ARTICLE

地域社会を結びつける力としての祭り

地域社会の再生と文化創造 -後編-

  • 観光まちづくり学部
  • 全ての方向け

観光まちづくり学部  教授 小林 稔

2025年9月1日更新

 地域社会のなかに息づくレジリエンスを呼び覚ます、そんな営みとして「祭り」はある──レジリエンスとは困難に立ち向かい、回復していこうとする力のことである。そのように、小林稔・観光まちづくり学部教授は語る。実際に、能登半島では被災の痛みを乗り越えようと、現地の人々が祭礼に取り組んできている例がある。

 民俗学と文化財学を専門とする小林教授へのインタビュー。前編では瓦解寸前の地域社会を新たにつなぎ合わせる祭りについて語ってもらった。この後編では、そもそもの小林教授の視座を培った経験について触れながら、地域の未来を見据える。煌々と光る祭りの灯篭のように、時代と共に変化しながら、地域社会は未来へと歩むのだ。

 

 地域社会の関係性は希薄化しているけれども、しかし私たちはどこかに住んで暮らす必要がある以上、その社会性は放棄することはできない。新たな地域文化の創造を考えるとき、人々がひとつの方向を向いてまとまることができるという点において、やはり祭りは重要な文化的装置なのではないか──。インタビューの前編では、おおよそこのような私見をお伝えしました。

 こう考えるようになったのは、私が民俗学と文化財学の双方に関わってきたことと無縁ではありません。かつて民俗学を学んだ後、千葉県の博物館に就職。途中で県庁に出向して文化財保護行政や文化行政に取り組むこともあって、総じて博物館業務に20年ほど、文化関連行政には10年ほど従事しました。そしてその後は、文化庁で文化財調査官を務め、ご縁があって今ここで教壇に立っています。

 およそ民俗学は、今ある民俗事象を捉えたうえで、変遷といって、現在から過去に向けて考証するような学問です。現在と過去を比較し、何がどう変わって何がどう変わらないのか、というような視点ですね。もちろん過去を考えるなかで将来を見通す側面もあるにはあるのですが、多くは「過去があっての現在」を考えることに重心を置いてきた。その一方で、そうした民俗学の知見をもとに飛び込んだ文化財の世界は、これから将来に向けてどうしていくのかということが絶えず問われる領域でした。「未来あっての現在」ということですね。しかも、私が文化財に携わってきた年月を振り返りますと、保存よりも活用に重きを置くべきだとする時代的潮流が訪れたときでもありました。

 あくまで単純化した構図ではありますが、真逆の方向性をもつ民俗学と文化財学という二足の草鞋を履いてきたことがまずあって、そこから地域が持続的な社会を目指すといったとき、おそらく鍵になり得るのは「祭り」だと考えるようになったのだと思います。

 ことなる方向性をもつ領域が重なりあうことで新たな可能性へと連なるという点においては、私の所属する学部の名称にもなっている「観光」と「まちづくり」についても、似たようなことがいえるかもしれません。「観光」という多分に経済的活動を含む領域の議論と、地域社会をどのように形成していけばいいのかという「まちづくり」をめぐる議論とを重ね合わせながら、新たな可能性を探ろうとしているわけですね。しかもその「観光」自体が、グリーン・ツーリズムなどをはじめとして、単に物見遊山でお金を落とすということではなく、訪れる者と住民との「交流」や「関係性」も踏まえた新たな地域の展開、あるいはその運用といった側面に重きを置く考え方へと変化してきている。

 それぞれの領域でなされてきた議論が、昨今の情報社会において交錯しつつあるなかで、地域をどう捉えていけばいいのかといった命題は、未来志向の議論や実践として結び付くようになってきているんですね。私がおもに関心を寄せている、地域を結びつける「祭り」の可能性についても、民俗学と文化財学、そして観光とまちづくりと、折り重なるさまざまな領域の交点において考えていくことができるものだと思っています。特に、私が出発点とした民俗学については、伝統的な慣習を解き明かし、解説する学問といったイメージを多くの方がもたれているかと思いますが、それだけでは未来と離れてしまう。「往時を解しつつ将来を見通す」といった、民俗学が含み込んでいた性質を再認識することで、今後に向けた地域文化の創造へと歩み出せる学問となるのではないでしょうか。

 ところで、将来的に地域社会の鍵となると思われる祭りについてですが、実際にその力を人々が信じ、祭礼を通じて地域文化を新たに創造しようとしている例は少なくありません。東日本大震災や熊本地震などの罹災後に、人々が祭りに注力した例は枚挙に暇がありませんが、このインタビューでひとつ挙げるとすれば、石川県・能登半島の「キリコ祭り」に触れておきたいと思います。巨大な灯篭である「キリコ」と共に人々が練り歩く高揚感あふれる祭りで、6市町約200 もの地域で例年7月から10月にかけて順次行われるものです。

 令和6(2024)年1月、能登半島地震で現地は甚大な被害を受けました。ご存知のとおり現在も復興の渦中にあるわけですが、キリコ祭りの先陣を切るとされる能登町宇出津地区の「あばれ祭」が、例年どおりの7月初旬、実に震災のあった年においても人々の熱意によって執り行われたということは、地域社会の未来を祭りが切り拓くという意味で象徴的な出来事であったと思います。まだ震災の傷跡は生々しく、そして他の地域に避難している住民もいる。しかし、それでもなお宇出津の人々は「キリコ祭り」のトップバッターとして「あばれ祭」に力を結集させたわけです。地域がひとつになって、同じ方向を向くことができる──いわばレジリエンスが祭りには宿っているということを、強く実感させてくれるひとつの証しだといってよいでしょう。

 もちろん、祭りもまた時代と共に変化していきます。これを学生に話すと驚かれるのですが、京都・祇園祭の山鉾のなかに、屈強そうな男たちが担ぐ舁山(かきやま)というのがありまして、実は、これにはキャスターが付いているんですね(笑)。それは伝統を変えたというのではなく、祭りを持続させるための、人々の熟慮の末の工夫でもあった。何よりも続けたい、絶やしたくない、絶やせないという地域の自覚や覚悟があってのこと。このようにして祭りは今後も変化を遂げながら、そのうえで地域文化の明日を担う創造の要になっていくと私は考えているのです。

 

 

<<前編は祭りが紡ぐ地域社会のつながり・明日のための地域の創造

1 2

 

\LINEでコンテンツの公開をお知らせしています/友だち追加

小林 稔

論文

改正文化財保護法と民俗学(2022/05/31)

「来訪神」行事の保存と活用(2019/03/23)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU