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明治・大正・昭和を生きた研究者秘話
悲運な実証史学者・澤田章

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図書館事務課 主幹 古山 悟由

2018年4月24日更新

 澤田章は明治9年(1876)、愛知県中島郡法花寺村(現、稲沢市)に桜木新三郎の次男として生まれた。27年國學院入学。30年卒業。卒業後、東京帝國大学文科大学助手、同図書館司書を経て、同44年三井家史編纂事務を嘱託された。その間、京都の澤田家の養女と結婚し、澤田姓を名乗ることになる。また、42年から國學院大學の講師となり、「徳川史(吉宗以降)」「現代史(明治史)」を講じた。三井家においては、当初「井上馨伝」の編纂に従事し、同伝編纂事業中止後は、三井家の事業史の編纂に従事した。その学風は、史料に基づく実証的なものであった。

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 ただ、澤田の著作については、悲運が続く。最初の著作である『滑稽文学から見た幕末史』は「安寧秩序を害する」とされ、即日発売禁止となった。2か月後に『側面観幕末史』と
して上梓された。続く『西陣織屋仲間の研究』は三井家の呉服事業史編纂のなかで生まれたものであるが、三井家の史料が非公開という状況で、少部数の非売品としての刊行であった。そして『明治財政の基礎的研究』は、亡くなった次男萬の5周年の記念としての出版とした。本書は「井上馨伝」編纂のために澤田が大蔵省文庫の史料を筆写収集したものを主として利用した。

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 このように澤田の著作は非公開の三井家史料や関東大震災で焼失した大蔵省文庫史料を利用してのものであり、かなり制約のあるものであった。昭和9年12月31日死去。『明治財政の基礎的研究』が出版された月であった。同書の書評などを澤田が見ることはなかった。戦後、1960年代に上記の2書は復刻出版され、広く学界に知られるようになり、三井文庫の史料も公開され、澤田の筆記した大蔵省文庫の史料も広く利用されるようになった。学報連載コラム「学問の道」(第5回)

 

 

 

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