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神社が保育園を持つ理由
―神道と社会福祉の知られざる関係性

  • 神道文化学部
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神道文化学部准教授 藤本頼生

2018年6月16日更新

 人はたびたび、神社の境内に足を踏み入れる。たとえば初詣、夏のお祭り、七五三。あるいは日常的に、隣接する保育園に子どもを送り迎えしている人もいるかもしれない。つまり神道と社会の間に、たしかなつながりがある。
 しかし研究者の間では長年、「神道と社会福祉活」の関連は言及されていなかった。いったい、それはなぜなのか?労著『神道と社会事業の近代史』等でそうした議論に風穴を開けてきた藤本頼生・神道文化学部准教授に、神道の知られざる一面を尋ねた。
 
     
 皆さんはきっと、神社の境内のなかに保育園が設置されている風景を、ご覧になったことがあるはずです。他にも福祉施設を持っている神社もありますし、神職の方ご自身が社会福祉の活動を並行して行っている例もたくさんあります。
 
 しかし、いまから20年ほど前までは、こうした神道、ないし神社と社会福祉との関係性にまつわる研究は、ほとんどなされていませんでした。
 
 決して、具体的な例がなかったわけではありません。いやむしろ、神道の世界は――正確には神社と神道はイコールではないのですが――社会福祉の領域で多方面にわたって携わってきた歴史があります。
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 たとえば明治18年に日本で二番目となる感化院(いまでいうところの児童自立支援施設)を設立して活動を支援したのは、伊勢神宮の教化団体である神宮教(のちの神宮奉斎会)でした。あるいは各地域の神社に関しても、子どもからお年寄りまで地域の方々が多く参加される例祭は、広くとらえれば社会福祉の一環といえるかと思います。
 
 ところが、こういった多くの例は、社会福祉史研究の側から断片的に言及されることはあっても、神道研究の側から系統立てて説明がなされることはほとんどなかったのです。キリスト教福祉や仏教福祉といった分野の研究は先んじて発展していたのですが、神道はそうではありませんでした。
 
 それには様々な理由があります。そもそも神道や神社が宗教か非宗教かという、戦前からつづいている議論に加え、神道には個人救済――つまり、他の宗教における“救い”はない、という見解もあるためです。社会福祉とは人々の幸せを築く行為でもあり、人々を救う行為であるわけですから、それぞれの地域全体の幸せを願ってきた神道や神社が本来は社会福祉と深く結びつくはずなのですが、仏教やキリスト教のような個人救済という側面からみれば、福祉と積極的に結びつけて論じられてこなかった背景も理解できます。
 
 神社としても「教化活動の一環である」という理屈で、実際には、社会的に意義のある活動や、社会福祉事業としてのそのありようや良さに自ら言及してこなかったという経緯もあります。
 
 しかし、それでも実際に、神社には、社会救済のために尽力してきた多くの事例があるわけです。シンプルかつシステマティックでロジックでは説明できない、神道の多様さが、近代の社会事業史を見つめていると浮かび上がってくるのです。
 
 近代の神道史から研究を始め、恩師の誘いで、ほぼゼロからの探究となるこの分野に飛び込んだ私は、まさに暗闇を手探りで進むような日々を進んできました。松明を掲げ、屈強な岩を掘り進み、このトンネルを広げ、道をつくる……そうした信念でやってきましたし、いまもそのトンネルを掘り進めている最中です。
 
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 神道や神社は、日本社会に住む人々にとって、いまも身近な存在だと感じています。これほどまでに全国に多くの神社が残っているという事実を考えると、そこには大きな意義があるに違いない――そうした実感が、私にはあるのです。
 
 平成7年、阪神・淡路大震災のときは、生田神社の社殿が早期に再建されました。生田神社は、神戸という地名の発祥の地。神戸の復興が急がれたことに、神職のみならず地域の人々の思いを見る気がします。
 
 また平成16年、新潟県中越地震の後、現地に調査に訪れたことがあるのですが、地域のあるお社が倒壊してしまい、再建の真っ最中でした。住民の方に聞くと、「ご神体は今、やむなく近所の校長先生にいったん預けてあるんだ」といいます。「なぜ校長先生なのか」と尋ねると、「地域の一番の名士であるから」という答えが返ってきました。こうしたエピソードからも、生き生きとした、地域の人々にとっての神道観・神社観が如実に見えてくるのです。
 
 そのありようは、決して一様ではありません。神社や神道は、研究すればするほどわからないことが増えてくる、面白い世界です。教義や経典があるわけではありませんから、一義的な世界ではない。各地域の神社によって、考え方が大きく違うものもあります。
 
    神社は、一柱の神様を祀る神社もあれば、246万余柱の神々を祀るような神社もあります。答えが一つでないところに神道の大きな魅力があります。非常に多面的・多様性のあるものなのです。極端なことをいえば、山の上にも神社はありますし、海中神社だってあるのです。
 
 そしてこうしたあり方を社会福祉の点からとらえれば、現代社会で問われているダイバーシティ(多様性)に対して、神道や神社が寄与することができるのでは、とも考えています。
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 思い返してみれば、宮大工と神職を兼業している父が、私の幼いころからよくこんなことをいってくれていました。人間には、金を稼ぐための「勤め」だけではなく、人としての「務め」があるのだ、と――。
 
 決して、そうした生い立ちや環境が、現在の私の研究に直接つながってきたわけではありません。多くの人が、そして研究者がそうであるように、様々な偶然に導かれて、いまの研究へと辿り着きました。
 
 ただ、ふと振り返れば、まさに私が人としての「務め」として、神道や神社が公共性や公益性のことを考えてきた歴史を研究していることに気づかされます。授業で学生に対して、そしてメディアでの発言を通して、神道や神社のことを皆さんに深く知っていただこうと、より広い活動も行うようになってきました。
 
 多様性があるものだからこそ、“正解”や“真実”をひとつに絞り込めない難しさを感じていますが、一方でそうした多様性を正面から捉え、他の宗教のことも視野に入れつつ、広く総合的に捉えながら、神道・神社と社会福祉のことを、これからも考えていきたいと思っています。
 
 
 
藤本 頼生

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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