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『古事記』は日本を学ぶ楽しい入り口!

『古事記』が語る神々の姿に学ぶ⑪最終回

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神道文化学部 教授 武田 秀章

2023年4月7日更新

 わが国最古の古典『古事記』。和銅5(712)年にできあがった現存最古の歴史書は、成立から1300年以上経た今もなお読み継がれています。そして先人たちの言葉に若者たちは何を見出しているのでしょうか。
 『古事記』講読の授業を長年担当する神道文化学部の武田秀章教授(神道史)は、こう述懐します。「神道文化学部の新入生は、神道を中心とする日本の伝統文化を究める専門的な学びの導入として、まず『古事記』と出会います。『古事記』こそは、日本を学ぶ最も楽しい入り口なのです」

①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い

②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み

③愛する人との別れで定まった「死の宿命」と「世代交代」

④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法

⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚

⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」

⑦神々の相互連携で進む大事業「国譲り」とは?

⑧地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」

⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆

⑩神武天皇のチャレンジ精神、「人の代」を切り開く

 

「八百万神、共咲!」 齊藤ゆいか(神道文化学部学生)(作品の転載はご遠慮ください)

『古事記』のことばは壮大な賛歌

 『古事記』の魅力は、まず何よりもその「言葉」にあります。例えば「豊葦原の千秋の長五百秋(ながいほあき)の水穂の国」のようなリズミカルな表現が、いかに豊かな「言霊の音楽」を響かせていることでしょうか。『古事記』、とりわけ神代巻は、諸々の言霊がお互いに響きあう壮大な「日本賛歌」です。それはまた、「母国の弥栄を歌い上げる最も長大・壮大な祝詞(のりと)」とも申せましょう。

世代から世代へ 日本誕生の「ファミリーヒストリー」

 そうした力漲る言葉で、『古事記』は、私たち日本人の祖先である「遠つおや」たちの連綿たる国作りの物語を語り始めます。それは自ずから、世代から世代へと繋がる壮大な「ファミリーヒストリー」を織り上げていきます。

 原初の母神・伊耶那美命の、命をかけた「国生み」「神生み」と、その壮絶なご最期。伊耶那美命は、そのいまわの際においても、最後の力をふりしぼって忘れ形見の神々を産み落としました。

 その夫・伊耶那岐命も、冥界の試練から生還し、禊(みそぎ)によるご神威のよみがえりの頂点で、次世代の担い手たる三貴子<天照大御神・月読命・須佐之男命>の誕生を齎しました。

 その長女・天照大御神は、心に深く傷を負い、天の石屋戸の奥深く引きこりましたが、「オール高天原」の祭りと祈りを承け、輝かしい日の大神として、また天上の統合者としてリボーンします。

 天照大御神の弟神・須佐之男命も、母恋いと荒(すさ)びの日々を乗り越え、櫛名田比売との出会いとヲロチ退治によって、葦原の国土の「国作りの始祖」へとステップアップしました。須佐之男命は、めでたく櫛名田比売と結ばれ、その大穴牟遲神に至る出雲の神々の祖神となったのでした。

 大穴牟遅神は、兄神らの執拗な迫害によって、幾度も死の淵に追いやられながらも、根の堅洲国での試練を経て、ついに須佐之男命の真の継承者、「大国主神」へと生まれ替わります。最も弱きもの、最も虐げられていたものが、最後には最も偉大な国作りの王として蘇ったのでした。

怒濤の伏線回収、大団円へ!

 こうした命のリレー・国作りのリレーを経て、ついに天照大御神のみ孫、邇邇芸命が誕生するに至ります。大御神の「うまれかわり」のような、すこやかな赤子の誕生。それは、そのまま「新しい時代」のはじまりでした。

 ここに「天の石屋戸」ゆかりの勾玉と鏡、「ヲロチ退治」ゆかりの草薙の剣も勢揃いして、邇邇芸命にしっかりと託されます。今に至るまで皇位のしるしとして受け継がれる「三種の神器」のおこりです。かくして神々の「全員集合」と、その天降りのシーンは、『古事記』最大の壮観と申せましょう。

 その邇邇芸命の曾孫、神武天皇は、東のフロンティアを目指し、勇気凛々と旅立ちました。神武天皇の不屈の奮闘よって、「天地初発」以来の継続課題、天上と地上の大統合が、ついに成就するに至ったのです。

「神代・古代の天皇系図on日本書紀&古社28創建順」二宮昌世(125期神道文化学部卒業生)(作品の転載はご遠慮ください)

そして、未来へ…

 いずれの神々も、命を繋ぎ、「国作り」の襷を繋ぎ続けてきました。脈々と続いてゆく命。連綿と受け継がれてゆく営み。こうして開闢以来の「生命の系統樹」が、限りなき未来に向けて、愈々健やかに成長してゆくこと。それこそが『古事記』に託された父祖の祈りだったのかもしれません。そう考えるなら、『古事記』は、わが国の遥かな「いにしえ」に遡りつつも、実は私たちの限りなき未来を指し示す書と言わなければならないでしょう。

 ある卒業生から貰った年賀状に、こう記されていました。「私には『古事記』があります。これから何があっても大丈夫です」。

 私はこう返信しました。「日本人には『古事記』があります。何があっても大丈夫です」

 そもそも『古事記』は、本居宣長によって、千年に及ぶ忘却の「死の淵」からよみがえった奇跡の書にほかなりません。「復活の書」たる『古事記』が、学生たちのこれからの人生の大切な心の糧、「蘇りの力」ともなることを、切に願っています。

幕末の福井に生きた国学者・橘曙覧の歌

春あけて先(まづ)看る書も 天地(あめつち)の始の時と読いづるかな
廃れつる古書(ふるぶみ)どもも動きいでて 御世あらためつ時のゆければ

●『古事記』講読の受講生の声

  • 古事記は、情緒豊かな神々によって目まぐるしく展開する長編映画のような物語だと感じた。この一冊に、アドベンチャー・アクション・コメディ・SF・ミステリー・ラブロマンスなどなど、様々な要素がつまっているのだ。こんなにもすばらしい物語を、千年以上もさかのぼる時代の人たちが伝え遺してくれたことは、まさに驚きでしかない。日本という国は、度重なる試練を乗り越えながら、こうして皆が手を取り合って作り上げてきたのだ…。この物語からは、そんな胸熱のメッセージが響いてくるかのようだ。 

  • 『古事記』で語られるさまざまな「他界」に心惹かれました。「異界」との行き来は、「すずめの戸締まり」など今のアニメにも繋がる物語の定番です。また試練を乗り越えて成長する神々の姿も、どこか少年漫画のヒーローたちを思わせます。『古事記』の語りごとが、「物語の原型」であることを、深く実感した一年でした。 

  • 國學院大學に入学しなければ、『古事記』と出会う機会もなく、私の人生は終わっていたことだろう。 本学に入って、やっと日本人のルーツに辿り着けた喜びを感じた。神話と歴史は断絶されてしまったが、見えない世界は、なお私たちの内側に息づいている。それを思い出させてくれたのが、この『古事記』なのだ。 

※武田教授担当授業での受講生のコメントをもとに再構成

 

 

 

 

武田 秀章

研究分野

神道史、国学史

論文

「御代替りを考える」(2020/03/24)

「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」(2019/11/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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