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渋谷は、聖地化が困難な「無縁のバザール」といえる空間

なぜ渋谷に「聖地巡礼」は生まれないのか!? 3つの視点から考える、聖地化しない渋谷の背景 ~Part3~

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文学部 准教授 飯倉義之

2020年3月16日更新

 作品のモデル地を巡り、作品世界と現実世界とを重ね合わせて楽しむ観光行動「聖地巡礼」。自治体や観光協会、商工会が、元になった作品 (コンテンツ)の著作権者や出版社などのライセンス元と協力して、そうした「聖地巡礼」の観光客を呼び込む観光活動を行うことも珍しくない。
 
 現代においてコンテンツは、「観て楽しむ」だけにとどまらず、「巡って楽しむ」「触れて楽しむ」という具合に、いかにして体験的価値へと紐づけるかも重要になっている。「聖地巡礼」ともなれば、経済効果も期待できるだろう。
 
 ところが、渋谷には目立った「聖地」が存在しない。渋谷クロスタワーのテラスは、たしかに尾崎豊ファンが多数訪れるスポットだが、いわゆる「聖地巡礼」と呼ばれるようなポピュラーカルチャーにおける、マンガ・アニメ作品の「聖地」がないのだ。
 
 なぜ、渋谷に「聖地」は生まれないのか――。
 
 飯倉義之・文学部准教授が、聖地化しない“3つの理由”を、渋谷の街を巡りながら解説する。
 
 
 
 
 
 前回、前々回となぜ渋谷に聖地が生まれないのか。その理由をひも解いてきた。しかし、カルチャーの発信地である渋谷に聖地が存在しないというのは、いちごの入っていないいちご大福のような、釈然としない物足りなさを感じてしまう。もし仮に、渋谷に聖地が生まれるとしたら――。飯倉先生が答える。
 
 「渋谷に聖地が誕生するとき、それはイメージとしての「SHIBUYA/シブヤ」ではなく、居住者が当たり前に生活する場としての「渋谷」が見つめ直されるときなのかもしれませんね。数少なくなった渋谷駅周辺の生活者の空間は、あまり知られていない。つまり、イメージとしての渋谷が強固ではないですからね」
 
 では、現在も残る渋谷駅周辺の生活者の空間とはどこなのか?
 
 「一つは、國學院大學のある東周辺。中でも東2丁目には、いまなお銭湯や魚屋が存在しています。渋谷と恵比寿の中間にある場所とは思えないほど、昭和の雰囲気が色濃く残ったエリアです」
 
 ただし、「東には「バケモノの子」で、たびたび登場する渋谷氷川神社もあります。前々回紹介したように、「バケモノの子」でさえも渋谷を聖地化させることはできなかったですからね……」と苦笑いを浮かべる。
 
 
 

(CAP)「バケモノの子」にて、蓮と楓が重要な会話を交わす場所として登場する渋谷氷川神社。印象的なシーンにもかかわらず、聖地化には至らなかった。
 
 飯倉先生曰く、もう一つ渋谷駅周辺で生活感を感じさせるエリアがあるという。鴬谷町、桜丘町、鉢山町周辺だ。「猿楽町の天狗坂を下って、鶯谷町に入ってからの風景が面白いんですよ」と教えてくれる。
 
(CAP)「小さい区画の中に、渋谷にいるとは思えないような雰囲気が漂っています。道も曲がりくねっていて、昔ながらの道であることを教えてくれます」(飯倉先生)
 「前回、渋谷が意味づけられた街であることを説明しましたが、渋谷と相性の良い作品は、若者が渋谷という街に翻弄されて成長していく……というストーリーが少なくないです。そのため、生活する場としての「渋谷」が見つめ直されるときとは言ったものの、制作者が渋谷に生活者の空間を求めているのか、といったそもそもの問題もある」
 
 やはり渋谷は聖地に向かない場所――なのだろう。さらには、「渋谷」は変化し続けるがゆえに、生活する場が見つめ直されないままその場所が変わってしまうと続ける。
 
 「例えば、百軒店もかつてはの生活の場と商いの場が共生する場所でした。しかし、開発が進み、生活者が去ったことで、今では生活感がほとんど感じられない商業地になってしまいました。渋谷は、常に時代の最先端であり続けるために変化し続けています。新しく生まれ変わったとき、前時代の最先端の一部が残存していることも珍しくない。時代時代の際(きわ)が多層的に重なっている街、とも言えるでしょう。つまり、各世代によって渋谷の風景が異なる。個々の思い入れが強くなると、共通した景色は抱きにくくなります」
 

 聖地巡礼のような来訪者にとっての聖地だけではなく、生活者にとっても聖地と呼ぶような共有できる場を見出しづらくなる……。「渋谷は聖地ではなくバザール(市)」。そう飯倉先生は評する。

 
 「パッとやってきてパッと散るような街です。一回来てみたもののその後まったく来なくなる人もいれば、足繁く何度も通う馴染みのような人もいる。大道芸人のようなパフォーマーもいれば、裏では怪しい賭博をやっているような人もいる

盛り場としての街。巨大なバザールですから、撤収も早くなるでしょう。

 歴史学者の網野善彦さんの言葉を借りるなら、現代の渋谷は「無縁の場」です。知らない者同士が出会い、すれ違う場所。ゆかりとしがらみがなければ、思い入れは生まれませんよね」

 
 ゆかりとしがらみがあるからこそ、生活者も、来訪者も、その場所に聖地としての記憶を見出すことができる。だとしたら、渋谷は、どう転んでも聖地とは相性が悪い街なのだろう。渋谷に聖地巡礼現象が生まれるとき、それは渋谷が縁を取り戻したときなのかもしれない。
 
 

取材・文:我妻弘崇 撮影:久保田光一 編集:小坂朗(原生林) 企画制作:國學院大學

 

 

 

 

飯倉 義之

研究分野

口承文芸学、民俗学、現代民俗

論文

柳田國男と/民俗学と写真―方法論の不在について―(2023/08/05)

オカルトを買っておうちに帰ろう : 「コンビニオカルト本」の私的観察史(2023/04/01)

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