近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。
國學院大學は戦前、2つの官立高等師範学校に対し、特例として高等師範部が承認された稀有な私立大学です。明治維新史の視点から、この意味をさらに掘り下げることができます。実は、日本の学校の起源は、神社に関わる、欧米とは異なる特質を持っているのです。
欧米において学校の起源は、読み書きを教える「サーカス(地方巡業)」です。サーカスなので、今日でも欧米では校長は、スクールマスター(団長)と呼ばれ、人事権もカリキュラム編成権も持っています(拙著『改定アメリカ教育日記』東京書籍、2001年)。
近世に入り、都市化が進み、巡業が不要となり定住したのが、今日の欧米の「学校」なのです。
それに対し、日本の学校は、明治5年「訓導令」による神社(神仏習合の寺院も含む)の学校を起源とします。神社の学校の期間は数年ですが、これを起源とすることで、一口に「学校」と言っても、日本の学校は、欧米で言う学校とは異なる特質のものとなりました。
神職の延長なので教師は「聖職」とされました。伝統校では寺子屋を起源とする記述もありますが、実際は神社付近の当時大規模化していた寺子屋の施設利用でした。
明治政府が神社に学校を置いたのは当時、神社は祈りの場だけでなく、地域住民の生活改善の啓発活動の場でもあったからです。したがって、日本の学校は、欧米と異なり、読み書きだけでなく、生徒指導・特別活動も心の教育(道徳)も求められるのです。
「教職の國學院」は、わが国の子育て(教育)の在り方も問います。本学の設置理念の基底である『古事記』の「国生み」において、イザナギノミコトは、神々から「修理固成(つくりかためなせ)」の命を受けます。それは、人心の開発と社会の開発です。
欧米の天地創造の創世神話の「(神が)つくる」子育てに対し、日本のそれは、「なる」子育てです。早苗が一株立ち(自律)し、たわわに稲穂を実らせる(主体性)ように、人の育ちも自ら「なる」なのです。
しかし、「なる」子育ては、「つくる」子育て以上に、大変な手間と独自の技能を必要とします。そこで、各人の潜在的な資質能力を「つくり固め成す」人間開発の手法を学ぶ教育系学部として、「人間開発学部」も創設されました。
コロナ禍の今日、親子で話し合う時間を作って、こうした「人づくりの國學院」の歴史を共有し合うのも良いですね。学報連載コラム「おやごころ このおもい(第4回)」
新富 康央(しんとみ やすひさ) 國學院大學名誉教授 専門:教育社会学・人間発達学 |