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コロナ禍において浮かび上がった神楽と日常の関係とは

「新しい世界」を生きるための知

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経済学部教授 山本健太

2021年1月21日更新

 かがり火の中で、厳かに披露される舞い――神楽という伝統文化は、多くの人々を魅了してきた。そんな神楽は、アフターコロナにおける「文化」や、「地方社会」の活路を示しているのではないかと、山本健太・経済学部教授はいう。

 たとえば、世の中が揺れる中においても、真っ先におどり出した石見神楽の担い手たち。彼らを突き動かしているものとは何なのだろうか。経済地理学の専門家だからこそ見えてきた、神楽というありようの汎用性について、前後編にわたるインタビューで語ってもらった。

 

 

 令和2(2020)年、さまざまな文化をめぐる営みは、継続自体を危ぶまれる状況に陥っていきました。それは、日本の地方における伝統文化・芸能においても同様です。しかし、少なくとも私が研究している神楽の担い手の人たちは、たくましく活動を再開し始めており、しかもそこには文化や伝統の未来、可能性といったものが仄見えているように感じられます。

 私はこれまで、宮崎や広島、島根といった地域の神楽を、専門である経済地理学の視点から研究してきました。たとえばその中のひとつ、島根・石見地域の石見神楽は、早くも6月の時点から公演を再開していました。近隣で新型コロナウイルスの感染者が発生した場合には再びの中断を挟みながらも、以後、継続的に公演を行ってきています。

 彼らのモチベーションとは一体何なのだろう、と私は興味をひかれます。というのも、人によって神楽は、衣食住のような生活上の必要要素には見えないかもしれないからです。災害などが社会をおそったとき、まずは衣食住が事足りることが求められるわけで、「文化」はなかなか居場所がない場合がある。

 

 

 しかし、おそらく彼らにとって神楽は、衣食住に並ぶもの、「日常生活の一部」なのでしょう。だからこそ、日常を再開しようとしたとき、神楽は共に始められなければならなかったのだと思います。

 ですから活動再開の第一義としては、多くの人に見せるということよりも、まずはおどり出す、いや、おどり出してしまう、というところに、神楽という文化の命脈はあるのだろうと思います。もちろん、そこに悩みがないわけではありません。先ほど述べたように、感染状況を睨みながら、随時判断をくだしていかなくてはなりませんから。

 石見神楽にかんする現地の行政担当者にメールで話を聞いたところ、「定期公演の再開・中止の判断は主催者の裁量に依っている」としつつ、「今後、屋外やオンライン配信など、感染を防ぎつつ神楽を見てもらえるような取り組みを、各関係者と実施していきたい」とも書いてありました。

 悩みつつも、少なくとも神楽を実施し続ける気持ちには、ゆるぎないものがあることが伝わってきます。これが、「日常生活の一部」としての伝統文化のありようなのだろうと感じます。

 その上でもしかしたら、社会貢献をしたいという気持ちも、相まって存在しているかもしれません。暗くなってしまった世の中に対して、自分たちの技術が、楽しいエンターテインメントを提供できるかもしれない――それもきっと、彼ら神楽の担い手にとって、大きなモチベーションになっているはずです。こうした動機を内に秘めながら、神楽は今も舞われ、そして見られています。

 

 

 ここでそもそも、経済地理学を専門とする私がなぜ神楽を研究しているのか、少し説明させていただきたいと思います。

 というのも、私がこれまで神楽以外に研究してきたのは、たとえば東京・ソウル・上海におけるアニメーション産業や、静岡におけるプラモデル産業など、地場で産業がどのように発展してきたのかです。一方で演劇などのパフォーマンスの産業構造も研究してきましたが、いずれも基本的には、都市において文化的な産業はどのように集積するのか、という点に関心をもってきました。

 そういった一連の研究の中でも神楽については、大都市中心の産業構造があるのに対して、地方の文化産業はどのようにまわっているのだろうという観点で行っているため特殊な位置を占めています。都市を考えるには、地方についても見なければならないだろう、と。

 たまたま前任校が、古い社が多くある九州だったため、御朱印帳ブームが訪れる以前から、御朱印を集めて神社をめぐることを趣味にしてもいました。2014年、本学にご縁があって赴任してきた際、せっかくだから神道文化から何かを研究してみたいと考える中で、以前に演劇も研究で触れた経緯があったことから、身体芸術として手がかりがありそうな神楽に関心を持つようになりました。

 広島と宮崎の神楽を、文化的産業の構造という面から、幾度も足を運んで学んでいきました。石見神楽にかんしては、初めはシンポジウムにコメンテーターで呼ばれたんですね。そうしたら現地の人に、「山本先生、島根の神楽を研究せずして何が神楽ですか!」と言われてしまいまして(笑)。皆さん、熱い心の持ち主なんですよ。

 今、神楽の研究を始めて5年ほど。文化自体を研究するというよりは、やはり文化の継承であったり産業としての構造であったりと、文化から少し離れたところから客観的に見るという立場を貫いているのです。だからこそコロナ禍において、改めて神楽の可能性も見えてきたように感じています。

 

 

 想像してみましょう。石見神楽のように神楽によっては、モクモクとスモークを焚き、場の一体感を演出しながら観客を魅了するようなものがあります。昔はドライアイスなんて存在しなかったはず。しかし、それでも私たちは、この神楽を「伝統的」なものとして感じます。

 後編では伝統でありながら「変化」をも遂げていくという、両面性を帯びた文化のあり方について、お話ししていきます。

 

 

研究分野

経済地理学、都市地理学

論文

大都市の創造性とアニメーションスタジオの役割:労働者の働き方とネットワークに着目して(2018/04/01)

アメリカ議会図書館蔵初期外邦測量図データベースの構築(2017/02/01)

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