ARTICLE

都市伝説は時代を映す。ネットの中で変容する、現代の民話術|世界を読む技術 #6

  • 文学部
  • 全ての方向け

文学部 教授 飯倉 義之

2025年9月8日更新

論文、データ、ニュース、地図など、あらゆる情報を正確に読み解くには「読む」技術が必要です。本企画では、さまざまなジャンルの「読む」エキスパートのお話から、研究や学びにおいても不可欠な「読む」という行為について再考し、読者の世界を広げるきっかけとなる記事を目指します。

「都市伝説」。テレビや小説、漫画といったさまざまなメディアでも取り上げられ、いまや誰もが知る言葉と言っていいだろう。日常会話にも普通に登場する。たとえば、にわかには信じがたい話を聞いて「いやいや、それって都市伝説でしょ?」などというように。ここでは「現実にはあり得ない話」として「都市伝説」という言葉が使われている。

ところが、口承文芸研究が専門の國學院大學教授・飯倉義之さんによれば、この言葉が初めて日本に持ち込まれた1980年代末には、それとは違う意味で使われていた。また一方で都市伝説は、この30年間変わらずに、その時々の日本社会を映し出す鏡であり続けたという。

というわけで、今回のテーマは「都市伝説から世界を読む」。都市伝説はどのように変化を遂げてきたのか。そこから読み取れる日本社会の変遷とは。

▼目次
昔話、伝説、世間話
世の中を映し出す「群れの文芸」
都市伝説とは、都市生活を背景にした民話
都市伝説は世の中の不安を先取りする
若者は冷静。案外リテラシーは高い

 

昔話、伝説、世間話

━━今日は「都市伝説から世界を読む」をテーマにお話を伺いたいと思います。その前提として、まずは先生の専門分野について教えてください。

 民間説話(民話)、要するに口伝えで伝わってきた話を研究しています。そういう話がどうやって伝わってきたのか。伝わっていく中でどのように変化してきたのか。また、現在であれば町おこしやエンターテインメントなどに民話がどのように使われてきたのか。こうしたことを考えていくのが、私が専門とする口承文芸学という学問領域です。

 ひとくちに「民話」と言ってもいろいろありますが、口承文芸の分野では民話を昔話、伝説、世間話の三つに分類して考えています。

━━昔話、伝説、世間話。

 「こぶとりじいさん」や「瓜子姫」、「桃太郎」など、民話と聞いてわれわれがよくイメージするような話が昔話です。「むかしむかしあるところに」で始まり、最後は「めでたし、めでたし」で終わるというように、語りに形式があります。

 また、中身がフィクションであるということを語り手も聞き手も知っています。ですから、昔話の世界ではなんでもありの自由な世界です。例えば桃太郎なら、桃から赤ん坊が出てくることがそもそも荒唐無稽ですが、百歩譲ってあったとしましょう。しかし、鬼退治に出た桃太郎の元に犬が寄ってきて「きびだんご、一つ私にくださいな」と話しかけてくる。もうごまかせません。現実ならば「犬がしゃべった」と驚いて逃げるでしょう。ですが、昔話だと思って聞いていると、そこは問題になりません。本当はなかった話だとわかっているからです。

 それに対して、伝説というのは現実にこの世界で起きた話をいいます。たとえば「源頼朝が訪れた際にここに座った。だから頼朝の腰掛け石という」「こういう出来事があったため、この地名で呼ばれている」など。昔何かがあり、その結果として今こうなっている。これが伝説です。

━━昔話はフィクションで、伝説は本当にあったとされる話。では世間話は?

 世間話も伝説と同じく、実際に起きたとされる珍しい話をいいます。狐に騙された、お化けを見た、など。伝説と違うのは、同時代の身近な時間と場所で起きたという点です。ですから、同じ天狗にまつわる話であっても「天狗を退治した結果、岩になった。だからこれを天狗岩と呼ぶ」は伝説、「うちのじいさんが山で天狗らしいものを見た」は世間話になります。私の主たる研究対象は、この世間話です。


━━先生が世間話に着目したのはなぜですか?

 民話研究の花形は昔話です。私が研究を始めた頃も、先輩たちはみんな昔話を聞きたがっていました。

 先輩たちに混じって福島県のとある集落を訪れたときのことです。「蛇が人間に化けてお嫁に来たという話を知りませんか?」と尋ねて回っていると、「聞いた気がする」というおじいさんがいました。昔の記憶を引っ張り出して一生懸命に話してくれるのですが、その合間に「蛇と言えば……」と言 って、実際に山で巨大な蛇を見た話をし出します。しかし、そうすると先輩たちは、揃って興味をなくしてしまうのです。「明らかに興に乗っているし、面白いのに誰も聞かない。であれば僕が聞こうか」と思いました。そこから現代の話や都市伝説、妖怪の話など、当時は誰もやっていなかった領域をやるようになりました。

━━都市伝説も妖怪も今は人気なのに。意外です。
 世間話は同時代のどうでもいいもの、という感覚だったようです。私が研究を始めた1990年代半ばは、小さい頃に昔話を聞いて育った明治生まれの人が、ギリギリご存命のタイミングでした。今のうちに聞いておかなければ、というのもあったのだと思います。

 

世の中を映し出す「群れの文芸」


━━先生は世間話研究のどんなところに面白さを感じていますか?

