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平成27年度卒業式学長式辞

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2016年5月23日更新

平成27年度卒業式「学長式辞」

自らを語ることのできる人になれ

学長 赤井益久

1、はじめに

 124期の卒業生の皆さん、ご卒業誠におめでとうございます。また、ご父母の皆様にも大学を代表して心よりお祝いを申し上げます。  皆さんは定められた学業を修了し、これから社会に羽ばたいていきます。卒業するに当たって、4年前の入学の時にそれぞれ心に立てた目標にどれだけ近づき、あるいは計画を実践できたでしょうか。振り返ってみてください。卒業は、学生生活を終えることを意味しますが、人生の道のりは長く、「学ぶ」ことに終わりはありません。  時にわが身を振り返り、折にふれて将来を考えることは、人生を豊かに歩むためには必要です。そして、大学で学んだことを基礎として、社会に出てそれを活かす努力をしていただきたいと思います。  はじめに、振り返ってみてほしいのは、皆さんが学んだ学び舎である國學院大學を、またそれぞれに専門とした学問を自分の言葉で説明できるでしょうか。ほかでもない、自分が学んだ大学や修めた学問を、いかに理解できていたでしょうか。

2、皇典講究所を母体とする國學院大學

 明治維新後、欧米の文化の波が押し寄せ、欧化一辺倒になった時代に、わが国固有の文学・歴史・法律・民俗、宗教を研究教授する機関として、明治15年(1882)朝野の有志が集まって設立されたのが、國學院大學の母体である皇典講究所でありました。皇国の典籍、すなわち日本の古典を講究する機関として出発したのです。初代総裁である有栖川宮幟仁(ありすがわのみや・たかひと)親王が設立の際に生徒および教職員に宣言した「告諭」には、「凡ソ学問ノ道ハ 本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ 故ニ国体ヲ講明シテ 以テ立国ノ基礎ヲ鞏(かた)クシ 徳性ヲ涵養シテ 以テ人生ノ本分ヲ尽クスハ 百世易(か)フベカラザル典則ナリ」とあります。  学問は、その根本を究めることが重要で、日本人の拠って立つ基盤を研究することで、日本の国柄を明らかにし、道徳心を養うことで日本人として持って生まれた本分を十分に発揮することこそが変わることのない、不変のきまり、永遠の規範であると、宣言されたのです。また、それから8年後の明治23年(1890)山田顕義公の「國學院設立趣意書」には、日本文化の究明には、同時にヨーロッパやアジアの国々の倫理をも学ばなければならないと謳っております。けっして独善的かつ偏狭な立場ではない、外国への視野をもった公平な視点といえます。当時の日本では、いま、世界において進んでいる地球規模での変革や、価値観の多様化、いわゆるグローバル化と同様な変革が日本の社会に訪れていたのです。その答えの一つが、自国文化の尊重と研究でありました。

3、「神道精神」と人材育成

 また、國學院大學は、その教育にあたっては「神道精神」に基づく人材育成を基本方針としています。これを現在では「日本人としての主体性を保持した寛容性と謙虚さ」と意義付けしています。また、「明(あか)き清き直(なお)き心」あるいは「清き正しき心」とも、言われております。明朗にして誠実、正直にして謙虚であり、へりくだって相手の立場をおもんぱかる精神や性格とも言えます。日本人が好む人物像といえます。  また、神道は祭りの宗教であると言われるように、神社や神道と聞いて、ただちに思い浮かべるのは、「祭り」と鎮守の森ではないでしょうか。祭りは、地域の共同体が協働する祭礼であり、構成員はその共同体に奉仕することで成立します。言い換えれば、神道精神とは、祭りに奉仕するという観点からすれば、共同体への奉仕の精神とも言えるでしょう。  また、万(よろず)の神々がおわす鎮守の森は、われわれの生活が自然環境と深い繋がりがあり、自然の恩恵を享受し、我々もまた自然の一部であることを自覚させてくれる大事な機能をもつとも言えます。   皆さんが大学を巣立って新たな社会へはばたくに当たって、大学において学んだ専門は異なるにせよ、大学の基盤を形成する精神は、以上述べたような内容であることを理解していただきたいのであります。そして、それを自覚し、社会において役に立てて欲しいと申し上げたのは、じつはこうした精神の中に、これからの日本社会、ひいてはグローバル化が叫ばれる世界において未来を切り開く鍵があるように考えるからであります。

