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コロナ禍は渋谷の「個性」を希薄化させた
渋谷から、どうして溜まる・ぼんやりする無償の場所は減っているのか? ~Part2~

管理的な空間が増える渋谷。持たざる者を排除しない街になるために必要なこと

  • 文学部
  • 全ての方向け

文学部 教授 飯倉 義之

2024年11月18日更新

 新型コロナウイルスによって、私たちの生活は「コロナ禍」と呼ばれる局面を迎えた。ニューノーマルといった言葉が浸透し、生活は一変。新しい価値観やライフスタイル、規律が生まれたことで、生活者の意識も様変わりした。

 新型コロナ感染症が「5類」に移行したことで、「コロナ禍」は、ひとまず過去のものになった。しかし、約3年にわたる特異な期間は、多くのものに変化をもたらした。とりわけ渋谷は、その変化を内側からも外側からも体感できる場所かもしれない。

 コロナ禍によって加速した渋谷の変化、そして行き交う人々の機微の揺れ。都市の民俗学に精通する飯倉義之・文学部教授に話をうかがった。

 

 コロナ禍によって、人々の中に「統制されることは仕方がない」といった意識が内省化されたこと。さらには、渋谷駅をハブにする形で大型複合施設が林立・連動することで巨大なドーム空間になっていること。内側と外側、ともにコントロールされる力が働くことで、渋谷の街と来訪者に変化が生じ始めている――そう前編では説明した。ストリートの街・渋谷は、非ストリート(≒管理下にある場所)の街へと転換する逆転現象の最中にいる。

 文学部教授・飯倉義之先生が微苦笑しながら説明する。

 「現在の渋谷駅は、大型複合施設同士がつながっている構造です。例えば、青山通り、渋谷クロスタワー方面にある「渋谷アクシュ」から道玄坂方面の「渋谷マークシティ」までは、一度も地上に降りることなく行くことができます。渋谷は、その地名が表すように、坂を下ったり、上ったりする起伏の激しい場所です。しかし、地上3階ほどにある連絡口をつたって移動できるためフラットな移動が可能になりました」

駅構内から「渋谷フクラス」へと続く連絡口。渋谷駅は、地上に下りずとも移動できる空中回廊のような構造になっている

 谷であることを五感で体験できることも渋谷の魅力だが、フラットな空間が開発によってさらに広がれば、今後はそうした実感はますます薄れていく可能性だってある。

 「渋谷は、企業が足並みをそろえて開発してきた街ではありません。80年代の東急と西武の競争は最たる例ですが、競争してきたからこそモザイク状の不思議な町ができあがりました。さらには、百貨店とは趣を異にするように個人店が林立することで、渋谷のストリートには多様な風景が広がっていきました。言わば、“たまたまそうなってしまった風景”でもあったんですね」(飯倉先生)

 しかし現在は、前編で触れたように防災的な観点も相成って、足並みをそろえるような開発が続く。

 「フラットにつなげるということは、各大型複合施設の出入り口を揃えるということです。本来であれば出入り口は、もっとも人が集まる場所ですから、各施設は“目玉”となるようなものを構えたい。しかし、導線を優先するためそうしたことはしていません。企業自身、 自分たちをコントロールしている。こうした企業努力に対しては頭が下がります。一方で、巨大なドーム空間をフラットに往来できるとなると、大きな病院や公共施設にいるような感覚を覚えてしまっても不思議ではない」

 飯倉先生の言葉を聞いて、渋谷の街を歩いているときに感じる違和感の正体が少し分かったような気がした。街にいるはずなのに、どこか無機質――。似たようなことを感じたことがある人は、少なくないのではないだろうか。

 

お金に余裕のある人しか楽しめなくなっている

 「コントロールされるということは、コントロールしている側の思惑を越えることはありません。型破りなものも出づらくなってしまうでしょう。ただし、快適ではある。「渋谷サクラステージ」などは顕著ですが、イベントを催し、人と人とが交流できる広場的な空間がたくさん用意されていることも事実です」

 前編で、「市(いち)という空間は、山姥や山男なども来ると言われていましたから、繁華街に変わった人や怖い人、さまざまな人が集う」と既述した。その上で飯倉先生は、「たしかにイベントを開催すると知らない人たちが集う。ですが、管理下にある空間では、本当に訳のわからない人はいない」と続ける。

 「管理的な空間が増えれば、物語はより生まれづらくなると思います。一方で、街ブラやドラマのロケはしやすいかもしれません。天気に関係なくロケができますし、変な人がカメラの前に割り込んでくるといった可能性も低くなりますから」

 渋谷はストリートが魅力的だからこそ、表参道に、原宿に、代官山に、恵比寿に、奥渋谷に――、そうした衛星的なエリアに人が流れていった。人が往来するからこそ、その途中途中に個性的な個人店もたくさんあった。だが、コロナ禍もあって、その数は随分と少なくなってしまった。輪をかけて、前述したようにストリートに人が下りなくなったら、この街はどうなるのだろうか。

 『なぜ渋谷に「聖地巡礼」は生まれないのか!? 3つの視点から考える、聖地化しない渋谷の背景』 と題して話を伺った際、「渋谷は聖地ではなくバザール(市)」だと、飯倉先生は確言した。

 「渋谷はパッとやってきてパッと散るような街です。一回来てみたもののその後まったく来なくなる人もいれば、足繁く何度も通う馴染みのような人もいる。大道芸人のようなパフォーマーもいれば、裏では怪しい賭博をやっているような人もいる盛り場としての街。巨大なバザールですから、撤収も早くなるでしょう。歴史学者の網野善彦さんの言葉を借りるなら、現代の渋谷は『無縁の場』。知らない者同士が出会い、すれ違う場所です」

 ともすれば、人を選ぶ今の渋谷は、コロナ前と後とでは同じ無縁の場でも、そのニュアンスは少し変わってきているのではないか?

