東京圏に迫る高齢化の危機。その対策として、高齢者の地方移住を促進する動きが起きている。コロナ以降は、この流れが強まるかもしれない。一方、海外を見ると、日本よりずっと早く高齢者の地方移住は活発化していたという。
「イギリスでは20世紀初め、アメリカでも20世紀半ばには高齢者の移住が定着していたことが人口移動の研究から明らかになっています。さらに、その動きを分析すると、時代が進む中で高齢者の“移住先”も変化しています」
こう説明するのは、國學院大學経済学部の田原裕子教授。高齢者移住の先進国であるイギリス・アメリカは、どんな変遷をたどってきたのか。その歴史を見ながら、高齢者移住のあり方を考えていく。
國學院大學経済学部教授の田原裕子氏。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。職歴:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部助手、國學院大學助教授を経て現在に至る。少子高齢化や都市再生など、現代社会が抱える様々な問題を“街のコミュニティー”を通じて考察する専門家。
アガサ・クリスティの作品からも分かる、イギリスの移住文化
――今回は、海外における高齢者移住の動きを伺えればと思います。
田原裕子氏(以下、敬称略) わかりました。実は1970年代以降、人口移動の研究において「高齢者」の動きに着目する研究が海外を中心に増えました。その成果の一つが、年齢別の移動率に着目して、人の一生(ライフコース)の間で移動が生じやすいタイミングを明らかにした研究です。ここで分かったのが、一生の間に移動が活発になる年齢層は4つあり、また、多くの先進国がそのパターンを共有しているという点でした。
※Paul Boyle,Keith Halfacree and Vaughan Robinson eds.(1998)Exploring Contemporory Migration,Routledge.による「a mode age migration schedule」を参考にJBpressにて作図
その年齢と移動率のパターンを模式的に示したのがこのグラフです。移動率の1つ目のピークは乳幼児期。子どもが産まれたり、少し大きくなったりしたタイミングで、子育てしやすい環境や広い家に引っ越すなどの移動が起きやすいからです。2つ目は20歳前後。大学進学や初就職のタイミングで移動が活発化します。この2つは、当時の研究者もおおむね予測していました。
当時の研究者にとって発見だったのは、中年期以降は移動しなくなるという常識に反して、70代半ばからもう一度移動が活発化している点です。人生の最終盤において、老人ホームや病院に入るといった移動が現れているのでしょう。これは、高齢後期における「人口移動の反騰現象」と名付けられ、日本でも1970年代末にはその発現が確認されています。
もう一つ、大きな発見となったのが60歳前後での移動率の高まりです。子育てが一段落し、職業からも引退するタイミングで、ふるさとへのUターンや第二の人生を楽しむための移動が理由だと考えられます。
ただし、先に述べた3つの移動率の高まり(ピーク)については、多くの先進国に共通して確認できますが、60歳前後での移動率の高まりは、イギリスやアメリカでは確認できるものの、どの国でも見られるわけではありません。実際、日本では都道府県別に転出・転入率を見ると、東京都でこの年代の転出率の高まりが確認できる一方、地方圏のいくつかの県で転入率の高まりが確認できるなど特定地域の傾向は見られるものの、全国レベルで総人口の移動率を見る限り、60歳前後での移動率の高まりは顕著ではありません。
――それほど、この二国は高齢者移住の普及が早かったと。
田原 そうですね。さらに1980年代になると、人口移動の研究では、年齢と移動率の関係に時間や空間の視点を取り入れ、モデル化しようとする研究が現れました。下の図は先ほどみた年齢と移動率の関係に、時間(時代)の視点を取り入れて、モデル化したものです。
※ Paul Boyle,Keith Halfacree and Vaughan Robinson eds.(1998)Exploring Contemporory Migration,Routledge.による「changing age migration schedules over time」を参考にJBpressにて作図
まず、工業化以前の社会においては高齢移動が発生していません(グラフa)。そもそも平均寿命が50年ほどと短いためです。続いて、工業化が起きますが、すぐに高齢移動が増えるわけではありません(グラフb)。
※ Paul Boyle,Keith Halfacree and Vaughan Robinson eds.(1998)Exploring Contemporory Migration,Routledge.による「changing age migration schedules over time」を参考にJBpressにて作図
変化が起きるのは工業化から数十年が経過したタイミングです(グラフc)。この時期になると、工業化の初期の時代に職を求めて田舎から都会に移住した人々の中から、老後、田舎に戻る人が現れるようになり、人生の最終盤の移動が活発化します。と同時に、60歳前後での移動率の高まりもわずかに確認できるようになります。そして脱工業化社会になるとリタイア世代の移動がより活発に(グラフd)。移動の年齢が少し早まっているのは、脱工業化社会においては、若いうちに財を成して早めにリタイアする、アーリー・リタイアメントが増えたためです。 そして、工業化を経験した先進国では、こうした変化のプロセスがある程度共通して生じるのではないか、と考えられたのです。
