ともなる要衝だった。これらの地の神社の祭神は、交通の安全を祈願する「道の神」としても位置付けられたと考えられる。

「道の神」が大切にされたわけ

 そもそも「道の神」がなぜ大事にされたのか? 朝廷は物資確保の必要上もあってか、神に対して物流を守ってほしいと願っていた。『延喜式』の祝詞からは、祈年祭などの祭祀で、「海路は荷船がいっぱいになるように、陸路は荷を積んだ馬が連なるように」と伊勢神宮の天照大神に願いを込めていたことが分かる。祈年祭は豊作祈願が柱だが、あわせて物流の活性化を目的としていたのだ。それは「道」が整備されて初めて可能となる願いなので、道の神に対する関心は古代から非常に高かったといえる。

 宗像大社沖津宮(福岡県宗像市)の鎮座する沖ノ島でも律令制定以前に奉納された鏡や金製品などの神宝が出土するが、『日本書紀』巻一の神代上には天照大神が宗像三女神[3]に「道中に降臨し、天孫を助けよ」と命じたことが記されている。日本列島と大陸とを結ぶ海上交通は「常に安全」とはいえない。だからこそ頼りとなる神を意識したのであろう。

 海上交通でいえば住吉大社(大阪市)も信仰を集めた。鎮座地は古代の港「住吉津(すみのえのつ)」として栄えた場所で、『日本書紀』は、祭神自身が港で船の往来を見る意思を示したとする。古代の交通網でも海上路の重要度は高く、その要衝を守るべき場所に神が祀られたということだ。東国に鎮座する鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)も、東北へとつながる海上交通の要衝の神社としての存在意義が大きかったと考えられる。『延喜式』祝詞に、陸運と並んで海運に関する表現が含まれているのは、古代における海上交通の重要性の表れといえる。

大神宝奉献社と鉄道駅の距離

 東京から東海道新幹線に乗車すると、三嶋大社(静岡県三島市)、熱田神宮(名古屋市)、南宮大社など大神宝奉献社に数えられた神社の社叢が目に入る。そのうちの三嶋大社の近くには、伊豆国の国府があったと想定される。東海道などの道路は行政上の必要性があって整備され、国府もまた交通面を考慮して立地されたと考えられる。したがって、国府付近の神社もまた、広い意味では「道の神」とされ得る要素がある。新幹線の車窓から三嶋大社をはじめとする大神宝奉献社の社叢が見られるのも、古代以来の、道を意識した神の祀り方が関係しているといっても過言ではないだろう[4]。(談・つづく


[1] 五畿七道 律令制で設けられた古代の行政区画。都周辺にあった現在の近畿地方の5カ国(山城、大和、摂津、河内、和泉)を五畿とし、それ以外を以下の7道に分けた。東海道=伊賀~常陸の本州太平洋沿岸15カ国、東山道=近江~陸奥まで本州内陸部と東北全域7カ国、北陸道=若狭~越後、佐渡の本州日本海沿岸東部7カ国、山陰道=丹波~石見、隠岐の本州日本海沿岸西部8カ国、山陽道=播磨~長門の本州瀬戸内海沿岸の8カ国、南海道=紀伊、淡路、四国の6カ国、西海道=九州と周辺島嶼部11カ国。

[2] 松原客館 平安時代前期の9世紀頃、渤海の使節団を迎えるために越前国に設置されたと考えられる迎賓・宿泊施設。気比の松原(福井県敦賀市)近辺にあったと推定される。『延喜式』の雑式に「凡そ越前国松原客館は気比神宮司をして検校せしめよ」とあり、大神宝奉献社である気比神宮の宮司が管理を任されていたことが分かる。

[3] 宗像三女神 天照大神と素戔嗚尊の「誓約(うけい)」によって生まれた3柱の女神。宗像大社では沖津宮に「田心姫神(たごりひめ)」、中津宮に「湍津姫神(たぎつひめ)」、辺津宮に「市杵島姫神(いちきしまひめ)」が祀られる。『日本書紀』には「道主貴(みちぬしのむち)」との別称も見られ、「道の神」として航海や交通の安全などを祈願する神に位置付けられていことが窺える。

[4] 大神宝奉献社近くの駅 加瀬教授によると、全国50社のうち鎮座地の4㎞以内に鉄道駅が設けられなかったのは出雲の熊野大社(島根県松江市)、播磨の伊和神社(兵庫県宍粟市)、伊予の大山祇神社(愛媛県今治市の大三島)の3社のみ。

 

 

 

加瀬 直弥

研究分野

神道史

論文

「八百万の神の祓の効用と、その受容―平安時代中期までの百官大祓を中心に―」(2024/03/31)

「着装装束から見る中世神社神事の特色」(2021/07/25)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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