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【学問ノ道】渋谷とともに歩み続ける

飯田町から渋谷へ、校地移転から 95 年

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神道文化学部教授 齊藤 智朗

2018年6月26日更新

 本学・國學院大學が、大正12 年(1923)5月に発祥地の東京・飯田町(現、飯田橋)から現在地の渋谷に移転して、今年で95年になる。
 校地移転の契機は、本学が9年に大学令大学に昇格し、名実ともに「大学」となったことにより、学生定員の増加と施設の一層の充実を期したことにある。また、飯田町校地が甲武鉄道(現在のJR東日本中央本線)と、路面電車の江戸川線(昭和43年に廃止)に挟まれた場所であったため、講義の声が聞きとれないほど汽車や電車の騒音がひどかったことも、移転計画が持ち上がった背景の一つにあった。こうして、まとまった広さの敷地があり、かつ静寂な環境にある渋谷の氷川裏御料地への移転が決定したのである。

移転当初の渋谷新校舎

移転当初の渋谷新校舎

 新校地・新校舎での大学生活に、学内は光栄と喜びの念に溢れていた。折しも4カ月後に関東大震災が発生し、新校舎も損傷を受けたものの、早急な復旧を果たすべく、新校舎の修理・修繕が直ちに着手された。校舎修繕の間には、本学の新たな象徴として、校旗と校歌の作製が進められた。現在、本学のスクールカラーとなっている赤紫色に染められた校旗は、学生の醵金によって調製されたものである。校歌は、当時の本学学長芳賀矢一の作詞、本居長世の作曲によるもので、最初の一節は、「みはるかすもの みな清らなる 渋谷の岡に大学たてり」と、「渋谷の岡」への移転が、本学の今後の発展を期して成し遂げられたとの想いが謳うたいあげられている。

 現在の渋谷は、若者文化の発信地としてひろく一般に知られるが、一方で移転当時から本学をはじめ青山学院や実践女学校など多くの学校が立ち並び、今日も多くの文教施設が集合している全国有数の地域としての特色も持ち続けてきている。このような渋谷の歴史に基づいて、本学では渋谷に関する全学的・学際的な研究教育を行う「渋谷学」の推進や、渋谷区及び同区内の大学や企業との連携・交流を通じて、渋谷における地域文化の発展や地域社会の振興に貢献してきており、これからも本学は渋谷とともに歴史を歩み続けていくのである。学報連載コラム「学問の道」(第8回)

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