 「作り上げた空間は基本的に商業空間ですから、いかにお金を使ってもらうかという話になります。少なくても、今の渋谷駅周辺に関しては、“お金に余裕のある人”しか楽しむことができない場所になりつつあります。かつての渋谷には、ストリートの文化がありました。お金を持っていなくても、良くも悪くも溜まったり、ぼんやりしたりできる無償の場所があった。管理された場所が増えるということは、回遊率は高くなるだろうけど、滞留率は低くなります」

 コギャル文化は、そうした“持たざる者”によって生まれたカルチャーの最たる例だろう。ストリートに有象無象の無縁の人々が集まるからこそ、渋谷は独自色の街になりえた。

 そう言えば――。9月6日に先行開業した、JR大阪駅のうめきたエリアにある「グラングリーン大阪」が話題を集めている。約320種、約1500本の樹木が並び、45000m²の緑地を形成し、その広さは東京ドーム(46755m²)に匹敵する。大阪駅前の好立地に、これほどまでのグリーンスペースを作り上げたことに対して驚きと賞賛が集まっているが、所持金の有無にかかわらず「溜まったり、ぼんやりしたりできる場所」を都会の中心部に設けた大阪に対する羨望もあるのではないだろうか。

 

「カヨイ」と「ネオイ」をコネクトするような街に

 渋谷の開発は、令和9(2027)年まで続くという。駅周辺には、これからも高層複合施設が誕生する予定だ。2030年頃の渋谷駅は、まるで壁に囲まれたような空間になっているのでは? そう問うと、

 「すべての施設がつながった渋谷駅周辺は、豪華客船の中にいるような錯覚を覚えるかもしれません(笑)。豪華客船を海から見る人がいないように、ウチとソトでは異なります。渋谷に対するイメージも、壁の中にいる人と外にいる人とでは異なるイメージを抱くようになるのではないでしょうか」

「渋谷ストリーム」からの景色。高層複合施設がそびえ立つ壁のよう 

 國學院大學に通う学生たちに渋谷の街に対するイメージを聞くと、「便利な街」「バイトしやすい街」といった回答をする学生が少なくない。カルチャーの街だった渋谷は、令和になって、機能的な街へと変身しようとしている。だが、これまで何度も時代に沿うようにメタモルフォーゼを繰り返してきた渋谷の街の歴史に鑑みれば、この転換も一つの脱皮に過ぎないのだろう。

 「コロナによって東京から地方に移住する人が増えましたよね。渋谷に限った話ではなく、東京の繁華街は用があるときだけ来る街――通いの街になりつつあります。生活感が失われていくと、回遊の街になってしまう。渋谷駅周辺の開発は目まぐるしいものがありますが、少し離れた東周辺や、鴬谷町、鉢山町周辺には根生いの人々がいます。中央街の上の方や神泉にも生え抜きの人々がいます」

 通い(カヨイ)と根生い(ネオイ)――。これから東京の都市部を考えるとき、とても大切な視点になる予感がする。

 「根生いの生活を見つめ直すことは大事だと思います。コロナ禍によって、渋谷と行き交う人々は、コントロールする(される)という意識が強化されました。そのマインドを変えることはなかなかできないでしょう。しかし、いま「ある」ものを見つめ直すことはできるはずです。暮らすということは、その地域や場所を自分の生活の中で組み上げていく行為です。農村や漁村などは分かりやすいですが、地場のものを活用し、その土地と自分との関わり合いをみんなで作っていく。これは、どこの場所でも基本的には変わることはありません」

 災害対策の意味を持つ以上、渋谷の開発はコントロール的な開発にならざるを得ない。その副作用として、それまであった色が失われていくなら、持つ持たざるにかかわらず、無縁の人々が共有できる新しい仕組みが求められるのではないだろうか。もしも、通いの人と根生いの人がコネクトできるような装置ができれば、渋谷の開発はもっと豊かなものになると思うのは、気のせいだろうか。

取材・文:我妻弘崇 撮影:久保田光一 編集:小坂朗(アジョンス・ドゥ・原生林) 企画制作:國學院大學
※写真の転載をお断りいたします。

飯倉 義之

研究分野

口承文芸学、民俗学、現代民俗

論文

柳田國男と/民俗学と写真―方法論の不在について―(2023/08/05)

オカルトを買っておうちに帰ろう : 「コンビニオカルト本」の私的観察史(2023/04/01)

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