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学生として、競技者として、主将として。全てと向き合い夢に向けて

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経済学部4年 平林 清澄 さん

2024年12月9日更新

 陸上競技部主将として叶えようとしている、令和7(2025)年1月2日・3日開催の第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)における、悲願の総合優勝。そして個人として目指している、2028年開催のロサンゼルス・オリンピック男子マラソン日本代表内定。夢を現実にすべく、文字通り走り続けているのが、平林清澄さん(経営4)だ。今回は、ひとりの学生としての姿にフォーカスして、話を伺った(取材は2024年9月に実施)。

 

 2024年2月の大阪マラソンの結果に、陸上界は衝撃を受けた。平林さんが、初マラソンの日本選手最高記録を、2時間6分18秒のタイムで鮮やかに更新。日本歴代7位、日本学生新記録という目も覚めるような成績を残し、見事に優勝を果たした。

 平林さんの人となりという点で特筆すべきは、後日の優勝祝賀会での様子。会場に押し寄せた大人数のメディア陣の前で、朗らかに、かつ飄々と話す姿は、21歳とは思えないほど堂々たるものだった。

 「いや、実はあの会見も含めて、緊張してはいるんです。でも、それを表には出していません。主将として部員の前で話すことが増えてきて、シンプルに慣れたことが大きいと思います。主将がオドオドしていたら、みんなに不安を感じさせてしまいますから(笑)」

 同様に、インタビューも何のその。向かいあっていると、ほとんど社会人選手のような余裕さえこちらに感じさせる平林さんだが、もちろん、大前提としてひとりの大学生なのだ。陸上競技部の寮に住み、朝5時に起床し、6時に練習して……という生活のなかで競技者としてのたゆまぬ鍛錬を重ねつつ、他の学生と同じく日中は大学で講義やゼミに出席している。

 「マーケティングが専門の、宮下雄治先生のゼミに所属しています。僕が卒論で取り組もうとしているのは、リーダーシップ論です。自分自身の今の立場も活かしながら、スポーツからビジネスまで、チームで結果を残すためのリーダーシップとはどういうものかを考えたいと思っています」

 走ることから離れた日常のワンシーンについて聞こうとしても、絶えず走ることへと、話が回帰してくるのが印象的だ。寮での共同生活は、まさにリーダーシップ論の実践編といえるかもしれない。部屋には学習机に二段ベッド、クーラーに冷蔵庫などが完備されている充実した環境だというが、「歴代の先輩たちが綺麗に使ってきてくれた寮だからこそ、きちんと後輩たちにつないでいきたい」と平林さんは話す。定期的に部員みんなで徹底して掃除を行い、終了時には平林さんが厳しくチェックするという。

 箱根駅伝での総合優勝へ向け、チームの思いはひとつ。ただもちろん部員ごとに、課題やコンディションなどはまちまちだ。リーダーとして平林さんが強い言葉をかけることもあるそうだが、そのときも気をつけていることがあるという。

 「僕の言葉は、ときに相手にビシッと届きすぎることがあるんです。よく前田康弘監督にもいわれることなのですが、特に主将という立場から放つ言葉は、こちらの想像以上に相手に刺さってしまうことがある。もちろんきちんと刺さる言葉をかけなければいけないときもありますが、そのバランスは常に意識するようにしています。そのうえでもうひとつ気を付けているのが、こちらから“答え”をいいすぎないことでしょうか。自分の走りの何がよくないのか、逆に何がよいのか──選手がそれぞれ自分で考えて、自分で答えを見つけていかないと、一人ひとりの成長はないと思うんです」

 こう話を聞いてくると、ほぼフルタイムで気を張っているようにも思われるが、きちんと緩急はつけているようだ。息抜きは、ラジオを聴くこと。人の声がすると、自然とリラックスできるのだという。取材陣に、自身も通い詰めている寮の近所のカレー屋や油そば屋を勧める楽しげな表情からも、エネルギッシュに青春を謳歌している、ひとりの学生の姿がそこにある。そのうえでやはりずっと、チームのこと、そして駅伝のことを考えている。

 「通っていた中学校は、全校生徒の数が30人ぐらいしかいないところでした。そのなかから選手が集められて、駅伝を走ったというところから、僕の陸上のキャリアは始まったんです。だから最初から、個人ではなく、駅伝が競技生活の中心なんですね。中学のときは、1区を走って、襷がきちんと最後までつながったことに感動したんです、『これが駅伝か!』って……。その思いは、高校でも大学でも、ずっと変わっていません。繋いだ襷がゴールまで帰ってくる、そのことが、常に自分を駆り立ててくれるんです」

 そうした情熱が広がりゆく先に、個人競技としてのマラソンも位置している。「もちろん大学を卒業したら個人としての成績により向き合っていくことになりますが、僕がいまここにいて、みんなでチームとして集まっているのは、大学駅伝に取り組むため。マラソンは、その先にあるものなんです」

 そう話す平林さんは、主将として部全体を牽引し、チームの一員として日々の練習に取り組みながら、マラソン選手としても調整を進めている。今年8月に出場した北海道マラソンは、あくまで“練習の一環”。来年の東京世界陸上マラソン代表選考基準のひとつとして、指定のレースに少なくとも3大会出場・完走したうえで、規定の成績を収めなければならない。その条件を満たしながらコンディションを整え、来年の大阪マラソンか東京マラソンで好成績を残し、代表入りを目指している。ロサンゼルス・オリンピックへ向けた大事なステップを、いま踏んでいる最中なのだ。「他の大学さんも含めて、大学駅伝を走ってきた、あるいは走っている選手たちのなかに、世界レベルの人がいる。そのなかで、僕たちは勝たないといけないんです」

 言い換えれば、学生として送っている青春の1ページや日常の機微も、たゆまぬ練習も、そのすべては箱根駅伝におけるチームの栄光への助走である、ということだ。平林さんというひとりの人間が過ごしている日々は、夜空をあっという間に横切っていくほうき星のように、圧縮された輝きを放っているのかもしれない。

 「いやあ、濃いですよね(笑)。これから年明け、箱根駅伝を走り終えるまでは、本当にもう、一瞬で過ぎ去っていくと思います」

 

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