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南アフリカのスラム街で見つけた信頼関係の築き方

自分の常識やルールをまっさらにする

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谷口友星さん(法3)

2018年9月20日更新

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 言語も文化も生活習慣も違う異国の地に単身で乗り込んだとしたら、あなたには何ができる? 谷口友星さん(法3)は昨年度、本学を1年間休学し、南アフリカへ留学した。現地では語学学校で英語を学ぶことにとどまらず、スラム街の貧しい子どもたちのためにインターネット上で不特定多数から小口の資金を募るクラウドファンディングにより図書館を建てる活動も成し遂げた。信用も何もない立場から、粘り強く現地人から信用を得て、日本では想像もできないような多くの困難を克服。単身で乗り込んだ海外で目的を達成した谷口さんが、信頼関係を築くために学んだことは「辛抱強く、誠実であること」の大切さだった。

得意のサッカー生かし、共同体の中へ

――南アフリカ(以下、南ア)へ語学留学しようと考えた動機は何ですか。

谷口さん(以下、谷口) 小学4年から高校3年まで、サッカーJリーグの東京ヴェルディでジュニア、ジュニアユース、ユースに所属し、國學院大學でも蹴球部に入部しました。Jリーガーになることが夢でしたが、「プロ選手を目指すのは20歳まで」と決めていました。大学入学後に宅地建物取引士の国家資格を取得したものの、資格だけではビジネスマンとして生きていくには足りないと感じ、英語力も身につけようと考えたのです。プロチームから声はかからず、蹴球部の監督とも相談し、退部して休学、留学しました。

 留学先に南アを選んだ理由は、単に英語を学ぶことを目的にしたくなかったからです。「自分を高めたい」「困難に立ち向かう」という気持ちがあり、英語圏でも日本で情報があふれている国は刺激的には感じませんでした。候補地を探していたところ、南アには多様な人種、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が暮らしていることが分かり、そんな中でアジア人の自分には何ができるのだろうかと考えると、「自分を試してみたい」とワクワクしてきて、南ア行きを決めました。

――スラム街に図書館を建てようという考えは留学前からあったのですか。

谷口 いいえ。最初は「結果が何かの形で残ることを成し遂げたい」という漠然とした思いだけでした。英語はほぼしゃべれないし、価値観も違う異国で、独りでは何もできるはずがありません。そこで、まずは留学先のケープタウンで現地人の知り合いをつくるため、地域の共同体に受け入れてもらおうと考えました。南アはサッカーの盛んな国柄でもあるので、私のサッカー経験は武器でした。アマチュアチームで現地人と一緒にプレーするようになり、1カ月もすると地域のリーダーとも知り合うことができ、人的ネットワークを広げる足がかりとなりました。

――どのような共同体だったのですか。

 アフリカ系イスラム教徒のコミュニティーでした。そこで行われるチャリティーで、寄付されたお金や品物が本来渡るべき貧困層ではなく、富裕層に搾取されている現実を目の当たりにしたのです。憤りを感じ、本当に困っている人たちを自分の目で確かめて、必要とされている物を自分の手で直接届けたいと思いました。スラム街で活動しようと考えたきっかけです。しかし、現地人には「そんなことをしても何も変わらない」「殺されたいのか」と相手にされませんでした。

――日本人のいない共同体には日本とのギャップを感じたのではありませんか。

谷口 時間の約束は当てになりませんし、治安も日本とは比較にならないほど悪いです。私が感じたケープトニア(ケープタウン人)の気質は、他人から願い事をされるのを嫌うということです。フレンドリーな一面もありますが、自分の共同体以外には関心を持たないという傾向も感じました。人種差別も目に見えて残っています。ですから、自分の常識やルールをまっさらにして、自分もケープトニアになるしかないと早い段階で考えました。

 

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ランチ持参で伝えた熱意

――治安の悪いスラム街で活動するために、どんな手段を取ったのでしょうか。

谷口 単身でスラム街に入ることは危険ですから、住民とコネクションのある現地人を探しました。その中で出合ったのが、貧困家庭に住宅支援を行っている国際的な非政府組織(NGO)である「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」です。そのケープタウン事務所で働く現地人スタッフのアフリカ系男性と親しくなることができました。スラム街での図書館建設は、彼との信頼関係が築けなければ、実現しなかったと思います。

