混迷を極める世界を見通すため? 激動の社会を生き抜くため? いずれにしても、ビジネスの現場を含めて広く見直されてきているのが、「人文知」である。いま、「人文知とは何か」という問いを深めていきたい──本学研究者たちと國學院大学広報課が立ち上げた取材チーム「人文知探究室」が、事前に筋道を定めることのない対話を通して問いを深めていくシリーズ、今回はその第2回である。
対話の相手は、国学史と神道史を専門とする松本久史・神道文化学部教授だ。國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』(ぺりかん社、2022年)をはじめとして、江戸期に端を発する国学を現代的なダイナミズムのもとで大胆に捉え返し、初学者にも優しく説いてきた。そんな松本教授は、人文知の来し方行く末をどのように語るのか。波乱含み(!?)の幕開けから、議論は徐々に熱を帯びていった。読み進めるにつれ、文系も理系もない「総合知」のポテンシャルが、きっと実感されるはず。
──今回は、松本先生のご専門である国学史や神道史といった観点から、人文知をどのように再考できるのか、お話をうかがいたいと思います。
さて、どうしましょうか……というのも先日のインタビューで、「国学は人文知ではなく、総合知である」とお話ししてしまったものですから(笑)。そのときの文脈としては、平田の篤胤や本居宣長ら国学者たちが、天文学などを含めた自然科学の知見を取り入れているという意味で「国学=総合知」なのだとお伝えしたのでした。
──先生に対するご質問として人文知を主題に置くこと自体、考え直したほうがよいでしょうか……。
いえいえ、とはいえ国学が、本学も含めて近代の大学制度のなかで文系の学部で研究され、教えられ、またそれがここ三十年ほどの潮流のもとに人文知として捉え直されてきた歴史などを踏まえれば、私としても人文知として考えること自体に強く異議を唱えたいわけではありません。先だっての発言を今回のインタビュー趣旨のもとにいいかえれば、「国学は総合的な人文知である」と表現できるとは思うのです。
──やはり、知の総合性がキーワードなのですね。
近代以降、学問は長らく、各々の専門性へと分化し続けてきました。しかしたとえば、ある特定の時代の、ある文学作品を研究する際、文学のことだけ知っていれば語りうるのかと問われれば、既に不可能である時代に入ってきています。私たち研究者一人ひとりの立脚点が問い直される話なので、大変難しいところなのですが、いずれにしても専門家が、その狭い専門分野を知悉していれば済むということはない。近世における国学が総合知であったことを鑑みれば、その総合性をどうすればもう一度取り戻すことができるのか……。それは日々、私もあれこれと考えているところなのです。
──総合性を取り戻すことの意義はとても強く感じています。まず、近世の国学が、総合的な人文知であったということについて、改めてうかがえますか。
たとえば宣長は、自分の学問を和学とは呼んでいません。当時、漢学に対する和学という言い方が一般的になされていたわけですが、しかし宣長は、自身が取り組んでいるのは至ってフラットな学びなのだと考えていた。そこには漢もなければ和もない、学びというものに本来境界線はないのだというのが、宣長のビジョンでありました。しいていえば古学という呼び方をしてはおりますが、いずれにしても、いまでいうところの理系も文系もないのです。森羅万象について、知りたいことを知る。知の欲求に従って学んでいく道にはいろいろとあるだろうし、その全体が学びなのである、というのが宣長の提示した枠組みであり、近世国学のおおよその姿だといってよいだろうと思います。
──森羅万象を知りたいからこその総合性、ということですね。森羅万象には洋の東西も問わない。
以前に私は、「皇朝古医道」という、江戸期の医学の流派について調べてみたことがあります。これは、漢方や蘭方ではなく日本固有の医学=和方があるはずだと考える一派で、19世紀に国学の影響を受けたものなのです。古(いにしえ)の文献に拠って医学を研究すれば、きっと漢方や蘭方よりも有効な日本の医学のありようを明らかにすることができるのではないか、と。宣長の古学に比べれば国内の伝統を重視する立場ではあるのですが、ここにおいても理系と文系の壁は取り払われており、古の知見をたどっていくなかでさまざまな対象にアプローチしていくわけです。
──面白いですね、医療は必ず必要なものなので、外国の影響を受ける以前より独自の発展があったのではという視点でしょうか?物事の探り方自体を変えていったわけですね。
冒頭で篤胤の天文学について触れましたが、代表的な著作である『霊の真柱(たまのみはしら)』で篤胤が延々と考えているのは、いまでいうところの太陽系はいつ、どのようにできたのかという話であり、宇宙物理学の領域にまで突っ込んでいっているところがあります。なぜ国学者たちが古の話をするのかといえば、その歴史が現在にまで連なっているから。篤胤にしてみれば、世界の根本的な成り立ちを知りたい、というのは素朴かつ率直な知的欲求であるわけです。
──シンプルな知的欲求に従う、と。
そうした探究において、ノーリミットで考えようとしたのが、近世国学でありました。それまで支配的であったのは、仏教や儒学といった大陸由来の思考の枠組みであり、たとえば宇宙観にかんしていえば、陰陽五行説という中国的なコスモロジーが思考の基盤としてあったわけです。このような枠組みを一度置いておいて、理系も文系もなく、ゼロベースで考えてみよう、古典籍に実証的にあたっていくところからはじめよう、というのが国学の基本姿勢です。生きている自分たちのそもそもの成り立ちを問い直すわけですから、篤胤の思想がやがて死の問題をも色濃く取り上げていくことになるのも道理だと思います。
──なるほど。根本的にすべてを捉え返す態度が、さまざまな問いを招き寄せるのですね。
