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経済 X 宗教 トークセッション
キーパーソン:クリエイティブディレクター 箭内道彦
モデレーター:シブヤ経済新聞編集長 西 樹

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クリエイティブディレクター 箭内道彦ほか

2016年4月25日更新

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ーそれでは皆さん、よろしくお願いします。渋谷のラジオ、楽しみですね。

箭内:おかげさまで、87.6メガヘルツで「渋谷のラジオ」が始まります。渋谷FMというコミュニティーFM局が3年前まであったのですが、残念ながら無くなってしまったんですね。一度失敗した渋谷のFMを成功させるのは並大抵じゃない、とみんなで話し合い、言われたりもしますが、逆に3年前の先に挑んでくださった先輩の失敗があるという部分は、とても僕たちには勇気にもなるし、ありがたいと思います。

ー明日は3・11から5年目となります。今はどういう心境ですか。

箭内:毎年そういうふうにしているのですが、明日の朝に新幹線で郡山の実家に帰って2時46分は実家で迎えます。やはり進んでいる復興もあれば、まだまだ足りない部分もあったり…。もう大丈夫だよと言う人もたくさんいますが、あの日から時計が止まったままなんですと言う方もいます。報道は「あれから5年」とひとくくりにしたり、節目にしたりしますが、100万人いたら100万通りの立場や思いがあることを、やっぱり僕らは考えていかなきゃいけない。最近ダイバーシティという言葉があります。先ほど赤井学長とも話したのですが、いろんな人がいるから面白い、いろんな人がいるから前に進めるんだと…。そういう技術を、渋谷も、東北も、日本も、今、問われているときなんだなと思います。

ー藤本先生のお話を、どのように聞きましたか。

星野:私とスタンスが全然違うのかなと。私は現実を見ようとか、これまでの過去を振り返って何かそこから教訓がないのかという、失敗を糧に次の成長に結び付けていきましょうという話だったのですが、藤本先生の話はリーダーの理想像のようなことで、後は先を見据えるということですね。未来志向というかたちで、失敗をうまく成功にするという、ちょっとスタンスが違うのかなという印象を受けました。

ー藤本先生はいかがですか。

藤本:やっぱり現実にある物事ですね。星野先生の話は、誰しもいろんな仕事に携わりながら、このままで行こうよということはあるし、誰しも続けていく事業に対して自分なりの思いがある。そうした中で、「ああ、そうだな」と思わせることがありました。

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ー箭内さんは、いかがでしたか。

箭内:僕は、こうやって授業を受ける感覚は何十年ぶりかなと思って、それがすごく新鮮で面白かった。一つ思い出したのが、先輩からプレゼンの帰りのタクシーで「プレゼンの醍醐味は何だか分かるか?」と言われたことです。入社して、まだ2、3年の僕が「いや、思っていることを上手に発表するということじゃないでしょうか?」みたいに答えたら、「自分のせいで負けたと思えることなんだよ」と言われました。共同作業が多いと、絶対に自分じゃない、誰かのせいにしたり、勝ち負けを決めた人のせいにしたりしますが、「自分のせいで負けたと思うことで得るものは計り知れない」と、そのときに思いました。すごく苦しいことではありますが、お2人の話を聞いていて、ぼんやり思い出しながら刺激を頂きました。

ープロジェクトの失敗が、集団と個人の関係で非常に二面性がありそうですね。

星野:日本人ならではなのかもしれませんが、プロジェクトのリーダーはプロジェクトのみんなのことまで考えるわけです。結局これをやめてしまったら迷惑をかけてしまうんじゃないか、とか。あるいは、日本の経営学者は意外と最後に逆転のドラマがあるとか、そういったところを取り上げる傾向があるかもしれない。何かまだ、これをやっていけば最後にどんでん返しがあるんじゃないかという、そういう淡い期待を持ってしまう。逆に、アメリカなどはいかにそういった無駄な事業を削って、今後伸びるところに投資していけばいいのかという合理的な思考です。

ーどんでん返しに期待するのは、ちょっと日本人らしいところなのでしょうか。

星野:しかもそれが、自分が言い出しっぺだとすると、なかなか撤回できません。またそういう人が意外と経営者とか取締役にに残っていたりすると、その事業がなかなか無くならない理由はそういうところにあるのかなと考えます。

ープロジェクト単位で撤退しづらい理由について、どのように考えますか。

藤本:私は、どちらかというと、問題が起こっても、とにかく自分たちで何とかしようというやり方が日本的なあり方の一つとしてあると思います。そうすると、かつては、例えば責任ある立場の上司の一人が「俺が何とかしてやるから」とか、どんなに駄目な人材がいたとしても「俺が何とかしてやるから、おまえが後にちゃんと育ったら俺のようにやれよ」というかたちで何とか凌(しの)いでやってきた。今はそういうあり方が少しずつ変わってきて、「いやそうではなくて、こういうところは、自分達だけでなくて、もっと他の組織、プロジェクトとの共助的なものに任せよう」という考え方もあります。

ー箭内さんは、プロジェクトで何か物事が動いているときに止めたことはありますか。

箭内:それはもう、たくさんあります。でも、若いうちはできませんでした。みんなが徹夜して組み立ててくれたものを「違うんじゃないか」というのは、なかなか勇気が要った。でも、言えなかったことでもっと大変なことがその後に起きたという経験を繰り返したことで、途中で言う人間に自分がならなきゃと。基本は「失敗して学ぶ」タイプです。、ちょっと話がずれますが、まず大学受験に相当失敗しました。高校3年のときに東京芸術大学にどうしても入りたくて、結局4回受けて4回目で受かった。3年浪人していて、高校に2回行ったような計算です。才能が無いならやめちゃいなと、他人がやめさせてくれるという話が先ほどありましたが、僕にとっては逆のパターンで、「やめろ」と言われたから「絶対にやめないぞ」と思えた。それはすごく感謝していて、「頑張りなさい」「好きな道を行きなさい」とみんなに言われていたら、僕はすぐにやめていたと思います(笑)。すみません、失敗だらけです(笑)。だから必ず何か失敗して、それを改良・改善するという繰り返しで僕は仕事をしています。

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ープロジェクトをストップできるようになったのは何歳ぐらいですか。

箭内:かなり遅い。40過ぎていました。20代は全然駄目で、30半ば過ぎからストップできるためにどうしたらいいか。そうしたら、メンバーが少なければいいんだと思った。10人でやっていたら9人を説得したり、9人に申し訳ないということがあったので1人でやるようにしていた。1人でやれば、自分を止めればいいだけだったので。それが、だんだんだんだんメンバーが増えてもストップと言えるようにはなりました。でも、ストップと言ったとき、言ったことが正しいかどうかはなかなか証明できませんから、最後をいかに無理やり成功風味に仕上げていったというか。ハッピーエンドにねじ伏せていくか、みたいなところも学んだんじゃないかと思います。だから、人から見て明らかに失敗だけど、最後まで成功の振りをし続ければ成功なんだと思っています。

ーきのうも話題になりましたが、失敗に気付くポイントについてはいかがですか。

藤本:物事がうまくいくか、うまくいかないかというのは、その物事に対してどれだけ根を詰めて仕事ができているかということがあるかと思います。そういうときに、やれることをかなり細密なところまで詰めてやっておいても、それでも想定外のことは必ず起きるものですから、そういうときは現場での対応ということになります。私の以前の職場の上司が教えてくれたのは、とにかくプロジェクトの段取り、工程を詰めるところまで徹底的に事前に詰めておくんだと。その上で想定外の出来事が起きても、それはもうそのときの現場の判断でやるしかないんだと。その場で何とか修正をかけていく、それしかないだろうと。

ー箭内さんは、そういう意味では想定外のことだらけですか。

箭内:だらけですね(笑)。これだけ長くやっていると、そういうときこそ自分の凝り固まった考え方を壊せるチャンスだと、ものすごく分かってしまうんです、先に。想定外のことが起きたときは、もう「来たー」という感じですね、今は。想定外という言葉は、すごく僕は無責任だなと思うんです。想定外を想定するのは特に震災以降、原子力発電所のことも想定外という言葉がよく使われましたが、妄想に近くてもいいから想定外を考え続けるんです、日々。妄想と言うと、ちょっとほわわんという感じですけが、イメージです。先を見ることとおっしゃっていましたが、うまくいった場合、いかない場合、いろんなイメージを具体的に描いていくことはとても大事じゃないかと思います。年を重ねるにつれて、むしろイメージをつくるための材料も増えますが、だけどそれだけを使ってイメージするイメージはつまらないということも知ってくるので、年を取るのはすごく面白いことなんじゃないかと思います。若いころは、経験という言葉を年上が言うのが死ぬほど嫌いだったのですが、経験はやっぱり面白い。今は失敗だけど、掘り進めれば別のものが見えてくるかもしれない。そうした体験を重ねることから来る諦めなさであったり諦めの良さ、損切りできるセンスが身に付いたりというのは面白い。年は、やっぱり取れば取るほど面白いと思います。

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ー神社の世界、神道の世界が僕らの身近にありますが、神社で礼拝させていただくことなどを含めて、そこと失敗との橋渡しをできるような要素がありそうな感じがするのですが…。

藤本:私は、神社の神職も務めているのですが、神社の場合は毎朝、御日供(おにっく)といって、神様にお供え物をあげて祝詞をあげます。毎日同じ時間に同じルーティンを繰り返していくのですが、それは非常に大事なことでもあって、人間の暮らしの中では、いいリズムをつくってくれるんです。神社のお祭りは、月ごとのものもあれば、1年に1回、何十年に1回しかないというのものもあります。そういうお祭りを通じて、実はその祭りがうまくいくようにその日に向けて、一つずつ、何かをやっていこう、ということを繰り返していく。そういうことが、実は、人の暮らしだけでなく、地域や人と人とのつながりを図っていく上では、大事なんだなと思うようになりました。脳科学のことは私は詳しくありませんが、思考、脳の回路という表現をすれば、例えば、先ほどお話した「御日供」という祭事は、毎日同じ脳の回路を必ず使うことになるんですね。私は、神主の子どもに生まれて、何でそんなことを父親が毎日しているんだろうとずっと思っていたのですが、私もあるきっかけがあって、毎日神祭りをやることになり、その時、ああ、これは本当に大事なことなんだな、という風に思うようになりました。

