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庶民にも根付いた「弓」の神事

~スポーツ、その日本のルーツを探る~

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人間開発学部教授 山田 佳弘

2018年3月8日更新

 日本においては、2019年ラグビーワールドカップ、2020年は東京オリンピック・パラリンピックと、スポーツのビッグイベントが続きます。さまざまな競技がある中、日本におけるその競技の伝統や起源を探っていくことで、グローバルなスポーツの中の「日本」を紹介いたします。(※画面の右上のLanguageでEnglishを選択すると、英文がご覧いただけます This article has an English version page.)

 

 

〜「弓道」〜

「弓」と「弓術」の始まり①

◆「弓」と「弓術」の始まり

 オリンピック種目にも弓を使ったアーチェリーがあり、スポーツとしてもポピュラーなら弓ですが、日本においては、スポーツではなく、「弓道」という武道の一つとして一般的には親しまれています。

 弓の起源は、明確ではありませんが、フランスのラスコー洞窟、スペインのカステリョンの岩陰の洞窟壁画に描かれていることから判断して、おそらく16000~14000年前頃に全世界で自然発生的に生まれたと考えられています。

 その後、世界中で使われる武器となっていきましたが、日本においては、鉄砲が伝来した後も、鉄砲が次の発砲まで時間がかかることを補う武器として比較的長く使われていたようです。

「弓」と「弓術」の始まり④

 徳川時代においては、弓術は、武器としてではなく、武士の教養となりました。矢を正確に放つためには、体を再現性高く正確に動かすための並外れた忍耐力と厳しい鍛錬が必要であり、その精度を上げるという精神が武士道に欠かせないものとして進化してきました。武士の技芸である「武芸十八般」は、さまざまな武芸が時代によって入れ替わったのですが、弓術は変わることなくその一つであったことからも、武士の嗜みとして必須の技芸であったことがわかります。

 

 

◆国体競技の先駆け?弓術を大きく発展させた「通し矢」

 

 弓術を飛躍的に進化させたのが、京都の三十三間堂で行われていた「通し矢」と言われています。1600年頃から盛んに行われました。

 京都蓮華王院(三十三間堂)の本堂西側の軒下を南から北へ矢を射通す競技で、その長さは約120mありました。軒下のため5mほどの高さ制限があり、矢を直線的に飛ばさなければならず、弓・矢の性能が飛躍的に向上し、現在の弓道にも通じるほどその技術が追求されたといいます。

「弓」と「弓術」の始まり③

京都蓮華王院(三十三間堂)

 この「通し矢」は、各藩の対抗で行われ、今の国体競技のように厳格なルールのもとに行われていました。しかも検分役が決められており、不正を一切許さないだけでなく、しっかりとした記録も残されていました。

 各藩は積極的にこぞって「通し矢」に参加しました。藩としては名声を高める絶好の機会でしたし、射手にとっては立身出世の千載一遇のな機会でもあったため、隆盛を極めました。「通し矢」にもさまざまな競技種目があったようですが、一昼夜、射通した矢の数を競う「大矢数」が有名で、やはり財力があり準備を万端に整えられる大藩が強く、尾張藩と紀州藩が覇を争っていました。「大矢数」では、一昼夜に一万三千本を打ったという記録もあり、休憩を差し引いても1分間に6射した猛者もいたようです。

 この頃、各藩とも他藩に負けないように弓矢の性能を上げることに必死に取り組み、弓をひくための「ゆがけ」「弓」「矢」はそれぞれ分業で作られ、それぞれ何代にも渡る職人を生み出し、弓術の技術は爆発的に進化し、現代の「弓道」へと引き継がれていくのです。

「通し矢」から由来する「大的全国大会」

「通し矢」から由来する「大的全国大会」

 

◆庶民にも根付いた「弓」の神事

 「弓」は、武士だけでなく、日本の伝統文化として多くの人々に認知されています。神話にも描かれた弓は、現在も全国の多くの神社において身近な存在として弓矢にまつわる神事があります。

 専門性の高い馬上から矢を射る「流鏑馬」に対して、馬に乗らないで矢を射る「御備射(おびしゃ)」(御歩射とも)が神事になっている地域は全国に広がっています。

 「御備射」は、五穀豊穣を祈願したり、占う手作りのお祭りとなることが多いようです。千葉県東金市の貴船神社で1月に行われる「御神的神事(おまとしんじ)」では、「御歩射」で12本の矢を放ち、農作物の豊凶を占うものであり、神奈川県相模の寒川神社の「武佐弓祭(むさゆみさい)」では七草の翌日に鬼の字が書かれたの的に矢を放ち、一年の吉凶を占います。このように、庶民の身近なところに弓の霊力はあり続けました。

寒川神社「武佐弓祭」※寒川神社提供

寒川神社「武佐弓祭」※寒川神社提供

 そんな身近な「弓」の存在は、さまざまな暮らしの言葉として今も、息づいています。

 自分の持っている技術や抱いている計画などの大事な情報を明かすことを意味する「手の内を明かす」の「手の内」とは、弓を持つ手の整え方からきています。射の良し悪しを決める重要な技術であることから秘められていたことが伺えます。他にも、代わりがない大切なという意味の「かけがえが無い」という言葉の「かけ」とは、弓道で、右手にはめる革製の手袋(弽:ゆがけ)を意味するという説もあります。その他、「矢面にたつ」「的をはずす」「図星」など、弓に由来する言葉は沢山あります。

 日常に残る言葉から、神社で奉納され、吉凶を占う神事。また全国の弓道場などで見ることが出来る弓矢は、長い伝統を持ち、日本文化に欠かすことが出来ない影響を与えてきたと言えるでしょう。

 

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