あれも歴史地理学、これも歴史地理学。川名禎・文学部史学科准教授のインタビューからは、歴史地理学の学問としての幅の広さ、そして楽しさが伝わってくる。若かりし頃、多くの人が頭を悩ませたかもしれない、暗記科目としての地理の苦しさは、そこにはない。
とはいえ、そもそも歴史地理学って何? 基本中の基本から川名准教授にじっくり話を聞いてみようとしたところ、予想外のトピックを皮切りに、その世界は幕を開けた。そう、私たちが幼少期から経験してきたあの環境も、歴史地理学の範疇なのかもしれない。
「皆さんは、どういう意思によって、その座席に座ったんですか」──授業の教室で、めいめいに座る学生たちを前に、このように問いかけることがあります。
地理学は「空間」の学問だとよくいわれるのですが、それはたとえば、ある現象がどのような距離感のもとに分布しているのか、その背景にあるものは何なのか、といったことを問うことを意味します。であれば、教室で学生たちが座っている場所も、地理学で論じる対象になりうるわけです。
こうした学生たちの座席の位置は、地理学で扱ういくつかの重要概念のうち、「地域」にも大きく結びついてきます。一般的な使い方としては、中央に対する地方といった文脈で使用されることが多いのですが、地理学においては何らかの意味合いにおいてまとまった空間のことを「地域」と呼びます。ひとつの教室のなかの学生たちであれば、その授業を履修しているという点で、ひとつの意味のまとまりがありますよね。つまり、その教室は「地域」とみなしうるのです。
ただ難しいのは、地域というのは必ずしも明確な境界をもたないケースもある、ということです。教室であれば、隣の教室というもうひとつの地域と授業の音が混ざりあってしまっては困りますから、壁を設けて、それぞれの教室に名前をつけて区別していますよね。しかし世の中を見渡してみれば、こうした明瞭な区分にもとづいた地域ばかりとは限らない。
たとえば、東京多摩地域であるとか、武蔵野といったときには、そのようにハッキリとした壁がないわけですから、どこからどこまでが多摩地域なのか、武蔵野なのかといった議論が巻き起こることが度々ある。湘南であるとか、関西にしても同様ですね。だからこそ、地理学として探究する面白さもあることでしょう。
もうひとつ、地理学としての重要な概念として、「景観」が挙げられます。これは目に見える風景を漫然と指すものではなくて、そこに存在しているものが──たとえば里山でしたら、木々や草花といった植生ですとか、家々や田畑、橋や道路などが──ひとつのまとまりをもっているときに「景観」という表現を用います。
このように地理学には基本となる概念がさまざまにありますが、いずれにしても実は、私たちにとって非常に身近な対象をも扱いうる学問であるということが、おわかりいただけるかと思います。
さて、そのうえで、私が専門としているのは歴史地理学です。これはやや細かい話にはなりますが、ひとまず日本の歴史地理学に話を限ってみると、明治時代に歴史地理学を成立させていった人々は、基本的には日本史研究者、つまりは歴史学者でした。このことが、現在に至るまでの日本の歴史地理学の、大きな流れを形づくっています。
あくまでザックリとしたイメージとして捉えていただければ幸いなのですが、日本の歴史研究者のなかに、NHKで放送されてきた人気番組『ブラタモリ』のような感性をもつ、地理好きの人間が多かったと思ってください(笑)。もうすこし遡れば、江戸後期に盛んに編まれた地誌は、各地域のことをいろいろと調べ、自然のありようからその土地で行われた戦、寺社の宝物などをまとめていくという意味において、歴史地理学のひとつの源流として見ることができるでしょう。こうした流れを引き継ぎつつ、明治32(1899)年に日本歴史地理研究会が設立されたのでした。
歴史を考えるときも含めて、何かしらについて議論を深めていくというとき、地理学的な発想を用いると、どういった視界が開けてくるのでしょうか。それについてお話しするうえで、“地図的な思考”というものを、地理学的な考え方のひとつとして挙げながら説明してみたいと思います。
たとえば皆さんも、世界地図を眺めたことがあるのではないでしょうか。南アフリカ大陸の東側の海岸線と、アフリカ大陸の西側の海岸線を近づけると、ピッタリとくっつくのではないか……20世紀初頭にそう考え、「大陸移動説」を唱えたのが、ドイツの気象学者アルフレッド・ウェゲナーでした。
大陸をまたいでアマゾン川とニジェール川も、あるいは山脈同士もつながるではないかと、いろいろと状況証拠を提示したわけですが、なぜ大陸が移動したのか、根本的な原理を説明できず、大陸移動説は否定されることになります。1950年代以降にプレートテクトニクス理論が提唱されることで、ウェゲナーの大陸移動という発想は、ようやく再評価されることとなりました。
このように、“地図的な思考”というものは、ある意味では理論に先んじて仮説を発想できるところがあるのではないか、と私は感じています。まだ証明されていないことであっても、地図を眺めているうちに、「……ん?」と気づくことがある。他にもたとえばイギリスでは、大気汚染が広がる地域ほど肺がん患者が多いという相関性について地理学者が言及するも、医師界からはエビデンスがないとして受け入れられず、近年ようやく再評価されつつあるという例もあります。
私自身、本学の史学科の出身であり、歴史学にも並々ならぬ思い入れがあります。だからこそ、歴史学だけではなかなか捉えきれない、“地図的な思考”も含めた地理学の知見をうまく取り入れることで、歴史をめぐる学究に何か貢献できることはないだろうかと模索を続けているところです。インタビュー後編では、こうした歴史地理学がもつ面白さや自由さについて、より詳しくお話ししていきましょう。
後編は「城下町の意味は時代によって変化している?城下町の本質とは」>>
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川名 禎
研究分野
文化的景観、絵図、景観、城下町、近世都市、歴史地理学
論文
「結城氏新法度」にみる戦国期の結城について(2023/06/30)
<書評>平井松午編『近泄城下絵図の景観分析・GIS分析』(2020/05/31)