――スタッフからの信頼はどうやって得たのでしょうか。

谷口 初めての面会では話を聞いてくれました。しかし、その後は約束が取れない、約束していても会えないという状態が続きました。それでもどのようにしたらコンタクトが取れるかと模索し続けていたある日、「ランチを持って行くから」と連絡すると、会うことができたのです。それからは週3、4日、彼の分もランチを持参して、しつこく事務所へ通うようになりました。日がたつうちに、彼から「お前とランチを食べる時間が楽しみだ。毎日、来いよ」と言ってもらえたのです。熱意が伝わって、うれしかったですね。それからは、ランチを一緒に食べながら、彼の仕事の内容などを教えてもらうようになり、私がしたい活動のことも聞いてもらえるようになっていきました。そうした中、彼が活動しているポウラパークというスラム街へ同行させてもらえることになりました。これが、大きな転換点です。

――実際に足を踏み入れたスラム街は、どんな環境だったのでしょうか。

谷口 ポウラパークに入れたのは、留学から7カ月ほどたった11月でした。彼と一緒でも、危険を感じました。住民からは「お前の行動を見ているぞ」「おれに近寄るな」とジェスチャーで脅迫まがいの態度を取られたこともあります。

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――図書館づくりは、どのような経緯から発案されたのですか。

谷口 ポウラパークでもやはり、住民からは当初、全く相手にされませんでした。しかし、南アに来てからの経験で学んだように、粘り強く通えば、いずれは心を開いてくれると信じていました。1カ月ほどすると、学校の教師と話ができるようになりました。学校は本も黒板も机もない状態で、教師が「子どもたちにもっと質の高い教育を与えたい」と願っているのが印象的でした。教師らと話し合いを重ね、学校の隣の空き地にコンテナを置いて図書館にすることになったのです。12月末にはクラウドファンディングを始め、翌年1月末にはコンテナを設置できました。

「自分の熱量しだいで物事は変わる」

――クラウドファンディングでは順調に支援金が集まったのですか。

谷口 費用は最低50万円が必要だと見積もっていました。しかし、クラウドファンディングの運営会社からは、私が学生であり資金集めの経験もないことから、当初は募集額を30万円しか認めてもらえなかったのです。日本の知人や恩師ら150人くらいに直接電話をかけ、協力を求めました。ありがたいことに、わずか1日で満額を集めることに成功したのです。運営会社の担当者も驚いていました。すぐに募集額の上乗せが認められ、最終的には総額65万5000円を集めることができました。協力してくださった方々には感謝しています。

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――活動を通じ、どのような気づきがありましたか。

谷口 自分の熱量しだいで物事を変えることはできるのだと思えるようになりました。信頼関係の築き方や他人から約束を引き出す方法も学びました。どちらにも共通するのは、辛抱強く、誠実であることですね。私が相手に関心を持っていることを伝え、相手の話を聞くことが大切です。相手の目線で物事を考えることも大切だと感じました。そして、恥ずかしがらずに相手を称賛することもできるようになりました。

 言葉遣いの難しさも実感したことの1つです。南アに限らないかもしれませんが、人種や民族、共同体などによって1つの単語が相手を差別したり卑下したりすることになりかねませんから、相手の属性によって話す言葉に気をつけることは必須でした。語学学校で学んだ英語とは違い、活動を通じた日常会話から、そのことを会得できたことは財産です。

――南アでの経験を将来に、どう生かしたいですか。

谷口 いろいろな人を巻き込んで、ともにプロジェクトを成し遂げていく、さまざまな課題をともに乗り越えて前に進んでいく、そんな仕事に就きたいです。自分しだいで物事を変えることができるという自信を持てたことや、どのようにして信頼関係を築けばよいかを知ることができたのは、これからの人生で壁にぶつかったときにも生きてくる経験だと思っています。

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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