ARTICLE

私たちが公害の“加害者”にならないために必要なこと

道路公害に見る、市民に必要な環境への意識とは

  • 法学部
  • 全ての方向け
  • 政治経済
  • 文化
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

法学部教授 廣瀬美佳

2019年4月8日更新

道路を走る私たちも、公害の「加害者」になり得る。

公害というと、「原因を発生させた企業」と「被害を受けた住民」など、加害者と被害者が対立する構造を思い浮かべやすい。しかし、公害の中にはこの対立の構図が必ずしも単純ないし明確ではないものもあるという。

前回の記事:「水俣病を止められなかった『企業城下町』の構造

「代表的な例が道路公害です。道路公害においては、ときに一般市民が被害側と加害側の両方になるケースも少なくありません。だからこそ、誰もが『自分も加害者になり得る』と心に留めることは、環境への配慮が求められる現代において重要です」

 こう指摘するのは、國學院大學法学部の廣瀬美佳(ひろせ・みか)教授。日本の公害史を取り上げてきた本連載の最終回では、道路公害を入口に、持続可能性が求められる未来へ向けて、私たちが取るべき姿勢を考える。

 

 

知らぬ間に、公害の「加害者」に加担している可能性も

――前回、水俣病を振り返った記事で、加害者と被害者が必ずしも明確な対立構造になるわけではなく、複合的に絡んだケースも多いと伺いました。住民が被害側と加害側の両方になる可能性もあるということですよね。

廣瀬美佳氏(以下、敬称略) はい。顕著な例が道路公害です。道路公害は、走行する車の排気ガスが原因となることが多数です。となると、住民は、排気ガスで汚染された空気を吸う「被害者」であると同時に、その道路を利用し車を運転することで、汚染に加担する「加害者」、あるいは「加害者に準じた立場」だとも言えます。“被害者と加害者の同一性”があるのです。

 廃棄物の問題に関しても同様です。処理の際に問題となる廃棄物は、元をたどると私たち一般市民の家庭から出たゴミかもしれません。また、生産の過程で大量の産業廃棄物が生み出される製品があったとしたら、その製品を使うことで、一般市民が問題を助長することにもなります。

 公害では、得てして被害者としての市民がクローズアップされがちですが、加害者にもなり得ますし、被害者と加害者の両方に関与している可能性さえあるのです。

――たとえば道路公害の裁判などで、実際に一般市民が加害者として責任を負ったケースはあるのでしょうか。

廣瀬 裁判で一般市民の責任まで問われたケースは見当たりません。ただ、裁判によって一般市民の“振る舞い”にも影響が及んだ事例はあります。つまり、この連載で述べてきた公害の「発生源対策」について、市民も関わった形です。

 代表例が、1996年から始まった「東京大気汚染訴訟」です。1996年〜2006年まで、東京在住でぜん息や気管支炎、肺気腫などにかかった患者やその遺族が訴えたもので、訴訟は6次にわたり、原告は633人にまで上りました。

 幹線道路などから出る排気ガスが発症の主要因という主旨であり、道路管理や排気ガスの規制を行うべき国、東京都、当時の首都高速道路公団、そして環境負荷が高いとされるディーゼル車を製造・販売している自動車メーカー7社が訴えられたのです。

 特徴的だったのは、自動車メーカーも訴えられたことでしょう。道路の管理責任を負う行政だけでなく、製造元のメーカーが訴えられたケースは、道路公害の中でも異例でした。

 

道路公害の発生源対策を実行するのは、他でもなく「市民」

――かなり大規模な訴訟だと思いますが、どのような結果となったのでしょうか。

廣瀬 6次の訴訟はそれぞれ原告が異なり、これらのうち判決が出たのは第1次訴訟のみです(東京地裁平成14年10月29日判決)。

 東京都における排気ガスの大気汚染は1960年代から問題になっていましたが、1970年代に入ると、全国規模での幹線道路の建設・開通に伴い、西淀川公害訴訟や川崎公害訴訟、尼崎公害訴訟、名古屋南部公害訴訟と、次々に道路公害に係る訴訟が提起され、各地裁で判決が出されるようになります。これら1つひとつの判決の詳細は細かく変わりますが、やがて自動車排気ガスによる健康被害に対する国や道路公団の責任が認められるようになっていきます。

 そして、この東京大気汚染訴訟でも国と東京都、公団に賠償を命じる判決が出ました。一方、自動車メーカーについては、最後までその責任が認められませんでした。

 ただし、裁判の規模が非常に大きく、長期化する可能性もあったため、最終的には2007年に被告と原告が「和解」に至ります。

 和解の内容として、国、東京都、公団、そしてメーカーが患者の医療費負担を拠出する「医療費助成制度」が創設されました。さらにメーカーは、解決一時金として12億円を負担しました。

 これらは「被害者の救済」ですが、ポイントにしたいのは和解条項として付加された環境対策、つまり「発生源対策」です。たとえば東京都は、植樹帯の整備や大気観測体制の強化などを行うこととしました。さらに、低公害車の普及促進にも力を入れることが決まりました。

