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【朝倉一貴・文学部助手】
最新技術で古代の道を見つめる

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文学部助手 朝倉一貴

2018年3月7日更新

 私たちが日々利用している全国の高速道路網が、古代の道路網とほぼ一致していると言われたら、不思議に感じませんか? 実は、インターチェンジの位置でさえ、古代の道路で中継地点となっていた駅家(うまや)遺跡の場所と重なることが多いんです。現代の私たちが移動する道に、古代の多くの人々が移動してきた道路網の線が重なっています。道は、土地の記憶としてもそれこそ連綿と繋がっているんです。
 
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 私が研究している日本古代の道路というのは、7~9世紀に全国各地につくられた道路網が主なものになります。律令国家の支配が全国に及ぶなかで、東北から九州まで、税制や軍事、あるいは外国使節の往来のためなど、さまざまな用途で道路がつくられていきました。遺跡の発掘調査のなかで、あるいは工事で地下を掘り返す中で、全国で断片的に古代道路の跡は見つかってきています。しかし、それぞれの地点をつなぐ道路網はまだ発見されきっていません。
 
 すべての土地を掘り返すわけにもいきませんよね(笑)。師匠(故・吉田恵二先生)の言葉ですが、発掘調査は遺跡の破壊でもあります。そこで、発掘自体を目的とするのではなく、古代道路の“痕跡”を発見していくのが私の研究です。
 
 研究分野としては、比較的新しいものなんです。大きく発展したのは戦後以降。第二次世界大戦中から戦後にかけて米軍が日本全土をほぼ網羅的に、空中から撮影した地理資料群があるのですが、そこから道路の痕跡を探し出していく研究が進みました。ただ、この手法はどうしても主観的なんです。大きく印画された写真を虫眼鏡のような器具で拡大して、観察することで痕跡を探していました。
 
 それに対して私は、より科学的な研究方法の開発を進めています。たとえば、白黒の空中写真を疑似カラーにして、画像解析によって道路の痕跡を自動的に検出していくリモートセンシング(遠隔探査)を援用したような技術があります。
 
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 もうひとつには、高解像度にデジタル化された米軍撮影の空中写真と現代日本の地形データを、地理情報システム(GIS)というコンピューターのソフトウェアで解析する方法です。この時に行うのが、最小移動コスト解析というもの。皆さんも、平坦な道を歩けといわれたら楽ですけれど、傾斜角45度の道を登っていくとなると大変ですよね。同じように古代の人々も、感覚的になだらかなルートを選択し、道をつくり、歩いてきたはずなんです。そこで、地形の傾斜角を計算し、あるアルゴリズムを用いどういったルートを選択すると最も楽に目的地に到着できるかを算出するんです。
 
 他にも、ドローンなどを用いて撮影した空中写真から三次元のデータを生成し、そこから微細な道路の痕跡を探っていく手法も進めています。こうした研究方法の開発自体が、研究の一環でもあるのです。
 
 そもそもなぜこうした研究に私が進んでいったのか。遡っていくと、私が岩手県水沢の神社に生まれ育ったことが大きかったように思います。実家の庭には、地域の信仰に由来する数多の石造物があって、小さいころから家の歴史と共にその存在が気になっていたんです。それが徐々に歴史を授業で学びだすと、明治期に廃仏毀釈があったことがわかり、実家は昔、寺だったことに気づく。そうすると、だんだんスケールが大きくなっていって、この地域の成り立ちとは何だろう、と考えるようになっていき、歴史学や考古学へと歩みを進めました。
 
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 大学に入ってからの卒業論文、そして修士論文までは、古代の「えみし(蝦夷)」と呼ばれた人々の社会から、奥州藤原氏に至るまでの連続性について研究していました。地元の東北には元来、蝦夷と呼ばれた人々がいたわけですが、それが古代国家に編入されるなかで一部は土地から追い出されていってしまう。しかし中世前代に興隆した奥州藤原氏は、その蝦夷の精神性を継承するような動きを見せるわけです。こうした流れの根幹には、物質的な意味での連続性があったのではないかと思い、土器や、景観・住居の構成などを調べていました。
 
 実はその一端で、城柵造営後に創出された景観として道路についても触れていたんです。その過程で、今思えば師匠の勧めもあり古代道路という観点はもっと進めたら面白いのではと思い始めました。後に大先輩の紹介でJAXAのリモートセンシング技術の専門家の方々などとも出会いがあり、それまで古代道路の調査研究では使われていなかったテクノロジーを学んでいき、現在に至るというわけなんです。
 
 古代道路の研究は、さまざまな意義があると感じています。時代という切り口で古代史というジャンルの中で考えてみても、古代の役所といった官衙(かんが)の遺跡は道路を基軸にしてつくられているので、古代の研究のためには道路網を一度整理しなければいけない。そして現代における文化財保護の観点からいっても、古代の長大な道路網をきちんと把握できていれば、むやみに工事で掘り起こされて遺跡が破壊されてしまうような事態を避けることができます。
 
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  何より私自身、点と点をつなぐ道路の痕跡を、一見何もないような田んぼや畑のなかに発見したときは、「見つけた!」と、本当に喜びを覚えます。この道をたどって行けば、都までたどり着けるんだ――と想像すると、感動もひとしおですね。
 
 いま新たに研究を始めているのは、古代の兵站(へいたん)や物資輸送のようなものを考慮に入れた道路の把握です。古代の道路はほぼ直線でつくられているのですが、それでも傾斜がキツい時は、今の電車でいうスイッチバック方式のように、斜面を行ったり来たりしながら徐々に登っていったはず。重い荷物と共に移動していた人々を想像しながら、実際に候補のルートの道も仲間達で歩きつつ、分析を進めています。

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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