星野:先ほどからルーティンという話が出ていますが、成功体験がルーティンで回っているような気がします。成功体験が体の中に当たり前のように刷り込まれているので、逆に言うと、ふと立ち止まって、あれ、本当に成功体験で成功するのかなと考えてみると、いや、意外とラッキーだったんじゃないかということを考えるヒントになるかもしれませんね。

西:失敗は原因で結構分類化できるそうですが、成功はさまざまな運とラッキーが重なっているから、意外と体系化するのが難しいそうです。

箭内:それで、社会が面倒臭くもなっていると思います。会社にいたころも、いろんな成功体験を持っている先輩がいて、それぞれの成功体験に基づいて仕事を進めるから、すごく面倒くさいんですよね。例えば、3日徹夜して素晴らしいアイデアが出たことのある先輩は徹夜するんですよ(笑)。僕らにも徹夜させるんですよ。

西:いい迷惑ですね。

箭内:だから、成功体験もダイバーシティになっていかなきゃいけないというか、いろんな成功体験があって、そういうバラバラな人たちが成功体験の接点をうまくつくっていくのが社会のクリエーティブなんだという風に思わないと、成功体験は絶対に人に押し付けますからね、人は。「人」という字を書いて飲んでうまく人なんか、そんなにいませんから(笑)。

星野:確かに(笑)。

ー時間が迫ってきました。最後に一言ずつ、お願いします。

星野:成功体験は本当に頭の中で当たり前にだんだん染み付いてくるものですね。そういったものはふと立ち止まって、いや、待てよと。体験して、どういった順序とか手順とか流れでもって、成功というものが実際には得られたのかと。逆に、失敗というものは、どういう風になって失敗というものにつながったのかということを、意外とロジカルに考えることは少ないと思います。逆に、そんなことを考えていたら毎日の日常生活がぎこちないものになってしまいますから、今までの成功体験を頭の中に入れた上で、直感的に右か左かというと何とか右という風にするということですね。でも、特に大事な意思決定の際には、これまでの過去を振り返って、ちゃんとロジカルに分析することも大事ですし、集団の意思決定をうまく使って、そんなところから何となく正しそうな判断につなげていってほしいと思います。もちろん、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではダメですが(笑)。

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ー藤本先生、いかがですか。

藤本: 成功体験ということで言えば、神社の場合、人の節目節目に何かをお祝いしてあげたり神様に感謝したり、そういうことをやっていきます。例えば何かに成功したときでも、このことは自分だけではなく地域の人、地元の氏神様のおかげだということで、何かの節目にお礼参りをするなどして、先人たちは何かを伝えてきたところがあります。それが人生儀礼とか通過儀礼といわれるものでもあるかもしれませんが、逆に成功した、あるいは逆に失敗したということをきちんとその場で忘れないためにも、そういうことをするのかもしれない。お祝いや感謝を通じて、もう一度周りの人と、あ、こういうことがあったよねとか、こういうことをやったから君は成功したんじゃない? とか、そういうことを話し合う機会もある意味でダイバーシティになっていくんじゃないでしょうか。

ー箭内さん、皆さんが明日から使える失敗への向き合い方はありますか。

箭内:いやいやいや(笑)。僕も、渋谷のラジオが失敗しないように頑張るのみです。失敗は成功の母と、認知度100パーセントのことわざですが、失敗がどうやら成功につながるということはみんなが知っていますよね。わざわざこうやって集まらなくてもと言ったらあれですけど(笑)。ただ、失敗というのは周りには迷惑を掛けます。だから、失敗を大事にするとともに、失敗を寛容な気持ちで見守ってくれる人たちに、仲間たちもそうだし、社会もそうだし、そこに感謝しながら相手の失敗にも厳しくありながらも、寛容でありたいなという風に思ったきょうの時間でした。失敗に対して厳しすぎますね、世の中が。最近僕はよく言うんですが「寅さんみたいな人が減った」と思うんです。「許さない社会」に、インターネットを含め、なり過ぎているように思えます。先日の対談で学長から、「主体性と寛容さのどっちも必要なんだよ、それがダイバーシティなんだ」という、ありがたいお言葉を頂きました。

藤本:あとは、謙虚さも必要かもしれませんね。神道精神という点でいえば。

箭内:謙虚さ。一個抜けていた、僕も同感です。

藤本:「日本人としての主体性を保持した寛容さと謙虚さ」と、國學院大學では言っています。

西:とある失敗学の本にありましたが、失敗で成長する人、失敗から学ぶことができる人は謙虚な人だそうです。だから、謙虚と失敗はセットで生きているわけです。それを社会が寛容に見守れば、もう少しいろいろなことがギスギスしなくても済むかもしれませんね。そろそろお時間になりました。こうして失敗と向き合ってみることは、全然マイナスじゃないことがよく分かります。これを機会に皆さんも、失敗について考えていただければと思います。皆さん、ありがとうございました。

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