 訴訟の中で一般市民が訴えられることはありませんでしたが、この発生源対策の話は、一般市民に関連してきます。

――どういったことでしょうか。

廣瀬 繰り返しますが、この訴訟の始まる前から、自動車による大気汚染の問題意識が非常に高まっていました。東京大気汚染訴訟は、その決定打になったといえます。

 大気汚染や渋滞による経済損失の解決策として、東京都は2000年頃から「ロードプライシング」を検討します。ロードプライシングとは、特定の道路や時間帯における自動車利用に対して、課金などを行うこと。それにより、交通量の抑制や分散を図るものです。渋滞(混雑)対策を目的として、海外で行われてきました。

 また、同じ意味で、車ではなく公共交通機関の利用促進も検討されました。

 こういった施策を考えるのは行政ですが、その実行者となるのは、一般市民です。普段使う道路を変えたり、車ではなく電車で移動したり。人々の生活につながってくるのです。

――つまり、発生源対策を担うのが一般市民になると。

廣瀬 はい。そしてもうひとつ、訴訟が盛り上がって以降、環境負荷の低い車が急速に発達します。「エコカー」という言葉が当たり前になり、電気自動車やハイブリッドが出てきました。これは先ほど述べた「低公害車の普及促進」にもつながりますが、当然ながらその車を使うのは一般市民です。被害者も一般市民なら、発生源対策を行うのも一般市民という構図になっています。

 

生活において、どこまで環境とのつながりを意識できるか

――お話を聞くと、発生源対策として一般市民がどんな手段で移動するかも重要ですし、さらには、低公害で環境に優しい車を購入するなど、消費者としての意識改革も必要になったわけですね。

廣瀬 そうですね。その点では、今や環境負荷の低い車を市場に出すのが当然の流れになっているわけで、良い方向に進んだと言えます。

――最近はサステナビリティ(持続可能性)が重視されるなど、環境配慮の意識が高まっています。実はその視点でも、このような公害の事例が重要になるのではないでしょうか。

廣瀬 そう言えるかもしれません。私たちは皆さまざまな顔を持っており、一見、環境破壊や公害の“加害者”とは無関係な立場にいると思っていても、実は消費者としてその製品を買ったり、使ったりする中で、公害や環境破壊に加担している可能性があるのです。

 だからこそ、環境や公害に強い意識を持つことが消費者に求められるでしょう。その重要性は、道路公害をはじめとした過去の事例からも学ぶことができます。

――日常的にそういった意識を持って生活し、製品を購入できるかということですね。

廣瀬 とはいえ、消費者の立場からすれば、どうしても環境負荷より利便性や価格を追求してしまうのではないでしょうか。あるいは、「環境に優しい」という要素と「便利」という要素を、まるで二項対立的に捉えてしまうケースも多いと思います。つまり、片方が高まればもう片方は下がる、両立はし得ないと。

――それはあると思います。何より、いくら環境意識が高まっているとはいえ、多くの消費者が「環境に優しい」という要素を重視して購買しているかは疑問です。

廣瀬 だとすると、環境への配慮が利益に結びつかないリスクが出てきますよね。企業としても営利を追求しなければいけませんから、いくら環境に優しくても利益が上がらなければ続けられません。

 しかし、必ずしも環境負荷と利便性、あるいは利益というものは対立するものではないはずです。それは先ほど話した低公害車の普及を見ても明らかでしょう。消費者もメーカーも、まずはその先入観から抜け出すべきではないでしょうか。

 企業としては、利便性がありつつ、公害や環境汚染に結びつかないものを開発する。私たち消費者は、そのような要素のある商品を“あえて”使うことが求められます。

 そして、そういった生活、消費をするためには、「誰もが発生源になり得る」ということを意識して過ごす必要があるでしょう。それを認識できるひとつの事例が、道路公害なのではないでしょうか。

――かしこまりました。5回の連載で日本の公害史を振り返りましたが、こういった過去の事例も、実は未来に生かせるものが非常に多いと感じました。

廣瀬 大切なのは“過去に学ぶ”ということです。もちろん、時代によって公害の内容や背景は変わりますが、よく見るとその構図や根本の原因は、どんな時代にも共通しているものがありますから。

 たとえば、実際に公害が発生してしまった時、危機が起きてしまった時にどのような姿勢で対応すべきかは、時代が違っても大きく変わらないのではないでしょうか。発生時点で目をつむり隠蔽すれば、それは瞬く間に広がって大損害となり、やがて自分に返ってきます。

 この連載の2回目で話した鉱害が良い例です。発生源対策を怠った足尾銅山と、当時の技術を結集して向き合った日立鉱山の対比。それは時代にかかわらず、すべての人々の学びとなるはずです。

 そういった過去を胸に刻み、過去から真摯に学ぶことが未来につながるはずです。それこそが、公害史を振り返る意味と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

研究分野

民法、医事法、環境法

論文

医療における代諾の観点からみた成年後見制度(2015/06/10)

平成25年法律第47号による精神保健福祉法改正と成年後見制度 ―医療における代諾の観点から―(2014/03/31)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU