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明治・大正・昭和を生きた研究者秘話
國學院出身の神職・神道学者 江見清風

吉田神道研究に先鞭

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研究開発推進機構准教授 大東 敬明

2018年5月9日更新

 『國學院雑誌』は、明治27年(1894)に、「国史国文の普及を計」ること、「深くこの学問を研究して、其の新彩を発揮する」ことを目的として発刊された(『國學院雑誌』第1巻1号「発刊の趣旨」)。

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江見清風(『神道説苑』より)

 明治44年、江見清風(1868〜1939)は、同誌17巻に12回にわたって「唯一神道論」を連載する(1号〜12号)。

 江見は、明治元年(1868)、新潟市に生まれ、24 年に國學院選科に入学した人物である。國學院は23年に皇典講究所が設立した学校で、国史・国文・国法を教え、あわせてその研究・応用に必要な諸学科を修めることを目的とする。当時、講師には、小中村清矩、落合直文らがいた。江見はこのような環境で学んだ。27年に卒業(2期)すると、翌年には現在の東京大学史料編纂所に入る。28年には彌彦神社宮司となり、その後、神宮禰宜、八坂神社宮司、明治神宮権宮司、春日神社(現在の春日大社)宮司などを歴任した。
 「唯一神道論」は、室町時代に吉田兼俱(1435〜1511)によって創唱・大成された吉田神道(唯一神道)の成立と展開を論じたものである。吉田神道研究に先鞭をつけた同論文は、彼の没後に刊行された論文集『神道説苑』(昭和17年、増補版:18年、ともに明治書院)に「吉田家の吉田神社に於ける奉仕並に其の信仰の一斑」(『神社協会雑誌』37巻6号、
13年に掲載)とともに収録されている。

 この他、論文は多いが、著書に『神社者国家之宗祀也』(聖訓奉旨会、大正4年)がある。神道史学者の宮地直一は、江見の研究を「国史と国文との両面を綜合した上に立つ」ものとし、伊勢神道(度会神道)研究に先鞭をつけたことでも評価している(『神道説苑』「刊行の由来」)。
 このように江見は、本学出身の神職であると同時に神道学者でもあった。学報連載コラム「学問の道」(第6回)

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