近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。
「この子らを世の光に」
東京パラリンピックは、私たちに多くの感動を残してくれました。「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」という知的障害児施設・近江学園の糸賀一雄氏の言葉が頭をよぎりました。「この子ら」とは、知的障がいのある子どもたちのことです。誰とも取り替えることのできない個性的な自己実現をしている子どもたちです。
「小さきは小さきままに」
「小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く」。これは、障害児施設しいのみ学園の昇地三郎氏の短歌です。野に咲くコスモスも、短いのも折れているものもありますが、一本一本、花を精いっぱい秋空に向けて広げている様は、見事です。
前回(「個性蛍」よ、飛んでいけ)で、こうした「真の個性」について述べました。個性とは主体性(一生懸命)であり、個性尊重の社会とは、自分らしく一生懸命頑張った結果としての多様性を尊重する社会のことでした。
「世界に一つだけの花」
実は、SMAPも同じ趣旨の歌を歌っています。「世界に一つだけの花」です。
「そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」。このフレーズが繰り返し歌われています。個性は、他者が「つくる」ものではなく、自ら「なる」ものなのです。
「つくる」ではなく、「なる」。これが、『古事記』を原点とする本学の「修理固成」の子育ての理念でした。(「修理固成」(古事記)の子育て)
「ナメクジは 殻持たぬゆえ 疎まれる」
では、どうすれば個性が「なる」のか。それには、周囲の人々の温かい心の「手当て」(手を当てる)が必要です。その一つが筆者の説く、「ナメクジは 殻持たぬゆえ 疎(うと)まれる」です。
ナメクジは、カタツムリより一つ進化した生物です。しかし、カタツムリは童謡にして歌われる一方で、ナメクジは忌み嫌われ、塩持て追われる存在です。
子どもたちも、見方一つで、カタツムリにもナメクジにもなります。美しい殻をつけてやれば、どの子もカタツムリになります。マイナス面もプラスに変えれば良い。「乱暴」も「元気闊達(かったつ)」と見方を変えればカタツムリになります。そこから、その子なりのよさが見つかり、個性が生まれます。
愛する自分を大切に
しかし、殻をつけるのは親だけではありません。「主体性を持ち、自立した『大人』の育成」を目指す本学の学生には、自分なりの殻(よさ)を自分自身で見つけてほしいと願います。
「愛する自分を大切に」。「なる」個性を願って、この言葉を卒業生には贈っています。「愛する自分」探しこそ、自らの「なる」個性づくりでもあります。学報連載コラム「おやごころ このおもい(第8回)」
新富 康央(しんとみ やすひさ) 國學院大學名誉教授 専門:教育社会学・人間発達学 |