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水俣病を止められなかった「企業城下町」の構造

一般市民をも巻き込んだ公害と地域の関係性

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法学部教授 廣瀬美佳

2019年3月6日更新

熊本県水俣市の、湯の児温泉の海岸。

熊本県水俣市の、湯の児温泉の海岸。

 1950年代に表面化し、その後、世界的にも知られる公害に発展した熊本県・水俣市の水俣病。被害が拡大した背景には、企業の稚拙な対応、そして歯止めをかけようとしない国の不作為があった。

前回の記事:「水俣病の被害拡大はなぜ止められなかったのか

「要因は、それだけではありません。水俣市が置かれた環境も、被害拡大に関係していたと考えられます。当時、水俣市は企業城下町のような状況であり、その中心企業こそが加害者のチッソでした。市民が企業責任を追及するのは簡単ではなかったでしょう。この点も、水俣病の事例から学ぶべき部分です」

 そのように話すのは、國學院大學法学部の廣瀬美佳(ひろせ・みか)教授。水俣病の事例から学ぶべき「地域の環境」とは何なのか。前回に引き続き、経緯をたどりながら真意に迫る。

 

JB廣瀬先生④

 

責任を認めないまま、終息を狙った「見舞金契約」とは

――前回、水俣病が発生しながらも、加害者であるチッソ(当時の日本窒素肥料、のちに新日本窒素肥料に社名変更)が発生源対策を行わない、むしろ発生源であることを認めない状況まで伺いました。そして、国も歯止めをかけられませんでしたね。

廣瀬美佳氏(以下、敬称略) そうですね。被害者対応としてチッソに動きがあったのは、1959(昭和34)年。水俣病の患者組織との間で交わした「見舞金契約」です。

 ただし、この契約は“真摯”とは程遠い対応でした。死亡患者に弔慰金と葬祭料を含む一時金、生存患者には年金を払う内容でしたが、あくまで、チッソは加害者であることを認めないものだったのです。

 そして、もし将来、チッソの工場排水が原因だと決まっても、新たな補償金の要求は一切行わないと取り決めました。

――責任を認めないまま、ここで手打ちにしようとしたわけですね。

廣瀬 だと思います。まさに、企業姿勢が凝縮された契約といえるでしょう。この契約は、のちに判決で「無効」とされましたが。

 そしてその3年後、1962(昭和37)年には、生まれながらに水俣病の症状を持った「胎児性水俣病」が初めて“公式確認”されました。胎児にも影響が出ると判明し、事態はより深刻になります。

――それでも工場排水は流され続けたのでしょうか。

廣瀬 はい。チッソ・水俣工場が、原因となったアセトアルデヒドの製造を停止したのは6年後。1968(昭和43)年の5月でした。そして、停止から4カ月が経過した同年9月、ついに政府は工場排水が原因だという見解を示します。

――ようやくですね。

廣瀬 そうですね。この頃、新潟でも水俣病が発生しており、非常に大きな社会問題になっていたこともあるでしょう。なお、ここで触れておきたいのが、政府見解の前月、1968年8月に行われた「恥宣言」です。

 これは、チッソの労働組合の大会決議で発せられたものです。水俣病の公式確認からここまでの間に、労働組合として企業に責任を追及しなかったことを「恥」とし、その後は、組合として水俣病に取り組む姿勢を明確に宣言したものでした。チッソの社員からも、こうした動きが出てきたのです。

 

チッソはなぜ責任を否定し続けられたのか

――さすがにこうなると、事態は収束に向かいそうですね。

廣瀬 そうとも言えません。翌年からいよいよ第1次訴訟が始まりましたが、この時点では、チッソはまだ発生源であることを否定していました。事態は紛糾し、責任を認めようとしないチッソの態度に業を煮やした水俣病の患者やその支援者がチッソの一株株主となって、株主総会に参集したこともありました。

――それほどまで責任を認めないのは、理解に苦しみます。

廣瀬 ですが、当時はチッソを擁護する発言が多かったのも事実です。たとえば訴訟提起についても、当時は水俣の市民から一部批判が起きたといいます。この部分は、水俣病の被害拡大を語る上でとても重要なポイントになるでしょう。

――どういうことでしょうか。

廣瀬 前回もお話しした通り、チッソは当時、日本の中核を担うといっても過言ではないほど、重要な企業となっていました。重化学工業へと日本の産業が遷移していく中で、大きな役割を果たしていたといえます。だからこそ、国も簡単にチッソが原因だとは認めませんでした。

