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渋沢栄一から学ぶ次世代型CSRのヒント

100年以上も継続している渋沢の社会事業

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経済学部准教授 杉山 里枝

2017年3月7日更新

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今回は渋沢栄一が関わった社会事業について解説します。これまで渋沢の社会事業が語られる際には、福祉関係や社会学からのアプローチが多かったかと推察します。生活困窮者や孤児、老人などの社会的弱者を救うために設立された養育院が代表例です。1874年より関与し、1876年に事務長に、1890年には院長に就任し、その後91歳で亡くなるまでおよそ50年間勤め上げたというものです。養育院は戦後も続き、現在の東京都健康長寿医療センターの原点となっています。渋沢がこだわった「継続性」。現代でも実際に感じることができるのです。しかも、これだけではありません。慈善事業の他にも教育、文化など多方面において渋沢は多くの社会事業に取り組んでいます。

ここで一つ疑問が生じます。これまで渋沢の功績に光を当て世に紹介してきた経済・経営学者が、なぜ渋沢の社会事業にまで研究の手を伸ばさなかったのか。もしかしたら渋沢とよく対比される岩崎弥太郎が創った三菱をはじめとする財閥系企業(戦後はメガバンクを中心とした企業グループと呼ばれますが)らが日本経済をけん引してきたという事実が一因なのかもしれません。

第一国立銀行や大阪紡績会社などをはじめ、財閥系企業にも対抗できる会社組織に渋沢が携わった例はいくつもあります。財閥系企業VS非財閥系企業、その分析だけでも相当な労力を要するわけです。しかもCSRやCSVなど企業による社会的貢献が今ほど重視されていない時代です。600ある社会事業よりも、まずは500の経済的事業を研究することにリソースが注がれたことは当然ともいえるでしょう。

さて、渋沢が関与した社会事業600余の代表例を挙げます。純粋な社会事業としては、養育院、中央慈善協会、博愛社(日本赤十字社)、愛の家など100事業ほどあります。教育でいうと、一橋大学、日本女子大、早稲田大学、東京経済大学、二松學舍大学をはじめ150ほど。渋沢が教育に力を入れた理由は、良い人材を社会に送り出し、そうした良い人材を経営者や労働力として日本全体を発展させたいとの思いからのようです。

ちなみに、女子教育に力を入れた理由は、女性の社会進出を目指したものではなく、女子教育が広まれば良妻賢母が増える。すなわち知性豊かで気品ある良き母親が一家庭を守ることで、父親は家の心配なく社会で活躍でき、良い子供も育つとの考えからだと伝えられています。現代からすると古典的な考えに思われますが、戦前期の日本です。時流を考慮すると最も合理的な考え方だと思いませんか。

国際交流に関しては日本国際児童親善会、YMCA環太平洋連絡会議など他多数。アメリカから贈られた「青い目の人形」への答礼品を企画調達することを政府から依頼されたのも渋沢です。さらに、財団法人聖路加国際病院初代理事長や財団法人滝乃川学園初代理事長を務めるなどーー。この場では語り尽くせませんね。

 

 

 

杉山 里枝

研究分野

日本経済史・経営史

論文

「今こそ学ぶべき渋沢栄一の経営理念」(2024/03/20)

「中京財界と渋沢栄一」(2023/07/01)

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