 「世間話は本当にあったという体で語られる話」だと言いましたが、本当に「本当にあった」かはわかりません。なぜなら話の世界だからです。本当にあったことを元にしていたとしても、伝わっていくうちにどんどん尾鰭がつき、変化していきます。

 ですが、その方向は、話す人や聞く人のニーズに沿って自然と進んでいくはずなんです。話の生成や展開そのものに、その時代・その場所の人たちが求めていたものや、知識や常識、不安や恐怖心が反映されています。その辺りを読み解くのが面白いところです。

━━話の内容それ自体というより、その背景を読み解く面白さ。

 福島県北部の西会津町で聞き取り調査をしたとき、ある集落で「大正のころ、子供が狐にばかされて家から連れ出された。村総出で探したら、川縁の藪の中でぼーっとした姿で見つかった」という話を聞きました。次に隣の集落で聞いてみると「それはその家の旦那さんが、お稲荷さんの祠にあった稲荷寿司をつまみ食いした仕返しだ」という話が出てきました。さらに隣の集落で聞くと、今度は「連れ出された子供はうどんだと言ってミミズを食べさせられたらしい」。キツネがやりそうなことがどんどん追加されていくのです。

 最初の集落で「そもそもなぜキツネの仕業とわかったんですか?」と尋ねると「そういうことをするのはキツネだから」とだけ返ってくる。つまり、子供が出ていった本当の理由はわからないまま、みんながキツネだと解釈していたわけです。これは、今回のテーマである「読む」に引きつけていうなら「そのようにして出来事を読むのが、この当時のこの村の常識だった」ということです。

━━なるほど。 

 柳田國男は口承文芸全体のことを「群れの文芸」と言っています。特定の作者がいるわけではなく、ある集団内で話や歌やことわざなどをやりとりしているうちに、みんなが納得したものが残っていくし、納得しなければ残らない。また、時代が変わればそれも少しずつ変化していく。そういう意味で「これは群れの文芸だ」というのです。

 民話というのは、いろいろな人がいろいろなことを考えた結果、一番いい解釈が採用されて、残っていきます。「口裂け女」などもまさにそうです。解釈が積み重なった末に、今の形に完成しています。


━━というと?

 口裂け女の大ブームは1978年、岐阜県の八百津町で目撃されたことから始まります。農家のお婆さんが夜中に離れにあるトイレへ行こうとして庭へ出たら、敷地内に口が耳まで裂けた不審な女がいた。でも、最初はそれだけの話だったんです。

 けれどもその後、その話が子供たちのあいだで広まるうちに、いろいろと情報が追加されていきます。「私きれい? と聞いてくる」「マスクをしている」「鎌を持っている」「赤いコートを着ている」「100メートルを5秒で走る」など。そうして最終的に、今私たちが知っている「三人姉妹」で「ポマードが苦手」「べっこう飴が好き」という話に固まります。

 子供たちが考える「怖さ」や、口の裂け方として納得できるものが残っていったということ。逆に言えば、納得できなかったために消えていった情報もかなりあるということです。たとえば口裂け女が「ヨーグルトを食べるか?」と聞いてきて「いらない」と答えると食べられてしまう、という事例の報告もありました。でも、なぜヨーグルトなのか、ちょっと意味がわからない。だからその事例は残らなかったということだと思います。

 

都市伝説とは、都市生活を背景にした民話


━━「口裂け女」も都市伝説に分類されるのだと思いますが、あらためて「都市伝説」とはどのようなものですか?

 1980年代末から90年代初めにかけて、日本で初めての都市伝説ブームが訪れます。きっかけはジャン・ハロルド・ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』という本が翻訳されたこと。この本に出てくる「アーバン・レジェンド」という言葉の日本語訳が「都市伝説」です。

 当時の日本では「佐川急便のロゴの飛脚の褌に触れると運が良くなる」「コアラのマーチの眉毛コアラはラッキー」といった話が流行っていました。商業メディアはそういう話を「噂」とか「口コミ」と呼んでいたのですが、そこに「都市伝説」というかっこいい言葉が投げ込まれたことで、以後「都市伝説」と呼ばれるように。ここから都市伝説がブームになっていきました。