 それだけの企業ですから、彼らが地域にもたらしていた影響も強かったといえます。チッソは、水俣市の経済を一手に担うほどの存在となっており、水俣市はチッソの「企業城下町」のようになっていました。当時の社内報にもそういった表現が出てきます。水俣市の税収の半分以上がチッソ関連となる時期もあり、地域と企業の関係は非常に強いものでした。

 だからこそ、水俣病の被害が表面化し、それを訴える住民が現れても、他の住民から批判される、ひどい場合は差別されるという事態が起きてしまったのです。

――“城主”であるチッソへの批判となれば、その状況も想像がつきます。

廣瀬 最初に漁民が被害を訴え始めたとき、それを批判する住民も多かったといいます。また、被害が拡大する中で、マスコミの報道が増えましたが、それにより漁業以外の産業も打撃を受け、水俣出身というだけで結婚や就職などにおける差別も生じました。その際、チッソではなく患者に怒りの矛先が向けられていた事実があったと、当時を振り返る住民も多いのです。

 これは少し後のこととなりますが、水俣病の補償にまつわる認定申請が進むと、「にせ患者」がいると批判されるケースもありました。

 企業城下町という背景、町の経済を担うチッソが加害者だったからこそ、はからずも住民と住民の対立構造が起きてしまった。それは、チッソが責任を否定し続けられたこと、そして、これだけ問題が長期化したことと無関係ではないでしょう。

 

まだ終わらぬ水俣病。私たちが学ぶべき教訓とは

――訴訟が始まって以降は、どうなっていったのでしょうか。

廣瀬 第1次訴訟で患者が勝訴し、その後も、チッソの発生源としての責任それ自体は肯定されていきます。ただし、水俣病の被害は甚大であり、補償金の遅延という問題が生まれました。

 全ての患者に対して裁判という手続きを踏むと、時間がかかり、その間に亡くなる患者が出てくることから、被害者の救済を迅速に行うため創られた認定制度でしたが、第1次訴訟での勝訴等を契機として、認定申請が急増したことなどにより認定手続きが滞り、「待たせ賃」訴訟と呼ばれる裁判も起きたほどです。結局、その間に亡くなる患者も出てきました。

 一方、チッソ自体も水俣病に関する補償で経営が大幅に悪化しました。破産も免れない状況でしたが、もし破産すれば、水俣病認定患者に対する補償の原資はチッソが拠出する賦課金であることから、被害者の救済が困難になります。そこで行政は、1978(昭和53)年から熊本県債を発行するなどして、チッソの救済措置をとりました。実際は、国が大部分を引き受けたといいます。

 これらの紆余曲折を経て、水俣病の認定制度が作られていきました。前述のように、裁判で補償を勝ち取るには時間がかかってしまうので、政府が定めたいくつかの条件を満たしている人には、県からの療養費・療養手当や障害補償費など、または、チッソからの補償協定に基づく一時金(慰謝料)や年金などが支払われる形となりました。

――とはいえ、ニュースなどを見るとまだ完全な終結には至っていませんよね。

廣瀬 はい。胎児性の水俣病罹患者も多く、まだ補償は終わっていません。そして、水俣病かどうか、どこまでの申請を認めるかという部分でもいまだに議論は続いています。

 なお、チッソはその後業績回復し、2011年には分社化されました。親会社のチッソは水俣病の補償会社、分社した子会社のJNCは事業専門の会社という位置付けで、将来的に子会社の株式を売却して得た利益を親会社の補償にあてるシステムを取っています。

 いずれにせよ、補償が完了し、水俣病の問題が本当の意味で解決する時は、まだまだ先となるでしょう。

――これだけの公害になった要因は、第一にチッソの振る舞い、そして国の対応、さらには今回お話いただいた地域の環境ということが分かりました。

廣瀬 水俣病の加害者がチッソであることは間違いありません。しかし、被害が広がった要因は、それだけではなかったといえます。これは他の公害にも見られることで、加害者と被害者は必ずしも明確な対立構造ではなく、複合的に絡んだケースも多い。つまり、国や地域の環境、そこで暮らす人々を巻き込む可能性があるのです。

――時には一般市民も、被害者以外の形で公害に関わる場合があると。

廣瀬 その最たるものが道路公害です。道路公害は、工場からの排ガスだけでなく、道路を走る車の排ガスも相まって被害となるケースがあります。その場合は、車を運転する一般市民も加害者の要素を持つかもしれません。一般市民にも、そういったリスクがあるのです。

 ということで、次回は一般市民をも巻き込んだ道路公害の事例を紹介したいと思います。

(つづく)

 

研究分野

民法、医事法、環境法

論文

医療における代諾の観点からみた成年後見制度(2015/06/10)

平成25年法律第47号による精神保健福祉法改正と成年後見制度 ―医療における代諾の観点から―(2014/03/31)

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