このモデルにもっとも当てはまるのがイギリスです。イギリスは19世紀半ばには産業革命を経て工業化社会に移行し(グラフb)、19世紀末から20世紀初頭にはcの段階に移行していたと考えられますが、ちょうどその頃には、ロンドンからイギリス南部の海岸地域などへのリタイアメント移動が活発化したことが確認されています。
また、アメリカも20世紀初頭にヨーロッパ諸国を凌駕する世界最大の工業国になりましたが、それから数十年経過した20世紀半ばにはリタイアメント移動の活発化が報告されています。
――20世紀半ばには高齢者の移住行動が一般的になっていたと。
田原 余談ですが、アガサ・クリスティが1926年に書いた小説にも、すでにリタイア移住の記述が出てきます。彼女の作品に、エルキュール・ポアロという主人公のシリーズがありますが、ポアロはイギリスで私立探偵として活躍した後、引退して隠居しようと田園地帯に引っ越します。そこで起きた事件を書いた作品が「アクロイド殺し*」。大衆小説はその時代の生活や文化が反映されており、移住の浸透を示しているのではないでしょうか。(*出版社によって書名和訳が異なります。)
産業革命は、なぜロンドンから出たい人を増やしたのか
――ちなみに、なぜイギリスで移住が早く広まったのでしょうか。
田原 理由は3つあります。まずは工業化が早かった点です。18世紀後半〜19世紀半ばにかけて産業革命が進行し、工業化が進んだため、19世紀後半にはブルジョワジーはもちろん、労働者の中にも一定の貯蓄を持つゆとりのある退職者が増えます。多くの人に移住の資金が生まれました。
2つ目の理由は、ロンドンの環境悪化です。当時、スモッグにより「霧のロンドン」と言われるほど、環境悪化が顕著でした。もちろん工業化の影響です。そのため、老後は「ロンドンを出たい」と考える人が増えたのでしょう。
3つ目は鉄道の普及です。工業化で鉄道が張り巡らされ、旅が大衆化しました。それにより、遠い地域を訪れる人が増加。その人たちが「将来、この場所で暮らしたい」と考えたのでしょう。人はまったく知らない土地に移住するのは敷居が高いですが、一度訪れている場所は移住しやすくなります。この3つの条件が揃い、リタイアメント移動が進んだと考えています。
――ロンドンから出たい人が増え、同時に鉄道の普及で地方に行く敷居も低くなったと。
田原 はい。人の移住が生まれるには「プッシュとプルの両立」が重要です。つまり、その場所から“出たい”と思う「プッシュ要因」があり、同時にあの場所に“行きたい”という「プル要因」がある。片方ではなく、両方がマッチしなければ移住は起きにくい。これは日本の移住施策を考える上でも重要になるでしょう。
――移住は簡単ではないからこそ、両方の動機が揃わなければいけないと。
田原 そうですね。ちなみに日本については、“工業化”を高度経済成長期にあてはめるとしっくりくるのではないでしょうか。以前の記事で説明したように、高度成長期に上京した団塊の世代をターゲットに、リタイアメント移動のムーブメント=大衆化が生じたのもうなずけます。
移住が文化になるほど、移動する先は分散していく
――なるほど。ところで、イギリスやアメリカの高齢者はどういった場所に移住していったのでしょうか。
田原 これについては、移住が普及していく中で変化しています。
高齢者の移住が増えた初期は、故郷に帰るケースが多く見られます。さらに移住の普及が進むと、高齢者は故郷だけでなく、著名なリゾート地へと移住する流れになります。
興味深いのはその先です。移住者が増えると、リゾート地の地価上昇が起きます。結果、そのリゾート地に行けない、あるいは避ける人が出てくる。次第に、移住先は分散化します。つまり、移住先の動向には、3段階のステージがあるのです。
たとえばイギリスは、ある時期にロンドンからリゾート地の多い南部海岸に移動する太い流れができます。しかし時代が進むと、移動先は分散化。南部ではなく、むしろ気候の厳しい北部へ向かう流れも出てきます。
――アメリカでも、同じような傾向なのでしょうか。
田原 はい。アメリカも同様です。先ほど紹介したようにアメリカでは20世紀半ばに高齢期の移住が顕在化していますが、最初に目立ったのは工業化が進んだ東海岸から南部のフロリダへの移動の流れでした。
次いで西海岸のカリフォルニアのリゾート地に向かう動きが活発化します。しかし、次のステージとして、移動先が多様になり、中西部の山間地域へ向かう流れも出てくるのです。
――そういった変化が見て取れるのですね。
田原 さらにアメリカでは、この流れを捉えて高齢移住者をターゲットにした計画的な住宅団地、街の開発が行われます。「リタイアメントコミュニティ(RC)」と呼ばれ、多数の民間企業が参入しています。
RCをビジネスとして最初に成功させたのはデル・ウェップ社の「サンシティ」で、1960年に最初の物件の販売を開始したのですが、同社はその後、全米各地でRC事業を展開しています。
――それほどの成功を収めた施設とはどんなものでしょうか。
田原 RCの代表的な成功例であり、高齢者コミュニティを考える上で、題材にすべきものではないでしょうか。詳しくは、次回説明します。
(第4回へつづく)
- 東京に迫る高齢化の危機、「移住」は防御策となるか(連載第1回)
- 福島の村を救った、画期的な移住の施策とは(連載第2回)
- 米国で60年続く住民運営の高齢者コミュニティとは (連載第4回)
- 地方だけではない!多様化していく高齢者の移住先(連載第5回)
田原 裕子
研究分野
地域社会問題、高齢社会と社会保障
論文
「100年に一度」の渋谷再開発の背景と経緯ー地域の課題解決とグローバルな都市間競争ー(2020/11/30)
「都市再生」と渋谷川(2018/03/10)