令和5年度から2期目に突入する針本正行学長。新型コロナウイルス感染症の拡大と重なった1期目をどう総括し、また、これからの時代における大学の学びのあり方をどう捉えているのか。針本学長に聞いた。
1期目の総括と社会の現状。AIの進化に対する憂い
学長1期目(令和元年〜4年度)のうち3年間は、コロナ禍に教職員が一体となって対応してきました。特に令和2年の春は卒業式や入学式も行われず、約1ヶ月に及ぶ入構禁止期間も経験しました。人と人との交流や関わりから何かを獲得することは、人間にとって大切な学びですが、その大きな手段を奪われた期間でした。
しかし、こういった厳しい時代ほど、いままでできなかったことが開拓されます。本学ではオンライン授業を導入し、授業の進め方や資料、そして情報発信の中身までもが既存のあり方から変わっていきました。教職員と学生が一体となり、新しい学びのあり方を切り拓いた3年間だったといえます。一人ひとりの心の内にある眠れる力が発動した期間と見ることもできるでしょう。
この3年間で得たものは、授業の深化につながっています。対面とライブ配信を併用するハイフレックス型授業によって、自宅から受講できたり、オンデマンドの活用によって渋谷・たまプラーザキャンパス双方の学生が履修できる授業が増えました。また、大学院の社会人向けのオンラインリカレント講座は、海外から受講する方もおり、社会の幅広い方々に、時間と空間を選ばない学びの機会を提供できるようになりました。
テクノロジーは学びの手段を多様化させますが、一方で人間を危うい未来に導く可能性もあると考えています。現代の人々はAIをはじめ、テクノロジーが生み出した答えを絶対視する傾向にあります。テクノロジーが出した答えに人間が素朴な疑問、別の見解を抱いても、心の内にしまう状況が起きていくでしょう。
世の中に絶対的な正解はありません。国語辞典を引けば、同じ語句でも辞書によってその説明は異なります。また近年、鎌倉幕府の開かれた年について再度議論が交わされているように、時代の中で歴史事実の認識が更新されることもあります。AIが出す答えにも疑問を持つことが必要ですが、きわめて難しい時代になっています。人は誰かの正解に身を委ねた方が楽だからです。
同じ事実に対して、人の認識はそれぞれで違って良いはずです。それが人間の自然なあり方です。自身の経験や知識、そして技能に基づいて、それぞれ独自の価値観で考えることが人間らしさといえます。テクノロジーの答えを絶対視する未来は、人間らしさを手放す可能性さえあります。だからこそ危ういと考えています。
目指す教育の姿。Society5.0に求められる人材とは
本学が目指すのは、そうした危うさを自覚し、常に疑問を持ち、問いを投げかけることができる人材の育成です。Society5.0に求められる人材とはそうした人物であると考えます。
そもそも大学の学びとは、教科書に記載された内容や先生の発言をそのまま受け入れるものではありません。単に学生が知識を伝達される場ではなく、伝達されたさまざまな事象・情報に対して学生が自分自身で問い直すという行為を通じて学びを深めていくことにあります。
問い直す力を身につけるためには、自分自身の知識や探究心を高めるとともに、その精神性自体を涵養することが求められます。既存の研究成果を絶対視することなく、恐れずに疑問を投げかけたとき、お互いがその行為を認め、他者の意見を尊重できるようでなければなりません。
他者の意見を尊重する精神性を育むには、まず自分が何者かを知ることから始まります。本学の学則第1章第1条に「本学は神道精神に基づき人格を陶冶し」とあるように、神道精神をはじめ、本学が培ってきた日本研究の成果と学問的伝統から日本文化の理解を深めることは建学の精神に通じるものです。自分を深く理解するとは、自分が拠って立つ日本という国を深く理解することであり、日本文化の淵源を学ぶことで、他者の育ってきた文化や歴史も尊重することになります。
日本や日本文化を学び、自分とは何かを問いかけると、人とは何か、国とは何か、他の国にあり日本にないものは何かといったことに思いを馳せるようになります。社会には多様なバックグラウンドを持つ人が共存し、個人個人の価値観が補い合うことで社会が成り立っていることに気づき、その結果、相手の意見に耳を傾ける精神性にもたどり着くでしょう。それは共生社会につながる学びとも言えます。世界情勢が不安定さを増す昨今、本学の象徴でもある日本文化の淵源に迫る学びは、心豊かな共生社会の実現にも貢献できると考えています。
——後編へ続く