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【野中哲照・文学部教授】
人間が生み出し続けてきた歴史の物語とは
~野中先生が軍記文学を紐解くわけ~

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文学部教授 野中哲照

2018年4月19日更新

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 私たち現代人は今この瞬間も、歴史を語り、その都度物語を再生産している。2000年代に入って以降、「歴女」の流行、戦国武将ゲームの席捲、歴史学習ブームなどをうけ、歴史に対する興味関心は、ますます加速している印象さえ受ける。一方で、歴史を物語る行為自体は、これまでもずっと人間は行ってきたものであるはずだ。過去に誇りを持つにしろ、否定的に捉えるにしろ、歴史の再生産は、その時々の流行に乗って近視眼的・刹那的になされ続けてきたのではないか。たとえばポストモダンの台頭期には過去への否定派が多い風潮が社会全体にあったのだろうし、世界的に民族主義へと揺り戻しつつある現在は過去への肯定派が増加している。
 歴史認識問題なども含め、時に過剰に加熱していく私たちの歴史と物語のありようを、もっと広いヴィジョンで捉えることはできないだろうか――そう考えているのが、野中哲照・文学部教授だ。日本中世の軍記文学における第一人者でありながら、「歴史を物語る人間」のあり方を深い洞察で明らかにしていこうとする彼の言葉は、どこまでもスリリング。読めばきっと誰でも、フレッシュな発見があるはずだ。
 
 私が専門としているのは日本中世の軍記文学です。研究ジャンルとしてはそうなるのですが、自分の研究していることが、すべての人にとって、ご自身を見つめ直すことにつながってほしいと思って行っています。いわば生き方の指針を見定めてもらえないだろうかと思って、普遍化をキーワードに研究を進めています。
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 日本中世の軍記文学とは、具体的には『将門記』『陸奥話記』『後三年記』『保元物語』『平治物語』『平家物語』といった作品群のことを指しています。しかし、私自身はむしろひとつの専門にこだわらずに、人間とは何ぞや、人間が生み出した物語とは何ぞや、という意識をもって、広い視野で研究を進めています。歴史叙述であるとか、物語る行為、そして人間自体を、突き放して見てみることこそが重要です。
 
 きのうの自分ときょうの自分は違います。人との出会い、読書、事故・事件・災害に見舞われるなどの経験を通して、人間は新しい自分になりつづけています。たとえば、自身の幼少期に対する認識も、どんどん変化してゆきます。苦い思い出が良い思い出として捉え直されたり、逆に、好きだった人の輝きが色あせていったりします。
 
 同じようなことが、物語でも起こっています。『将門記』は、940年ごろに関東で独立国家の建設を志した平将門の乱を描いたものですが、記述が重層化しています。将門に対して同情的だった時代意識の層の上に、のちに将門を朝廷への逆賊とみなす時代の考えの層が覆いかぶさっていくんですね。これはちょうど、律令制が崩れて王朝国家が成立していく過程とパラレルになっていて、「今の世の中を肯定する」ために、将門が悪者として描かれるようになっていきます。ひと口に「今」と言っても、西暦940年の「今」、960年の「今」、980年の「今」などというように少しずつ「今」がずれていき、古い層を残したままその上に新しい層が覆いかぶさるので、将門像や物語が重層化してしまうのです。
 
 このように、時代の移り変わりに対応して人間の認識は左右されます。いわば、人間は「時代の申し子」なのです。『源氏物語』の登場以降、物語の社会的影響力が広く認知され、世論を誘導していくことに使われるようになっていきます。『陸奥話記』や『後三年記』は、奥州藤原氏が戦略的に世論を誘導するためのツールとしてつくったというふうに私は結論づけています。さらに『保元物語』『平治物語』『平家物語』まで時代がくだってきますと、縦の通時的な重層だけではなく、横の共時的方向にも重層が広がってきます。これは京都と鎌倉では異なる歴史認識を持っているということにも代表されます。平清盛や源義経の評価をめぐって、物語のなかで京都側と鎌倉側が綱引きをするようになっていくのです。

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 こうした文学を考える時には必ず歴史とセットにして考えなければいけませんし、宗教学や民俗学の知見が必要になることもあります。また、一人の作者によって書かれた作り物語の世界でも、『源氏物語』はその長大さゆえに、作者自身の意識が物語る途中で変容していきます。執筆活動に5年も10年もかけた結果、当初の構想とその時々の認識に相違が生じそれが描写に現れるわけです。明石の君という女性の描写では、執筆の初期段階は一家の繁栄を背負うという枠組みで書きはじめられたようですが、いざ娘との別れといった場面で人物像を彫り込んでいく段になると、作者自身が感情移入し、最初の構想を裏切っていくんですね。「きのうの紫式部ときょうの紫式部とでは考えが異なる」というようなことが起こったということです。こうした個人レベルで物語る時の認識の変化については、認知科学の知見も取り入れていくわけです。

 つまりは、自然とジャンルを越えるようになっていく。学問の世界では、以前から「学際的であれ、脱領域たれ」ということが言われてきましたけれども、いくつかの分野にまたがる姿勢自体は目的ではなく、手段にすぎません。本当の順序としては、真実を明らかにしようとしたときに、領域というのが邪魔になる、ということなんです。文学研究者が歴史学も勉強しなきゃいけない、という意味での脱領域ではありません。そもそも真理の側に領域という仕切りはないわけです。だからこそ、真理を探究するという学問本来のあり方に立ち戻るべきだ、と考えています。
 
 改めて、なぜこんな思考になったのかを考えてみますと、彫刻家だった祖父の影響がかなりあると感じています。夏目漱石『夢十夜』の第六夜に、仁王を彫る仏師・運慶の話が出てきますが、あそこで描かれているのは、仏像は自分が彫って仕上げていくのではなく、もともと木の中にいらっしゃる仏様を救い出す――自分はただその周りの余計なものを取り除いているだけなのだ、ということですよね。霊木化現仏と言うんですが、彫刻家であった祖父は、実際に「木の中にいらっしゃる仏様をお出しする」と言っていたんです。 
 
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  私の研究者としてのスタンスも似たようなものなんです。真実は必ずある。なまみの生きた人間がいて、物語を書いた事実があったからこそ、現在にそれが伝わっているという基本認識をゆるがしません。一般的な文学研究者は文献研究・注釈・作者説など実体論に向かう人と、もう一方でそれらを切り離してテクスト論に向かう人とに分かれるのですが、私の場合はそれらの区別がありません。人と違う説を立ててやろうといった野心もなく、純粋な探究心でその真理を明らかにしたい、そのためにこそ、領域を横断する必要も出てくるし、時代背景も見なければならなくなってくるわけです。
 
 こうした態度で取り組んでいる研究が、今を生きている皆さんにとって、意味のあるものであればいいなと感じます。現代の日本社会ではどうしても、夫婦関係から外交関係に至るまで、敵と味方に分けるなどして単純化していきやすい状況にあります。指向が単純化・図式化しているということに、私は強く危機感を抱いています。しかしその指向も、一歩引いて見てみれば、「今」という点において成立しているだけなのだと分かります。現在置かれている時代や環境ゆえにそうした考え方になっているのでしょうし、時間が経てば個人の中でも認識が変容していくでしょう。このように、自分を一歩突き放してみるような巨視的なものの見方というのは、世界中のすべての方にとって役立てていただけるのではないだろうか、と考えているのです。
 
 
 
 
 
 
 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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