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愛する人との別れで定まった「死の宿命」と「世代交代」

『古事記』が語る神々の姿に学ぶ③

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神道文化学部 教授 武田 秀章

2022年6月9日更新

 火神カグツチを生み大火傷を負ったイザナミを探し求め、イザナキは黄泉の国へと迷い込みます。しかし、黄泉の食物を口にしたイザナミは体中を蛆が這いまわる凄惨な姿に変わり果てていました。
 逃げるイザナキに追いついたイザナミ。二神はあの世とこの世の境界で各々別離の言葉を交わします。現世に戻ったイザナキは、穢れを祓う「禊(みそぎ)」によってアマテラスら三貴子を生み、「国造り」を次世代へとバトンタッチすることになりました。「黄泉の国の神話は、過ちを乗り越えたイザナキの成長が語られ、さらに『古事記』の主題の一つである世代交代への道が示されています」。『古事記』講読の授業を長年担当する神道文化学部の武田秀章教授(専門:神道史)は、そう解説します。

①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い

②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み

④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法

⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚

⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」

⑦神々の相互連携で進む大事業「国譲り」とは?

⑧地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」

⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆

⑩神武天皇のチャレンジ精神、「人の代」を切り開く

第4回古事記アートコンテスト(令和2年度)入選「古事記 伊耶那岐命 伊耶那美命 乃 段」小川修太(作品の転載はご遠慮ください)

「黄泉の国」訪問の物語とは? 

 『古事記』は、その冒頭以降、世界の成り立ちを次々に説き明してきました。引き続き「黄泉の国」「三貴子誕生」の物語では、「われわれはいかにして死を乗り越え、命を繋いでいくようになったのか」「いかにして次世代へ『国作り』が受け継がれていくようになったのか」ということを、力漲る言葉で語り継いでゆきます。

 伊耶那岐命と伊耶那美命は、「修理固成のことよさし」を承け、互いに誘い合い、「命をはぐくむ営み」によって、「国生み」と「神生み」を行いました。国土と自然環境の恵みを司る神々を、二神の子どもたちとして次々と生んでいったのです。ところが「神生み」の最後にとりかえしのつかない悲劇が起きました。伊耶那美命は、火の神「火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)」を生んで瀕死の火傷を負い、ついに「最初の死者」として「黄泉の国」と言われる死者の世界に旅立っていったのです。

 愛する妻の死をあきらめきれない伊耶那岐命は、亡き伊耶那美命を追いかけて黄泉の国を訪れます。そもそも黄泉の国は、生者が決して立ち入ってはならない「死の穢れに充ちた異界」でした。ところが、いまだ「死」の何たるかを理解していなかった伊耶那岐命は、いのちある者でありながら死者の世界を訪れ、もう死んでしまった妻を連れ帰ろうとしたのです。

 伊耶那岐命の問いかけに伊耶那美命は「黄泉の国の大神に相談します。その間、どうか私の姿を見ないでください」と言い置いて立ち去りました。けれども伊耶那岐命はその約束を破り、蛆が涌くおぞましい妻の姿を、目の当たりに見てしまったのです。変わり果てた妻の姿を見た伊耶那岐命は、恐れおののいて逃げ出しました。そのあとを、まるでゾンビ軍団のような黄泉醜女(よもつしこめ)ら黄泉の国の魔物たちが追いかけ、最後には伊耶那美命が自ら追いすがってきました。

「生死の起源」「死と誕生」の伝えとは?

 伊耶那岐命は、「あの世」と「この世」を分かつ「黄泉比良坂(よもつひらさか)」まで逃げ切り、千人がかりでやっと動かせるほどの大きな岩「千引の石(ちびきのいわ)」で「死の世界」と「生の世界」を、しっかりと遮断したのです。

 今生の別れに際して、伊耶那美命は、こう呼びかけました。「愛しいあなた、あなたがこんな仕打ちをするのなら、私は毎日、千人の青人草をくびり殺します」。ここにすべての青人草(あおひとくさ・人間)に、「死の宿命」が定まったのです。

 これに対して、伊耶那岐命は決然と言い返します。「いとしい妻よ、それなら私は毎日、千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を建てよう」(「愛しきわが汝妹の命、…吾は一日に千五百の産屋立てん」)。いにしえの出産は、臨時の産屋を建てて行われていました。千五百の産屋を建てるということは、日々新しいあまたの「いのち」を生み出すことにほかなりません。

 「生命誕生」によって「死の定め」を乗り越え、命のリレー・命のバトンを永遠に繋いでゆくべきことを、伊耶那岐命は力強く宣言したのでした。

三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)の誕生とは?

 冥界からの生還を果たした伊耶那岐命は、九州の東海岸・「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはら)」に赴き、「黄泉の穢れ」を濯ぐ「禊(みそぎ)」を行います。

 禊による伊耶那岐命の心身の浄化、お力の甦りによって、次々と神々が現れます。まず禍津日神。そして禍津日神のもたらす災禍を直す直毘神。ついで底津綿見神・中津綿見神・上津綿見神の三神。「海の民」を束ねる阿曇連の祖神、博多湾の守護神・志賀海神社のご祭神です。さらに底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命。いわゆる住吉三神、浪速津(大阪湾)を守護する住吉大社のご祭神です。わが「海の国」の海上交通の要衝、博多湾と浪速津の守護神が、相次いで誕生したのでした。

 そして禊による「浄化」と「甦り」の頂点に、もっとも貴い「三貴子」、天照大御神(アマテラスオオミカミ・日の大神)、月読命(ツキヨミノミコト・月の神)、須佐之男命(スサノヲノミコト・「元祖荒ぶる神」)が、次々に誕生したのでした。禊ぎのミラクルによって、「国作り」の跡継ぎ世代が、勢揃いするに至ったのです。

世代から世代へ続く「命の連鎖」

 伊那岐命の「一日に千五百の産屋立てん」という力強い宣言には、「死の宿命」を凌駕する「生命の誕生」と、その「連鎖」と「永続」の願いが籠められています。それは子孫を生むことだけに留まりません。「作品」や「営み」を産み出し、次世代へと繋いでいくこと。それこそが、伊耶那岐命の言葉に籠められた祈りなのではないでしょうか。

 こうしてわが国の国作りは、いわば「創業の第一世代」から、「新生の第二世代」へと「世代交代」していくことになりました。ここに『古事記』の物語は、次なるステージを迎えるに至ったのです。(つづく)

●『古事記』講読の受講生の声

  • つらいこと・嫌なことがあったら「禊」をしよう(顔を洗おう、シャワーを浴びよう)。そうすれば、身も心もリフレッシュして、どんなことでも乗り越えられる。そのことを、伊耶那岐さまが教えてくださっているのだ。
  • 天地がある限り、いのちが受け継がれてゆくべしという「未来志向の精神」が、日本神話の祈りなのだと思います。

※武田教授担当授業での受講生のコメントをもとに再構成

 

武田 秀章

研究分野

神道史、国学史

論文

「御代替りを考える」(2020/03/24)

「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」(2019/11/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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