4、文化の多様性について

 グローバル化が進む国際社会では、文化の多様性、価値観の多様性が、人類共通の課題となっています。つまり、多様性をいかに調和してゆくか、多様性のある共存をいかに実現してゆくかが問われているのです。  人類史の上で、世界が文化の多様性や文化的共存に、どのように対応してきたかについて、ロンドン大学の政治思想学者チャンドラン・クカサス(Chandran Kukathas)の分類によれば、(1)鎖国主義、(2)同化主義、(3)純粋な多文化主義、(4)積極的多文化主義、(5)隔離主義に分けられます。歴史的に見れば、すでに鎖国主義や隔離主義は過去の遺物であり、同化主義も人種差別などの弊害を生み、人類に幸福をもたらす普遍的考え方であるという評価は得られていません。  長い歴史を経て、残された立場は、多文化主義、あるいは多様化主義や共存主義といってよいものであります。この文化の多様性への注視は、同時に生物多様性が大いに示唆するものであるという指摘があります。  自然界におけるあらゆる生物は共存するとともに、相互に依存し、互いに影響し合う。一見無関係なようでも、大きな循環では共存し合う、互恵的な関係性をもっています。われわれ人類は、人類の都合で、その功利性や実利主義から、生物の価値を判断し、種の絶滅を助長しています。いま失われた役に立たないと思われる生物がその後に人類をはじめとする種を救う役割を担う可能性を、じつは誰も否定できないのであります。

5、南方熊楠(みなかた・くまぐす)に学ぶ

 明治維新を控えていた慶応3年(1867)和歌山に生まれた博物学者、生物学者にして民俗学者でもあった南方熊楠は、少年時代より博覧強記で知られ、学問に天賦の才を発揮しながら大学予備門を18歳で中退します。その後、熊楠は19歳から24歳まで5年間をアメリカで、その後25歳から32歳までの7年間をイギリス・ロンドンで過ごします。いずれも生物採集と読書に明け暮れる日々を送ることになります。とくに目的を定めた留学ではなかったようですが、この十数年にわたる海外での生活は、学者としての方向性を定めるとともに、熊楠に大きな視野を開かせたようです。  帰国した熊楠は、後世に大きな足跡を二つ残します、一つは、和歌山県熊野、勝浦や那智において、粘菌(ねんきん)の採集・研究に没頭します。草木の影や地表に生息する植物とも動物ともつかない粘菌は、最も原始的な動物といって良いものです。  もう一つは、生物の多様性を維持している鎮守の森の保護に乗り出したのです。もともと、地域の信仰や習俗に根ざした神社や祠(ほこら)は、その地域共同体の結節点でもあり、多様性のある生態系を維持する拠点でもありました。熊楠は、この生態系を破壊する動きに反対します。  アメリカとイギリスでの十数年間にわたる海外の生活で、熊楠は欧米に比較して得た日本のすばらしさを痛感すると同時に、日本のあるべき姿を希求していたようです。言い換えれば、ミクロの世界を通して、人類が普遍的に意識しなければならないマクロの世界を同時に見ていたようです。大自然に抱かれて生きるすべての生き物、森羅万象の在りよう、それに関心が向いていたようです。  われわれ後世の日本人が、南方熊楠に学ばなければならないことは、ヒトは大自然に対して畏(おそ)れ敬(うやま)う気持ち、大自然の中で活かされているという謙虚な心をもち、生物多様性の中に生き、それを文化の多様性にも活かすように配慮する努力ではないかと思います。

6、グローバル社会の中で―自らを語ることのできる人になれ

 グローバル化が叫ばれる現在、文化の多様性にいかに対応してゆくかは、さまざまな課題をはらんでいますが、一つ言えることは、カナダの政治哲学者であるチャールズ・テイラー(Charles Tailor)が指摘するように、近代自由民主主義の規範である「自由」「平等」は、社会の同質性を助長すると同時に、その独自性に対して適切な承認を受ける権利を有していると考えている点であります。分かりやすく言い直せば、それぞれの文化のもつアイデンティティおよびそれに対する承認は、その文化の自己像と自尊心の重要な要素となる、ということであります。すなわち、自らを理解し、自らの言葉で自らを語ることができなければ、それに基づく他者理解はおぼつかなくなり、長期的で、深いレベルでの相互文化理解は不可能になります。  学生時代を振り返り、自らの大学や専門を自分の言葉で語ることができるようになってほしいと願うのは、そうした内省的行為が、外に向かう力となり、深いレベルでの相互理解を可能にすると考えるからであります。  われわれは過去に学び、将来を考えながら、「今」を生きるよりほかにありません。卒業を機に、いま一度歩んできた道を振り返り、来るべき新たなる未来の扉を力強く押し開いていただきたいと存じます。  諸君のますますのご活躍を心より祈念して、学長告辞と致します。

 

以上

 (平成28年3月20日 グランドプリンスホテル新高輪「飛天」にて挙行)

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