私の専攻は日本史で、特に戦国織豊(しょくほう)期です。大河ドラマ「真田丸」をご覧になっている方もいらっしゃると思います。日本の歴史はいろいろな時代がありますが、大河ドラマで視聴率が取れるのはやはり戦国と幕末。今日も「戦国エリートの思考回路」をテーマにしました。
ちなみに、考古学と歴史学の違いが分かりますか?考古学は古いことを考える学問ですね。土に埋まっているものから古きものを考えます。歴史学は、「史」という字は「ふみ」と読むので文字です。われわれは言葉を非常に大事にしています。今日は言葉にこだわりながら話を進めていきたいと思います。
人間は赤ちゃんの時から、褒められたらニコニコするし、怒られたら泣いちゃう。これは大人になっても一緒ですね。できれば他人から認められたい、褒められたい、よくやったねって言われたい。でもなかなか日常はそういうことばかりではなくて、小さな失敗、大きな失敗を繰り返しています。リスクは避けたいと言いながら、いろんなリスクが日常には転がっています。
戦国時代、失敗するとどうなるのか?
戦国時代、失敗をするとどうなるかというのがこういう感じです。極端ですが、首がはねられる。ここから命が救われるということは恐らくない。今われわれが生きている21世紀の日本において、何か失敗してここまでいくことはありません。
歴史学は、「この言葉は一体いつからあるのだろうか」という観点でものを考えることもよくあります。今回、失敗の歴史をちょっと探ってみようと思いました。そうしたら結構面白いことが分かりました。
皆さん、どのあたりから日本人が「失敗」という言葉を使ったかご存じですか。意外に新しくて、実は1870年。明治2年の話です。中村正直さんが訳した「西国立志編」に、「失敗」という言葉が出てきます。その失敗という言葉に注が付いています。「失敗」はこういう意味だよという説明として「仕損じる」と書いてある。明治までの人たちは失敗をしたことがない人たちだったということになってしまいますが、そんなことはありません。
戦国時代の信長や秀吉は、失敗はしてないけど、「仕損じた」とは思っていたはずです。「急(せ)いては事を仕損じる」という言い方は結構古くからありますが、信長、秀吉の手紙の中に「失敗」に近い言葉はないだろうかと探してみたところ、こういう言葉がありました。「おちど」。「おちど」という言葉は恐らく皆さんも、これまでの人生の中で何度か使ってきた言葉だろうと思います。「失敗」と同じぐらい普通の言葉です。「それはお前の落ち度だろう」「こちらの落ち度でどうも申し訳ございません」――そういう会話があると思います。ここで皆さん、ちょっと考えてください。どういう漢字を書きますか。恐らく皆さんの頭の中にあるのは「落ちる」ですね。これは正しい認識ではあります。しかし、戦国時代はあまりその字を使わない。
越後の「越」に「度」。これで「越度」。小田原出兵の時に秀吉が甥の秀次のことを激しく叱責する中で「これからもこのようなことを繰り返すのであれば、越度として厳しく罰する」というような表現で出てきます。
「落ちる」と「越える」の字を見ても、どちらがポジティブで、ネガティブか、漢字から受ける印象は違いませんか。「落」は下に行くネガティブなイメージで、「越」は何かトライしているというか背伸びして、頑張って越えていくという漢字ですよね。
「度を越える」ということは、限界にチャレンジして、越えようとしたけど、ちょっと失敗しちゃったという言葉になっている。「度」は、その人の度量、キャパシティーにも関連するような言葉。キャパシティーを越えるぐらいチャレンジしたけど失敗しちゃったと…。「越度」を覚えて帰っていただければ、「おちど」に対する考え方もポジティブに変わるのではないかと思います。
英語に見るさまざまな「失敗」
考えてみると英語にもさまざまな「失敗」という言葉があります。例えば、一般的に広い意味でいうとfailureが、普段使う失敗の言葉としては汎用性が広いと思います。failureは、前向きな失敗、トライした結果、残念ながら駄目でしたということもあれば、実はさぼって手を抜いて、しかるべくして失敗してしまった場合もfailureです。
一方、too much。これは酒の飲み過ぎとかにもつながる言葉ですが、まさに度を越えるに近いイメージ。言ってみれば、極端に身の丈を越えることをやっちゃったということですね。
faultはスポーツでもよく出てきますね。例えばテニスで、ファースト・サーブがギリギリのラインを狙ったけど、ちょっと出ちゃった。その場合、激しくfault!と叫んで、やり直す。faultは別に狙ってやっている失敗ではありません。ギリギリのラインを狙わないと相手がリターン・エースをしてくるので、こっちもギリギリを狙って、できればサービスエースにいくぞという狙いなのです。失敗とはいえ、どちらかというと過失です。狙ってやったことではなくて、トライした結果の過失であるという言葉だと思います。
