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古事記は「わからないから面白い。」1300年の時を超えて愛される理由を語る

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古事記学センター長 谷口雅博

2018年10月18日更新

  %e8%b0%b7%e5%8f%a3%e5%85%88%e7%94%9f%e2%91%a0 『古事記』への世の関心は、いつでも高い。最近ではライトノベル化をはじめとして、この日本最古の歴史書・文学作品は、若い世代にも親しみをもたれている。こうしてさまざまに解釈され、広まりを見せつつあるなかでこそ、『古事記』そのものの、文字ひとつひとつを丹念に読み解こうとしているのが、日本上代文学を専門とする谷口雅博・文学部教授だ。國學院大學古事記学センター長として見つめる、『古事記』の面白さ、「30年以上読んでもわからない」と和やかに笑う、その奥深さとは何なのだろうか。

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     若い世代の方にも『古事記』という存在は興味を持たれているようです。そもそも、『古事記』に出てくる異界・異境訪問の神話は、「異境に行って何かアイテムを手に入れて強くなる」という構図においてTVゲームなどとも共通性が高いですし、宮崎駿監督による『千と千尋の神隠し』等のアニメ作品にも、こうした神話をベースにつくられているものがあります。他の分野においても、712年につくられた日本最古の歴史書・文学作品として、象徴的な扱いを受けているように感じます。

 また『古事記』は、当時すでにあった神話や説話、そして歌を取り込み、つなぎあわせて構成されています。それをさらに自由に、二次的・三次的に解釈し、キャラクター化していく。こうした受容の流れもまた象徴的ですね。

    ただ一方で、『古事記』そのものについての関心が強いかといえば、そうともいえないところがあるように感じます。そして、私自身としては、『古事記』を起点にした関心が多方面に広がっていけばいくほど、そこで変わることのない『古事記』そのもの――つまり“原典”について、しっかりと伝えていかなければならないと思っています。“原典”といいましても、712年の成立時のものが残っているわけではなく、1371年の南北朝期に書写された『真福寺本』が最古の写本です。他の当時の文献資料なども参考にしながら、中世の“写本”から上代の“原典”までいかに遡れるか、という問題があります。いずれにしても、『古事記』を様々な分野で広めつつ、『古事記』そのものについてもきちんと伝えていく――この両輪が必要だろうと考えています。

 しかしながら、『古事記』そのものは、けっして誰でも読めるというものではありません。当時は漢字しかないなか、日本古来の古語をできるだけ表現しようと、変体漢文体という独特な文体で『古事記』は記述されました。その文字、その表現をひとつひとつ吟味し、読み解いていく、いわゆる訓詁(くんこ)・注釈作業が、私が現在行っている研究のひとつです。

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   『古事記』の漢字本文を読んでいくと、文字表現の工夫にはとても興味深いものがあります。記述の仕方自体を工夫しながら、登場人物たちの心情を伝える、その表現手法に感心させられることも多いです。

 たとえば倭建命(ヤマトタケル)は、父親である景行天皇に命じられて、各地の平定のために西へ東へと派遣されます。そのときに倭建命は「天皇既所以思吾死乎(天皇は私が死ねばいいと思っているのではないか)」と、非常に印象的なフレーズを口にして嘆きます。

     あるいはその少し前の箇所では、沙本毘売(サホビメ)という女性が垂仁天皇の妻となった際、兄である沙本毘古(サホビコ)から、兄と夫のどちらを愛するかと問われます。兄だと答えると、ならばふたりで天下を治めようと、兄から天皇を殺すように命じられる。しかしいざ、眠る天皇に小刀を刺そうとしても、できない――その場面で、「哀情(悲しい心)」という言葉がたびたび出てきます。いずれの場面も登場人物の苦悩が非常に良くあらわされた効果的な文字が選択されているのです。

 

    平仮名が生まれる前の時代の表現として、ストレートで、テンポもいい。展開もスピーディーで、心地よさを感じます。中国から来た漢字という外来語をつかって、こうした表現を書き表していく苦労と工夫は、丹念に読めば読むほど興味深い。

    他方で、少し展開をとめて、登場人物の思いをたっぷりと表現したいときには、歌が用いられている。これもとても効果的です。

   『古事記』の基盤には、当時のさまざまな“語り”が含まれていると思いますが、その語りが漢字によって書き表され、文字化されていくなかで、徐々に日本語表現が整理されていった向きがあります。こうした文章表現の営みは現代の日本語表現にまでつながってくる話ですから、日本語表現の成立と展開を考える上でも、『古事記』は重要な文献なんですね。

    『古事記』には本当に、さまざまな魅力があります。子供の頃、宇宙の始まりや世界の始まりのことが知りたくて、よく家にあった百科事典を読んでいましたが、やはり、始まりということに興味があったからか、國學院大學に入学して最初に読んだのが、折口信夫の『国文学の発生』でした。以来、現在まで上代文学を研究し続けています。文学の発生を考えることは、ある意味で世界の発生を考えることでもある。実際に、日本文学が発生した『古事記』のなかで、天地開闢(かいびゃく)という世界のはじまりについて書かれているわけですから。そういった世界観、一種の宇宙観について考えるということは、子供の頃の関心からつながっているのかもしれません。

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 あるいは、より現実とのかかわりが気になる方にとっても、『古事記』は興味深い文献だと思います。この文章の背後には、信仰・儀礼・習俗、そして広く生活全般にわたって、当時の人々のものの見方がうかがえるからです。たとえば八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)が乙女を食べてしまう、という神話の背景には、捧げられた乙女と神の結婚があるのではないか、さらにいえば、八俣遠呂智は河川の氾濫を意味していたのではないか、という当時の暮らしの“痕跡”を見つけることができます。もちろん、『古事記』は権力者側から書かれたものではあるので、そこは注意しておかなければなりませんが、当時のものの見方・考え方が神話や説話に窺える点は、非常に興味深いところです。『古事記』が多方面の学問分野において重視される所以でもあります。

 『古事記』を読む上で大事なのは、『古事記』の“わからなさ”と向き合う、ということでしょうか。そもそもなぜ正史としての『日本書紀』と並んで『古事記』が編纂されたのかさえ、いまだに謎のままです。私も30年以上読んでいますし、私が教わった先生方は半世紀以上読んで研究していらっしゃいますが、「まだまだわからない」とおっしゃっています。そして、わからないからこそ面白い。『古事記』に興味を持つ方はそれぞれさまざまな関心を持って読んでいると思いますが、ぜひ「わからないから読む」という『古事記』の楽しみを、感じ取っていただければと考えています。

 

 

 

 

谷口 雅博

研究分野

日本上代文学(古事記・日本書紀・万葉集・風土記)

論文

崇神紀祭祀記事の意味するもの-疫病の克服と国家の成立-(2022/04/30)

研究ノート:大碓命は小碓命に殺害されたのか(2022/03/10)

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