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国学から始まる「學問ノ道」

国学の学統と國學院

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研究開発推進機構 助教 渡邉 卓

2017年11月29日更新

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 明治23年7月、山田顕義・皇典講究所初代所長が公表した「國學院設立趣意書」には、國學院の学問として、国史・国文・国法を中心に学び、海外百科の学問も網羅兼修することが述べられている。それに先んじて、國學院の母体である皇典講究所では、明治15年11月の開校式にて初代総裁有栖川宮幟仁親王より賜った告諭に「凡學問ノ道ハ本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ」と示されている。これは、日本の根本を伝統文化に基づきながら究明すること(「本ヲ立ツル」)が学問の道において重要であることを意味する。この告諭は、本学の建学の精神の基底であり、学長を務めた芳賀矢一が、後に作詞した校歌にも、その精神が歌い込まれていることは、よく知られている。

 そもそも國學院の学問は、校名に冠する「国学」にまで遡る。国学とは、日本の国の成り立ちを考究し、神道・伝統文化に基づく心を究明する江戸時代の学問である。国学の中心的な学統は、「国学の鼻祖」と称された契沖を源流に、後に「国学の四大人」と讃えられた荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤といった代表的な国学者たちに継承され、数々の古典研究や思想的な営為がなされた。国学勃興以来の研究教育理念を継承・発展するために、神職養成と古典研究を中心として設置されたのが皇典講究所であり、国学の学統に連なる人物が、教壇に立ってきた。

 本学の輝かしい伝統と独自の学風が展開されてきたのは、国学を出発点とする神道精神に立脚しており、その系統は135年を経て今日に継承されている。謂わば、国学からの歴史が本学の「學問ノ道」ということになるのである。学報連載コラム「学問の道」(第1回)

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