批判は甘んじて受ける
僕の研究の話もしたいと思います。秀吉の研究をしていますが、2013年11月、國學院雑誌で「関白秀次の切腹と豊臣政権の動揺」という論文を発表しました。
秀吉が関白ですが、その甥っ子の秀次が2代目の関白です。関白は言ってみれば今の内閣総理大臣などよりよほどすごい独裁者です。その秀次が秀吉によって切腹させられた。さらにはその妻子39名が、白昼の京都、三条河原で5時間にわたって惨殺されたという事件があり、それは秀吉がもうろくした結果である、秀頼かわいさのために行ったというストーリーで今まで語られていましたが、どうもそうじゃない。
秀次は、「自分は無実だ」「私はあなたに怒られるようなことをしていません」と、無実の証明のために男らしく腹を切ったのだと。だけど秀吉が「そんなことしてんじゃねぇよ」とブチ切れたと論文に書きました。
論文の内容は、当時大手新聞大阪本社版では1面に載ってしまい、さらにヤフーニュースのトピックスにも掲載されました。その日は一晩で2ちゃんねるのコメントが1000を超え、「この准教授はアホや」「何も分かっとらん」「給料泥棒」などと散々書かれ、僕の人生の中で一番心折れた出来事でした。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。記事を見た出版社の方がアポイントを求めてきました。批判されるのかと思ったら、「矢部先生、本を書きませんか」と。そこから2年3カ月ぐらい待たせましたが、今月、ようやく出版されることになりました。
僕がその時に感じたことは、「ありがたいな」ということでした。つまり、それだけ人から批判されるというのは、僕にとっては本来大失敗であるはずです。ですが、論文を書いたことで、反響が得られたという見方もできます。批判も多かったですが、「なるほど僕それ知らなかった」「そう言えば、そこを詰めてなかった」とも思えること多くありました。つまり、ネットの匿名の住人たちが僕に問題提起をしてくれたのですね。
「なるほど、そういう見方をする人がいるのであれば、僕はそれを一個一個潰していこう」と。大事なことは、自分は絶対失敗して人から批判される、叱責されることにある程度素直に耳を傾けると、その中に何かヒントがあるということです。
われわれが論文を書いて一番悲しいのは、無視されることです。せっかく時間をかけて頭の中で汗をかいて論文にしても、誰も見向きもしてくれずに、誰も引用もしてくれないとなると、本当に何のためにあんな時間をかけたのだろうと悲しくなってしまいます。
一方で批判されたりすると、なにくそと思えてきます。論争してやろうと、動きが出てきます。ですから、批判は甘んじて受け、答えるべきところは答えるようにしたいと思っています。
失敗とどう向き合うか
戦国武将の思考回路の中では、かなりポジティブに、自分の身の丈に合ったところを考えていました。ですが、等身大では勝てない相手も出てくるわけです。その場合は、ちょっと背伸びして、「越度」というギリギリのところでトライしていく。彼らは常にそうした恐怖と戦っています。「真田丸」を見ていただいてもそうですが、実は戦国武将たちは日常的に戦争をしているわけではありません。大体は下準備をして外交交渉して、できれば同盟を組んだり贈り物をしたりして相手の怒りを鎮めます。にっちもさっちもいかなくなった時に初めて戦争になる。そうなったら命のやりとりなので、彼らはいろいろと虚勢を張った兜を身に着けます。
トンボをあしらった兜です。何でトンボなのでしょうか。実は彼らは絶対にバックしません。前に飛び続けるんです。つまり一歩も引かない。それが彼らの戦闘意欲を奮い立たせるわけです。トンボのことを「勝ち虫」というゆえんです。
われわれ歴史学者は古いことをいろいろ考えるわけですが、実は時間を対象に研究をしています。世の中で前に進み続ける唯一のものが時間ですね。光も音も反射させることができますが、時間だけは巻き戻すことができない。起こってしまった失敗は取り戻せないので、それを認めて次にどうすると考えざるを得ないわけです。
そういう意味では、われわれ歴史学者はチョロQで、古いところまでは下がりますが、パッと手を離して前に進んでいき、今いるところよりも先の将来を思い描く。過去の人たちはこういうベクトルで進んできたから、それが失敗であろうが成功であろうが、彼らは明確に行動したのだと。
行動の結果という貴重な成果が失敗であり成功なので、常に人間は前に進んでいくという気持ちで失敗と向き合っていくというのが大事なのかなと、歴史の時間を扱う人間としては考えるところです。
ご清聴いただき、ありがとうございました。