隣人が何をしている人か知らない──そんな状況は、現代において珍しいものではなくなった。地域社会のまとまりを実感することなどほとんどない日常が、私たちを覆っている。にもかかわらず、住まいを定めるからには、人はある地域に必ず暮らすことになる。消えかかった地域社会のつながりのなかに、かろうじて結びつきながら、私たちは今日も生きている。
小林稔・観光まちづくり学部教授は、民俗学と文化財学の知見をもとに、人々が新たに地域社会の結びつきを創造する未来を探っている。そのとき大きな力をもつのは、おそらく「祭り」であるだろうと小林教授はいう。地域と祭礼の来し方行く末について、前後編のインタビューで語ってもらった。
担当している授業のひとつに、「地域文化創造論」というものがあります。そして「地域文化創造」とは、私が今、最も強く関心を寄せているテーマでもあります。ひとまず一言でまとめれば、従来の考え方では地域社会というものが捉えられなくなってきている状況のなかで、では新たにどうやって地域をまとめていったらいいのか──必要なのは新しい地域文化の創造なのではないか──という議論と実践に近年取り組んでいるところです。
私が専門にしているのは民俗学と文化財学ですが、そのうち民俗学においては、これまでよく「ムラ」という概念が用いられてきました。日本の伝統的な地域社会をひとつのまとまりとしてみるときにムラと称してきたわけですが、はっきり言ってしまえば、そのようにして民俗学が議論の対象としてきたムラ自体が今、ほとんど実態を失っているといっていいかと思います。ムラと表記することさえ躊躇されますよね。
地縁関係などが流動化するなかで、かつては明白に存在していた地域社会が確たるものとして捉えることができなくなってきた。インターネットも含めた人々のコミュニケーションの取り方の変化なども相俟って、出自という関係性に限定されない、本当にさまざまなつながりが生まれている。それは、この記事をご覧の皆さんも痛感されていることと思います。
では、地域そのものが目的や関係性を見失っているような現状において、未来の社会は、そして私たちは、どのようにまとまっていったらいいのでしょうか。地域で無理に同じ目標を立てようとしても、なかなか難しいケースも多いでしょう。なにせ、皆さんそれぞれに違う仕事について、まったく異なる日常生活を送っているわけですから。
往時であれば、たとえば稲作を中心とする農業が盛んな地域では、田植えや稲刈りなどの機会に互助的に協働労働を行う「結」といった慣行がありました。ひとりではできない仕事を、つながりのなかで協力し合ってやっていて、そこには収穫へ向けた地域としての目的意識というものがあった。
さらには、人々が共に関与する「講」という集団や行事も折り重なるようにして様々に存在していました。「講」は多様な意味合いをもつものではありますが、ひとつには信仰をもとにする「講」があります。たとえば伊勢神宮に参拝する「伊勢講」などのほか、本学が位置する地域であれば、山岳信仰と結びついた「大山講」なども盛んでした。これらは、地域社会を代表して何人かで連れ立ってお参りにいくわけですよね。ほかには、相互扶助的に融資を行う「頼母子講」などもあって、こうしたさまざまな慣習のもとに地域社会は成り立っていました。
しかし今は、そうやって手に手を取り合ってひとつの労働を行う、生活していくといった機会は、ほとんどない。もちろん、地域の公園を住民間で清掃するといったようなことはありますが、それでも住民がこぞって参加するというわけではありません。地域というまとまりを私たちが意識するタイミングは、日常において皆無といっていい状況です。
ただ、同時に問われるべきは、私たちは自身が社会的動物であるということを放棄していいのか、ということです。いや、どうしたって、自分たちが社会的な存在であることは否めません。仮に都会のマンションで、隣室の住人との交流が一切ない人であっても、です。
私たちがどうあっても地域社会に生きる存在であることが露呈するのは、特に自然災害など、罹災したときでしょう。普段はもしかしたら挨拶さえろくにしなかったかもしれない隣人と、災禍の最中にあっては助け合う必要がある。どんなにお互いが切り離されているように見えても、私たちはある地域に住まいを構える存在である以上、地域社会というまとまりを無視するわけにはいかないのです。
つまるところ、新たな地域文化の創造を考えなければならない。しかし、つながりがまるで断たれた現状においてなお、地域の人々がひとつの、同じ方向を向く機会というのは、どのように設けることができるのか。私はさまざまな民俗事象を鑑みるに、やはり「祭り」というものが、それでも地域社会を結びつけうる、ひいては新たに地域文化を創造する、ほぼ唯一の手立てなのではないかと考えています。
もちろん、祭りという営みがこれまで時代的な変化をしてこなかったということではありません。柳田國男は戦前の時点で、祭りの大きな変化を指摘していました(『日本の祭』)。近世の祭りにみる見物人の発生をターニングポイントとして、「みる」祭りから「みられる」「みせる」祭りへ──柳田の表現を借りれば「祭りから祭礼へ」展開していったと論じています。そして現在、各地で行われている祭礼も、その地域に住んでいる人だけが支えるのではなく、遠くに住む人も参加するようになっていることも事実です。
そうした移り変わりを経てなお、祭りには、ほどけかかっている地域の関係性をまとめる力があるだろうと私は、みているんです…。
インタビューの後編では、そうした考えに至った経緯や、祭りという営みの現在、そして民俗学と文化財学をめぐる議論について、もう少し詳しく追ってみます。
後編は「地域社会を結びつける力としての祭り」>>
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