東北三大祭りの1つである「青森ねぶた祭」で知られる青森市。本州最北の中核市の中心地に、廣田神社は建っている。1200年以上の歴史を持つとされ、青森市の基盤を築いて「青森の恩人」と呼ばれる青森城代だった進藤庄兵衛(しんどう・しょうべえ、1614~86年)を御祭神として祀る。院友(本学卒業生)である田川伊吹宮司(平20卒、116期神文)は、郷土の文化や歴史を大切にしたいと地元での進藤の知名度向上に尽力。「ねぶた御朱印」や地元の名産品をかたどった津軽弁のおみくじを考案するほか、他宗教と連携した活動にも積極的だ。田川宮司に、神職として創意工夫をこらした取り組みを続けることへのこだわりについて語ってもらった。
全国最年少で宮司就任
青森市の社家に生まれ、将来は神職に就くのだろうと漠然と考えていました。平成20年に神道文化学科を卒業し、奉職したのが寒川神社(神奈川県寒川町)です。後に知ったのですが、先代の父もかつてお勤めしており、父と一緒に奉職されていた方々が残っておられ、お世話になりました。ご縁と思います。
ただ、寒川神社への奉職はわずか1年間のことでした。父が急逝したため、青森市へ戻り、平成21年6月、宮司に就任しました。当時23歳で、全国最年少だったそうです。それまで人前で祝詞を上げたことさえほとんどありませんでしたから、最初の数年間は大変でした。学生時代より勉強したと思います。
郷土文化は日本文化の源流
御祭神は6柱です。このうちの1柱が進藤庄兵衛の神霊で、廣田神社に唯一、祀られています。進藤は弘前藩の家老で、青森城代として商業発展や土地開拓に力を尽くし、現在の青森市の礎を築きました。市民は「青森は歴史のない街」とよく言います。私が青森市に戻った当時、進藤を知る人は少なく、歴史の中に埋もれた存在でした。
神職の役目は、人と神様をつなげる「取り継ぎ役」です。そして、郷土の文化や歴史に愛着を持ってもらうことも、地域に根ざす神社の大切な役割です。神道は日本文化そのものであり、郷土文化は日本文化の源流ともいえます。神社を継ぎ、進藤の功績を広く知ってほしいと願うようになりました。
そうした中、平成26年には進藤の生誕400年を記念した茶会などが、地元有志によって盛大に開かれました。メーン会場は進藤が政務を執り行った御仮屋(おかりや)跡(現在の青森県庁)の横にある公園でした。私も企画や運営に携わらせていただき、郷土の偉人への地元の関心は高まったと感じています。翌年には、青森ねぶた祭の題材に初めて進藤を用いていただくことがかないました。
廣田神社では、そのねぶたの原画を基にした「ねぶた御朱印」を作り、期間限定で頒布しています。おかげさまで、求める参拝者が多く、特に8月のねぶた期間中は朝から晩まで書き通しです。お守り袋もオリジナルの物があり、県内で活躍するデザイナーの手による絵柄に人気があります。今年は、郷土の文化や言葉を知ってもらおうと、青森県名産のリンゴとホタテをかたどった津軽弁のおみくじを作り、こちらも好評を得ています。
戦争の記憶も、忘れてはならない郷土の歴史
地域密着の年中行事も大切にしています。神社の祭りは地元の方たちと一緒になって作り上げることに意義があります。平成8年の神社創建1000年に合わせて作られたものの、ほとんど使われることなくしまわれていた御輿による神幸祭を、私の代になって恒例化させました。郷土の文化も一緒に取り入れたいと考え、地元のねぶたと一緒に練り歩く祭りとして行っています。2月の節分祭では、地元の事業者の協力を得て、豆まきの際に仕込むくじの景品を奉納していただくようになりました。雪深い中の境内で行われますが、毎年、多くの方に足を運んでいただいています。
宗教の枠を超えた取り組みもしています。先の大戦では青森県人がパラオへ戦車隊として出兵し、多数亡くなりました。戦後70年の平成27年、天皇皇后両陛下がパラオへ慰霊のご訪問をされるのを前にして、青森県内の方が両国国旗などの製作依頼を受けた際に、旗への御霊入れと安全祈願を任せていただいたのがきっかけとなり、翌年は現地へ渡って神仏合同の慰霊祭を執り行いました。戦争の記憶も、忘れてはならない郷土の歴史です。
他宗教と連携した活動では、青森市内の寺や教会とともに、チャリティー音楽祭を昨年12月に開きました。もともと他宗教の方とのお付き合いがあったことから実現した催しです。神道、仏教、キリスト教では信仰の対象は異なりますが、それぞれの宗教には同じように祈りや音楽があります。その共通項をテーマに、巫女舞と神楽、雅楽と唱名、賛美歌とゴスペルを通じて世界平和を祈るイベントでした。ささやかな志ですが、売上金の一部を日本赤十字社青森県支部に寄付させていただきました。来場者からは「毎年、開催してほしい」と言っていただくことができ、うれしい限りです。
世界の中の廣田神社に
廣田神社のほか、県内21の兼務社も預からせていただいています。大切にしていることは「直会」です。地元の方とひざを合わせ、お神酒を一緒にいただきながら神様の話をします。普段はなかなか足を運べないからこそ、地元の方との信頼関係を築くためには欠かすことができません。
青森市は歴史的に大火が多く、空襲の被害にも遭い、そのたびに人々は生活の再建に追われることとなり、信仰はいつも分断されてきました。一方で、ねぶたという熱狂的な祭りがあるため、神社の祭りがかすんでしまうという事情もあり、神社の信仰を広げるには難しい土地柄です。それでも、市民とともに行う行事やSNS(会員制交流サイト)での情報発信などによって、郷土の魅力を伝える努力は惜しみません。
神社は誰にも開かれた公共的な祈る場所です。こうした神道の良いところを生かしながら、郷土の魅力に広く触れてもらい、地元の人も県外の人も、そして海外の人も祈りに立ち寄れる「世界の中の廣田神社」を目指していきたいと考えています。(談)※学報平成30年9月号「特集 地元で生きる院友神職」関連企画