ARTICLE

社会学者として、詩人として。水無田気流の複数の『私』

社会学者/詩人としての姿勢と歩み ―前編―

  • 経済学部
  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

経済学部 教授 水無田 気流

2024年4月1日更新

 『「居場所」のない男、「時間」がない女』などの著作で知られ、ジェンダーや家族・文化を見つめる社会学者として活躍、広くメディアにも出演する水無田気流・経済学部教授。そんな水無田教授は、ゼロ年代以降の日本の現代詩において注目を集めてきた詩人でもある。

 そのふたつの活動はつながっているのかと問うと、つながっていない、と水無田教授は答える。しかしそのつながらなさこそに、現代性が刻まれているようにも見える。前後編のインタビューが映し出すのは、実は私たち誰もが身に覚えがある、「複数の『私』」なのかもしれない。

 

 社会学のなかでも、ジェンダー論や家族社会学、文化社会学という分野を中心に研究を重ねています。日常的に馴染んだ、誰もが疑わないような現象の背景にある社会構造などを検証する、というのが基本的なスタンスです。

 その研究の過程で扱うデータには、量的なものもあれば質的なものもあります。数値や統計といったものを、どのように私たちが社会を理解できるナラティブ(語り)に起こしていくのか。あるいは長時間にわたるインタビュー調査──予め質問項目を定めておき、回答内容に応じて深く尋ねていく質問内容を追加する、「半構造化インタビュー」とされる手法──などを通じて、社会的な現象の背景をどう検討していくのか。いわゆる言説分析を中心としたアプローチで、目の前の社会のことを考えています。

 具体的なトピックとしてはさまざまなものがあり、たとえば2021年に『多様な社会はなぜ難しいか:日本の「ダイバーシティ進化論」』という著書をまとめた際には、ダイバーシティ(多様性)についてインタビューでお話ししたことがありました(参考記事)。そのことにも内容が関連する書籍として、2023年に『離れていても家族』という共著が刊行されました。

 これは品田知美さんを中心とした4人の社会学者による近年の共同研究にもとづいており、イギリスと日本の家族観や家事観について検証した書籍です。ロンドンと東京ならびにその周辺地域、それぞれ都心部・郊外・地方に暮らす人々へのインタビュー調査に加え、スーパーマーケットの書籍コーナーに置いてある雑誌類の種類と数を比較するなどをして、「家族」と一言でくくられてしまうものの内実、その違いというものを検証していきました。

 スーパーマーケットの書籍棚ですから、その多くは生活雑誌など、より具体的にいえば「家事」に関連するものが多く並んでいるわけです。ただ、日本社会に暮らす私たちは「家事」といったときにすぐ「お料理」というイメージや「食卓」という風景を思い浮かべますよね。実際に日本のスーパーマーケットの書籍棚ではお料理やお弁当にかんするものが大半を占めていたのに比して、ロンドンで棚に置かれていたのはガーデニングやDIYの雑誌が主でした。

 家のリビングを見てみると、日本では子どもの工作やおもちゃなどが溢れているのに比べて、イギリスでは「大人の社交場」、つまり半ば外部に開かれた公共空間のようなかたちで整えられていました。これは決してイギリスの家が広いからとか、裕福だからといったことではなく、エスニック・マイノリティの方や、貧困層といわれる方の家であっても同様でした。家庭の空間統治そのものが異なるわけです。

 翻って考えてみると、日本社会の場合、高齢者がいざというときに頼るのは近親者です。別居していても子どもを呼びつけるというようなことがある。つまり、「離れていても家族」なんですね。一方でイギリス、あるいはドイツやアメリカなど欧米圏を広く調べたデータでも同様だったのですが、高齢者が頼るのは主として近隣の住民や友人たちです。社交というものが日常的な基盤となっている。日本で高齢者の孤立ということが問題になっていても、そもそものネットワークが家族ごとに囲い込まれてしまっているから、社交の場がない。食卓を囲む幸せそうな風景はあるかもしれないけれども、しかし高齢者になってから大人同士で助け合えるような関係性は築かれていないのです。

 インタビューの冒頭で述べた、「日常的に馴染んだ、誰もが疑わないような現象の背景にある社会構造」というのは、たとえばこのようなことであり、そうした構造を量的・質的なデータをもとに論じていく、というのが私の仕事のひとつです。

 一方で、私は詩人としても活動してきました。いや、そもそも私には複数の人格ならぬ「筆格」というようなものがありまして、研究論文や評論などにおいても多くの「筆格」を都度チェンジし、呼び出しては使いわけている感覚です。詩人はその筆格のナンバリングとしては0番といっていい、原初的な位置にあります。

 もともと詩を本格的に書きはじめたのは大学院生のときで、正直にいえば、半ばヤケになって書くようになったところがあるような気もします(笑)。社会学という営みは私にとって大事なもので、ここまで述べてきたようにさまざまな取り組みもおこなっているのですが、一方でデータを分析しているだけではたどりつけない境地や、表現できない余剰のような領域があるということもまた、ご理解いただけるのではないかと思います。

 ですから、私が社会学者として書いたものと詩人として書いたものがつながっているのかと訊かれると、なかなか返答に困るところがあるところがあります。

 自分は、かなり直観型の人間だと思っています。詩を書く場合も、最初はキーワードのようなものが複数同時に落ちてくる感覚があります。

 鍵が渡されたけれども、扉が見つからない感じとでもいえばいいでしょうか。もちろん、それだけではかたちにはなりません。その鍵がはまる扉を探して細かく細かく言葉を編んでいくイメージです。首尾一貫した物語をもたない人間だと私自身は感じているのですが、そうした複数の「筆格」のひとつである詩人の水無田気流について、インタビューの後編ではお話ししてみたいと思います。

 

水無田 気流

研究分野

文化社会学、家族社会学、ジェンダー論

論文

「ダイバーシティ(多様性)」概念の歴史的変遷についての一考察(2021/03/25)

日本のジェンダー規範とメディアの役割についての一考察――象徴的排除生成の要因分析を軸に(2019/09/30)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU