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国法の本義

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研究開発推進機構 助教(特別専任) 比企貴之

2023年11月6日更新

 明治23(1890)年、皇典講究所を母体として國學院の設立が企図された折、当時の所長山田顕義によって公示された『國學院設立趣意書』では、國學院における攻究の基本として国史・国文・国法が見据えられた。ここで国史とは日本の歴史、国文とはわが国の文学をそれぞれ意味するが、残る国法とはいったいなんであろう。

 前出の山田はよほど「国法」にこだわるところがあったとみえ、『國學院設立趣意書』に先立つ明治21年に、皇典講究所の参襄・協賛・講師らを招いた晩餐会の席上、近時、皇室典範、大日本帝国憲法以下諸法律の制定が進み、立憲政治の準備が整い、近代国家の確立に至ったが、改めて日本の国家成立の所以と歴史を明める必要があることを演説した。同席上では法制局長井上毅も「近く憲法政治を実施するわが国も国典を講究して立国の大本を明らかにすべき」であり、「国典は国民教育上の随一で、国民の憂国心が依って生まれる基である」と説いている。当時伊藤博文と憲法原案の起草に苦心していた井上の言葉であるだけに、国法(国典)への気負いが読み取れるようである。いずれにせよ国法(国典)とは、わが国におこなわれてきた法制の攻究にその意味を求めて大過なかろう。

 それでは題目はさておくとして、具体的にはどんな学びがおこなわれたのか。國學院設立以前、皇典講究所の文学部の教科の一つにすでに法令がみえる。『皇典講究所教程表』によると、本科第三年から第五年に至る全六級のカリキュラムで、正・副両科で以下の文献が用いられた。第三年第六級(正:令義解・禁秘抄、副:姓氏録・神祇志・唐六典)、同第五級(正:令義解・逸令、副:職原抄・公事根源・唐六典)、第四年第四級(正:律疏・逸律、副:法曹至要抄・金玉掌中抄・唐律疏義)、同第三級(正:延喜式・儀式、副:北山抄・貞永式目・唐律疏義)、第五年第二級(正:延喜式・儀式、副:江家次第・貞永式目追加・明律)、同第一級(正:類聚三代格・類聚符宣抄、副:刑法・治罪法・明律)のごとくである。

 右からは、①日本法制史料の講読を宗とする一方、唐・明代の中国法制史料も参看されたこと、②国法は六~四級までは前近代の行政法・刑法を基本に、宮中儀礼の故実書・神祇関連法も学ばれたこと、③三~二級では古代の儀式書が用いられたこと、そして、それまでの学びと一線を画すのが、④一級の類聚三代格や類聚符宣抄など法運用の実際を知る文献が使用されたことなどの特徴を指摘できる。とりわけ④の両書は法を政務運用するうえでの施行細則や具体的実例・文例集であることは興味深い。すなわち、本学の国法の実とは、法運用の建前と実態が、史料に基づいて学ばれた点にあったわけである。

皇典講究所教程表

学報連載コラム「学問の道」(第54回)

比企 貴之

研究分野

日本中世史、神社史、神祇信仰、神社史料、伊勢神宮、石清水八幡宮

論文

明治三十年 八代国治日記(2023/03/06)

石清水八幡宮の史料と修史(2022/12/14)

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