━━もともとは英語だったんですね。

 表題の「消えるヒッチハイカー」というのはブルンヴァンさんが都市伝説というものを考えるきっかけになった話です。

 夜にハイウェイで車を走らせていたら道端を女の人が歩いていた。こんな夜にどうしたんだろうと思って声をかけたら「そこで事故に遭ってしまい、この先の街まで歩いて帰るところです」という。危ないからと言って車に乗せ、聞いた道を通って家の前まで送った。しかし「ここで大丈夫ですか?」と振り返ると姿がない。家を訪ねると、出てきた家族が「娘は数年前にハイウェイで事故を起こして亡くなりました。以来、時折親切な人がこうやって乗せてきてくれるんです」と話したといいます。

 この話を聞いたブルンヴァンさんは、以前に似た話を過去に読んだことを思い出し、スクラップを探してみました。しかし、見つかったのはまったく違う街、違うときの出来事でした。

 これを受けてブルンヴァンさんは「ああ、アメリカ人は事故で死ぬと幽霊になってヒッチハイカーになるのか」と思った……わけではありません。「あれは一つの話のパターンで、現代に生まれている民 話なのではないか。現代の都市的な生活を背景にしても民話が生まれていくのではないか」と考えました。それを都市伝説と名づけたのです。

 

都市伝説は世の中の不安を先取りする


━━最初のブーム以降、都市伝説への注目は続いたと考えていいですか?

 いえ、1995年ごろに都市伝説のブームは一旦終わります。95年はオウム真理教の事件や阪神淡路大震災があった年。特にオウムの事件はオカルトめいていたので、テレビがオカルトや都市伝説から一斉 に手を引いてしまうんです。

 次にブームが来たのは、インターネットが普及し始めた2002、2003年ごろ。第1次ブームだった1990年代には、若者たちのあいだで都市伝説的なもの、たとえば「ピアスの白い糸」などの話がたくさん生まれました。2000年代前半にブログが流行すると、昔流行った都市伝説をまとめてみようという動きが起こります。いわゆる「まとめブログ」がいくつか立ち上がり、それに新しい世代が飛びつき、それがさらに書籍化されて、という流れで第2次ブームがやってきます。

━━2回目のブームはリバイバルのようなものだったんですね。

 そしてこれ以降、ネット上で新たな都市伝説が生まれるようにもなってきます。「くねくね」や「きさらぎ駅」など、いわゆる「ネットロア」と呼ばれる話です。ネットロアになっても、集合知、群れの文学としての特徴は引き継がれます。コピペされ、伝わっていく中で少しずつ手が加えられていき、いい形にまとめブログにまとめられ、雑誌などのメディアが取り上げられると、それがスタンダードになっていきます。

━━研究のスタンスはどう変化しましたか?

 どこでどのようにして話を集めるかの違いはありますが、その話をどう考えるかという「読み方」自体は変わっていません。どういう背景でそれが話され、広まっていっているのか。時系列を経てそれがどう変化しているのか。その生成や変化の過程には、どういう人々の不安や願望があるのかをみています。


━━二つの都市伝説ブームから、どのようなことが読み取れますか?

 1990年代の都市伝説は必ずしも怖い話ばかりではありませんでした。先ほど取り上げた「佐川急便」「眉毛コアラ」などのほかに、就職活動に関する都市伝説も流行っていました。たとえば日産の面接を受けた学生が「GNPについて説明して」と言われ、「がんばれ、日産、パルサーです!」と答えて合格した、とか。本当かどうかはともかく、超売り手市場だった90年代の社会が反映されていると言 えます。

 しかし、90年代の第1次ブームが終わって以降、都市伝説は怖い話一辺倒になっていきます。そこには、浮かれたバブルの世の中が終わり、不安が広がったことが影響しているでしょう。不安なものはそのままにしておくと不安なままですが、形を与えると幾分マシになる。都市伝説という形にすることで、不安の先取りをしたのだと思います。

━━形にすることで幾分マシになる。なるほど。

 その頃に流行ったものとしては「くねくね」や「杉沢村」など。また、実話怪談も流行り出し、理不尽な恐ろしい目に遭ったという話が増えてきます。経済も悪化し、世の中全体が悪い方向にいっているという実感が、怖い方向へと話を持っていっているわけです。

 それが昂じたのか、2010年ごろになると、今度は異世界へと行ってしまいます。街を歩いていたら突然空の色が変わり、周りに人っ子一人いなくなる。どうなってしまったのかと思っていたら、作業服を着た「おっさん」が向こうからやってきて「なんでこんなところにいるんだ! 早く戻れ」という。押し戻されたら街が普通に戻った、など。「この世界の外に逃げ出す方法」のような話が出てくるようになります。

 このように、どういう傾向の話が流行るかは、その時々の世の中が何を不安に思っているのか、何を求めているのかとかなり呼応していると言えます。

 

若者は冷静。案外リテラシーは高い


━━では、今はどういう時代として映っていますか?

 「異世界に行く」話が増えるのと並行して、2008年ごろから、都市伝説が芸になっていきます。お笑い芸人さんたちがライブやテレビで都市伝説を語るようになります。

 「消えるヒッチハイカー」のブルンヴァンさんが言っていた都市伝説というのは、都市的な生活を背景にした、真偽・出所不明の噂話のことでした。本当にあったかどうかはわからないけれど、みんながあったと信じている。「電子レンジで猫を乾かしたら賠償金が手に入った」など、いかにもありそうな現代に生まれた話を都市伝説と言っていました。

 ブルンヴァンさんは「FOAF(Friend of a Friend)」という言葉で都市伝説の特徴を言い表しています。つまり、友達の友達くらいが体験したこととして話される、日常の中で起こりそうな話だったということです。

 しかし、すぐに覚えて誰でも語れるような話では芸にならない。ですから、芸事化するにあたって、都市伝説は複雑で面白く、確かめられない話になっていきます。アメリカのドル札を折り、9.11テロの予言をそこに見出すのは典型的な「テレビ用のショー化された都市伝説」です。日本のどの家庭にも1ドル札から100ドル札まで揃っているということはないから、容易には確かめられません。何かすごい話をされた記憶はあるのだけれど、複雑なので、どういう話だったか説明することもできない。商業メディアを通じて都市伝説が話芸に接近していくのです。

 こうして話芸に近づいた都市伝説の内容は「なんでもあり」に変質していきます。怪しげなことは全部都市伝説というふうに意味が拡散していき、社会の裏側、アンダーグラウンドのことを暴露する話というイメージが広がります。陰謀論とも混じり合うことで、陰謀論的な発想法が都市伝説を通じてライトに振り撒かれてしまうんです。

━━陰謀論的な発想法。

 「世の中には裏があり、われわれ一般人には知らされていない情報がある。それで得をしている奴らがいて、われわれはバカを見ているのだ」という考え方です。以降、Xなどにも「テレビや新聞は本当のことを伝えていない!」といった書き込みが増え、公式発表以外のことを言うと「それこそが真実だ!」と受け取る人が増えた印象です。

 口伝えの時代であれば、そういうことを面と向かって言ったら誰かに「そうかなあ」と訂正されていたわけですが、今はネットでつぶやけば、賛同の意見にはイイネがつき、反対意見はブロックできる。意見の異なる人とぶつからないで済む世の中になっています。ですから、間違った考えを持っていても一向に訂正されることがない。むしろどんどん増幅されてしまいます。フィルターバブルとかエコーチェンバーと呼ばれる問題です。

━━都市伝説を介さずとも実感していることではありますが、どんどんよくない方向にいっているような。

 陰謀論もそうですが、他罰的になっているのを感じます。「自分がこんな目に遭っているのはあいつらのせいだ」というような考え方です。もちろんその構造自体は昔からありましたが、かつては「あいつら」を妖怪、河童や狐や狸としていたところが、現実の誰かに置き換えられてしまったのかもしれません。その違いはやはり大きい。

 さらにややこしいのは、自分自身はそうした話を一ミリも信じていないのに、意図して拡散する「ビジネス陰謀論」も存在することです。そういう話題をYouTubeで取り上げると再生回数に応じてお金 を稼げるので、群れに媚びて、お金のために過激な嘘をつく人も増えています。

━━お話の序盤は楽しく聞けていたのですが、最終的に暗い気持ちになってきました。先生ご自身は研究をしていて辛くならないんですか?

 まあ絶望的な気持ちになりますよね。なんでこの人たちはこんな話を信じられるんだろうか、と。ただ、そうやって悪目立ちしているのは、全体から見るとごく少数の人なのかもしれません。実際、日々接している学生は割と冷静です。「YouTubeでこんな変なことを言ってる奴がいたんですよー」くらいに冷めている。

 彼らはデジタルネイティブどころか、生まれたときからYouTubeがあった世代です。生まれたときにすでにスマホがあった世代がもう学生です。そうなってくるともう、簡単には騙されないのだと思います。若い彼らは、自分の好きな情報を好きに取っていくことの危うさにも気づいている。そこに希望がある気がします。

 

執筆:鈴木陸夫/撮影:金本凛太朗/編集:日向コイケ(Huuuu)

 

 

 

\LINEでコンテンツの公開をお知らせしています/友だち追加

飯倉 義之

研究分野

口承文芸学、民俗学、現代民俗

論文

「肝試し」から心霊スポットまで 武勇伝・鍛錬・娯楽(2025/07/01)

民俗学とホラーの親和性、あるいは民俗学者はなぜすぐに死んでしまうのか(2024/05/01)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU