スサノヲから地上世界の国作りを受け継いだオオクニヌシ。紆余曲折を経て「葦原中つ国」の繁栄を実現していきます。そこに高天原から「国譲り」の要求が届きます。『古事記』講読の授業を長年担当する神道文化学部の武田秀章教授(神道史)は、「『古事記』を素直に読むと、オオクニヌシは2柱の御子神の対応を確認し、葦原中つ国の総意として国譲りを承諾したことが分かる」と話します。「国譲り」の物語は、天つ神と国つ神のギブ&テイクによる国土開発の継承で、双方の連携なくしては大事業も進まないということを示しているのです。
①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い
②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み
③愛する人との別れで定まった「死の宿命」と「世代交代」
④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法
⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚
⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」
⑧地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」
⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆
⑩神武天皇のチャレンジ精神、「人の代」を切り開く
大国主神の国作り、その仲間たち
大国主神は、祖神・須佐之男命の三度に及ぶ試練を乗り越え、国作りの担い手として生まれ替わりました。最も弱きもの、最も虐げられていたものが、最も偉大な国作りの王としてよみがえったのです。
国作りは、さまざまな神々の協力を得て進められていきました。その筆頭は、もちろん妻の須勢理毘賣(スセリビメ)と、その父・須佐之男命の他界からのご加護でした。
第二のパートナーは、天上の神産巣日(カミムスヒ)の神が差し向けた「小さ子神」、少名毘古那(スクナビコナ)の神。最後に現れたのが、のちの大神神社(奈良県桜井市)の御祭神、大物主(オオモノヌシ)の神です。少名毘古那神が立ち去ったのち、独りとなった大国主神を助けようと、海原の彼方から現れました。大国主神は、大物主神の守護を受けながら、国作りを完成へと導いていきました。
天つ神と国つ神 「国譲り」交渉の難航
天照大御神は、大国主神チームによる国作りの進展を承け、地上世界を、「豊葦原水穂国」(「稲作り」と「祭」の国)たらしめるべきことを発意しました。大御神は、自らの子孫を降し、地上の国土に「天上の秩序」「天上の稲作り」「天上の祭」をもたらすべきことを思し召されたのです。
天照大御神は、わが子・天之忍穂耳(アメノオシホミミ)の命に、天降りを命じます。天之忍穂耳命は、須佐之男命との「宇気比(うけひ)」によって生まれた天照大御神の長男です。天の浮橋に立った天之忍穂耳命は、下界の荒ぶる国つ神に怖気づいて、天降りを辞退してしまいます。
そこで高天原の八百万の神々が協議を行い、国つ神の統領・大国主神に、「国譲り」を求めることになりました。その交渉の使者として白羽の矢が立ったのが、天照大御神の次男・天菩比(アメノホヒ)の神でした。
地上に降った天菩比神は、大国主神のカリスマに魅入られて、3年たっても戻ってきませんでした。天菩比神の子孫は出雲国造となり、現在に繋がっています。
続いて、天津国玉(アマツクニタマ)の神の子、天若日子(アメワカヒコ)が差し向けられます。ところが天若日子は、大国主神の娘・下照比売と懇ろになり、大国主神の娘婿として、地上の国土をわがものにしようと謀り、8年たっても何の音沙汰もありませんでした。
国譲りの成就と神話を伝える各地の神社
国譲り交渉の難航は、ついに天上界最強の武神、建御雷(タケミカヅチ)の神を引き出すことになります。出雲の稲佐(伊那佐)の浜に降り立った建御雷神は、「剣の神・雷の神」の神威をもって、大国主神に国譲りを迫りました。
大国主神は、その子・事代主(コトシロヌシ)の神を美保の岬から呼び戻し、答えさせることにします。事代主神は、「この国は、天つ神の御子に奉ります」と誓うや、自分が乗ってきた船を傾けて「青柴垣」(あをふしがき・青葉で作った柴垣)の中に引き籠ってしまいました。美保神社(松江市)で行われる「青柴垣神事」は、この神話を再現したものともいわれています。
大国主神は、もうひとりの息子、建御名方(タケミナカタ)の神の名を挙げます。武闘派の建御名方神は、建御雷神に力競べを挑みますが、敢えなく打ち負かされてしまいました。科野(信濃)国の州羽(諏訪)の海、諏訪湖のほとりへと逃げ延びた建御名方神は、この地に永久に留まることを誓いました。これが諏訪大社(長野県諏訪市ほか)のおこりです。
大国主神の子どもたちは、父に先んじて国譲りの誓いを立てました。大国主神は、子どもたちの意向に従い、地上の国土を天照大御神の子孫に譲り渡すことを誓います。こうして大国主神は、国作りの最大の功労者として、わが国の永遠の守護神として、出雲大社の巨大神殿で篤く祀られてゆくことが約束されたのでした。
天照大御神の子孫が「地上国家」の王として天降る「天孫降臨」に向けた環境が、しっかりと整うに至りました。天照大御神の子孫が「天の下」をしろしめす「新しい時代」の到来が、目前に迫ったのです。
近年、発掘調査によって出雲大社の巨大な柱が地中から見つかり、現在の社殿よりもはるかに高い空中神殿があったということが明らかになりました。『古事記』のもっとも重要な部分をなす出雲神話が、歴史的に実証されたということになります。
大国主神が課した試練の真意とは?
些かの波乱はあったものの、国譲りはなぜ可能だったのでしょうか。
既にヲロチ退治に伴う「草薙の剣」奉献によって、天照大御神と須佐之男命の「和解」と「服属」が成立していました。須佐之男命の子孫たる大国主神が、天照大御神の子孫に国土経営をバトンタッチするのは、神話として必然の筋道であったと言えましょう。
そうであるとしたら、大国主神は、なぜ国譲りに難色を示すかのような態度をとったのでしょうか。 「大国主神は、実は国譲りしたくなかったのだ」…。そう考えられがちです。
私の考えはその逆です。 「地上の国土を治めるのは、そんな甘いことでは済みませんよ」。大国主神は、そんな思いから、次代の担い手たる天上の神々を、自ら試みられたのではないでしょうか。
大国主神が国作りの後継者となる際、須佐之男命は大国主神に三度の試練を与えました。そのひそみに倣い、今度は大国主神が、高天原の神々を翻弄するかのようなに三度の試練を与えられた、というようにも考えられます。「国譲り」の伝えには、老練な大国主神ならではの、「事業継承」「世代交代」をめぐる深い慮りがあったように思われてなりません。
●『古事記』講読の受講生の声
- 大国主神はヤンキー漫画に出てくる総長のようだと思った。国作りの一大プロジェクトを達成できたのも、そこに手を差し伸べてくれる仲間たちがいたのも、大国主神のカリスマと人柄ゆえなのではないだろうか。
- イザナキ・イザナミから始まる国作りは、高天原の神々が下した命令で、大国主神はその最新の担当者だったはず。大国主神は無念の思いで国を譲ったのではなく、大いなる称賛の中で、誇り高く手塩にかけた国土を譲り渡したのではないでしょうか。
- 大国主神の「国譲り」は、日本における最初の政権交代とも捉えられる。世界ではなお軍事勢力が跋扈し、悲惨な戦乱が続いている。日本の神々による「穏やかな帝王学」が広まり、世界に平和が訪れることを願いたい。
※武田教授担当授業での受講生のコメントをもとに再構成
- ①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い
- ②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み
- ③愛する人との別れで定まった「死の宿命」と「世代交代」
- ④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法
- ⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚
- ⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」
- ⑧地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」
- ⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆
- ⑩神武天皇のチャレンジ精神、「人の代」を切り開く
- 古事記ビューアー|國學院大學「古典文化学」事業