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新時代への想いを込めた校歌・校旗と渋谷移転

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研究開発推進機構 准教授 渡邉 卓

2023年4月3日更新

 國學院大學は、令和4年で140周年を迎えた。そして令和5年には、飯田町校地から、渋谷の丘に移転し100年を迎える。本学は、大正9年(1920)に大学令による認可を得て、名実ともに「大学」に昇格した。それによって従来の飯田町校地・校舎はでは手狭になり、あわせて校舎周辺の路線の発達による騒音が授業に支障を来していた。
 そこで、大正12(1923)年5月に渋谷の新校地の校舎へと移転し、6月からは授業が開始された。また7月には、理事会において、皇典講究所の新総裁に久邇宮邦彦王を推戴することを決定した。しかし、9月に起こった関東大震災によって、新校舎の一部が損壊し復旧を余儀なくされたため、新総裁推戴式の挙行は猶予されたのであった。
 復旧工事を終えて翌13年11月25日に、総裁宮推戴式並びに新校舎復旧竣功式が催され、このとき初めて校旗が掲げられ、校歌などが発表された。校旗は、赤紫に染められた中央に校章「國學」と金糸で刺繍され、四囲は金のモールが施された。この校旗は、学生生徒の寄付金によって調製されたと伝えられている。なお、現在使用されている校旗は昭和62年(1987)に作製された2代目である。また、本学のスクールカラーは、平成期になって初代校旗の色にちなみ制定された。
 校歌の作詞は当時の学長の芳賀矢一が、作曲は童謡作曲の最高峰と称される本居長世が担った。当初、学生代表から校歌作詞を懇願された芳賀は、発表までに時間が無いことを理由に固辞したが、嘆願を繰り返され作詞者不詳を条件に引き受けたという。芳賀は「国文学の父」と謳われ、完成した詞には、未来へ向けて本学のさらなる発展を期した渋谷校地への移転を祝するとともに、建学の精神が高らかに歌いあげられている。作曲者の本居長世は、国学者である本居宣長の系譜に連なる6代目で、本学草創期の教員であった本居豊穎の孫にあたる。作曲家として「赤い靴」「七つの子」「十五夜お月さん」などの数々の名曲を手掛けた。現在、校歌は式典などで斉唱されるだけではく、本学チャイムとしてメロディが用いられている。

 

渋谷キャンパス内の芳賀矢一の胸像

 
 
 式典のたびに掲げられる校旗と、斉唱される校歌の成立背景には、渋谷移転や新総裁推戴と新しい時代を迎えた本所・本学の学生生徒の強い想いが込められているのである。これからの時代も、まさに学生の旗印として校旗・校歌に込められた精神は引き継がれていくであろう。学報連載コラム「学問の道」(第47回)
 
 

 

 

 

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