別の角度から見て面白いのは、仮に陰陽五行説を脇に置いたとしても、思考の枠組み自体はアジア的なものになっていくということです。皇朝古医道にしても、説明の仕方が違うだけであって、ひょっとしてこれは漢方の領域で語られていることとあまり変わらないのではないか、と思わされる部分も実際にはある(笑)。そのうえで、やはりアプローチの違いもまた興味深い。人々に医学の道を教えたのは、オオクニヌシとスクナヒコナ、二柱の医薬神であったという説明になるのですから。ただ、こうした自然科学も含めた総合的な人文知としての国学は、学問が近代化・細分化していくなかで議論としては緻密になっていきつつも、その広がりをどうしても切り捨てていってしまったといえると思います。
──専門知を研ぎ澄ますメリットはあれど……、ということですね。
そこは本当に難しいところなのですけれども……。加えて、予め申し上げておくとすれば、私としては決して復古主義的・原理主義的に国学を捉えたいというわけでは、まったくないんです。むしろその逆であって、学問というものは柔軟に形成されていくものだと考えています。だからこそ、いまは分化しているさまざまな専門分野が国学の仲間であり、一緒に学んでいくことができないだろうか、と感じるのです。かつ、国学において歴史を遡るといっても、古代にのみ限る必要もないと考えています。中世にも近世にも、時代の変化のなかでいろいろと面白いトピックや事象があるはず。そうしたものをすべて含めて、全体的に考えていくことこそ、むしろ本来的な総合性をもつ国学なのではないかと思っているのです。
──古ければいい、ということではない、と。柔軟性が学問を形作るのというのはしっくりきます。
ある事象の来歴を追ったり、事実確認をしていったりする過程においては、もちろん古代にまで遡って説明していくということもあるでしょう。と同時に国学において、新しい時代の物事の価値が低い、ということでは決してないとも思うのです。たとえば日本文化は、古代、中世、近世、そして近代や現代も重なっている、非常に複合的なもの。しかもそれは、下から上へと重なっているわけではなく、いわば地層が横向きになって、並行的に私たちの目の前に置かれているようなものだと思います。掘り進めることだけを目的とするのではなく、既に露出しているところを丹念に見ていく、という世界の捉え方もあるわけですね。「総合的な人文知」としての国学を考えるうえでも、この点は非常に重要です。
──国学者たちがそうした姿勢のもとで取り組んだような、何か具体例はありますでしょうか。
たとえばひとつ挙げられるのが、『古事類苑』という、明治政府が編纂をはじめたエンサイクロペディア的な大部の書物です。本学の国学者たちもその実務の多くを担った、まさに森羅万象を記述しようとした百科事典です。それは歴史を遡って記述するという側面があると共に、現代におけるWikipediaにも通じるような、横断的に展開・更新されていくデジタル・アーカイブへとつながっていくような流れに位置づけることもできるように思います。
──現代の技術と国学がつながる、ということですか。
はい、そうですね。テクノロジーを活用していくということは、国学がもちうる可能性のひとつだと思います。実は国学は、思想として突き詰められてきたというよりは、むしろ辞書やアーカイブを手がけるといった実務面において発展してきたのではないか、という見方もできます。実践的・実技的な知としての国学は、現代的に発展させうると感じるのです。そしてその知は、決して専門家たちが独占するものでもないはずだ、と。
──オープンな「総合的な人文知」、そのアクセシビリティという点においても、国学の視点から考えうるものがある、と。
学問の地平を広げてきたのが、実際に国学でもあるのです。そもそも近世まで、伝統的な学問は口伝や家伝として教えられていくクローズなものであり、国学はそれに対するチャレンジャーとして登場してきた、という側面がある。国学者たちは秘伝や秘儀といったものを否定し、学問の公開性を主張し、場合によっては私塾などを開いたり出版活動をしたりしながら、市井の人々へと学びを広げていったわけです。現代に立ち戻れば、アカデミアの人間だけが学究に携わることができるという状態ではなく、誰もがアクセスできるような状態を実現するというのが国学の本懐でしょうし、デジタルなテクノロジーはそうしたアクセシビリティに寄与してくれる面が非常に大きいと感じます。
──いま多くの人々が人文知に関心をもっているのだとして、その興味のままに知の体系へとアクセスできる条件が、徐々に整いつつある時代なのかもしれません。
言語の壁も、翻訳を中心としたテクノロジーの発展によって、次々と破られていくことでしょう。となれば、日本の事象であっても、どんどん世界中の事例と比較検証していくことが求められる時代に入っていく、ということでもあります。人文知の目線を日本国内に限定し、閉鎖的なものにし続ける道理はありません。もちろん、何かを外につなげるということは良い影響だけを与えるとは限らないわけですが、とはいえ私は、どんどん外に晒していくべきだと感じます。何事を探究するにも、そこに世界史的な評価を加えていくべきだろうと思うのです。
──なるほど。言語の壁の影響を受けやすい人文系学問はいま、大きく世界を広げられる転機にいるとも言えますね。いま先生が世界に広げて具体的に展開できそうなテーマはありますでしょうか。
国学史に加え、私のもうひとつの専門である神道史の視点においても、世界レベルでの真摯な比較をしていかなければならないと思っているのですが、たとえば最近気になるのは、ヒンドゥー教徒がマジョリティであるインド、そのヒンドゥーイズムですね。ヒンドゥー教は多神教であるわけですが、そうして考えてみると、経済成長を遂げてきた多神教国家としてのインドと日本、そしてヒンドゥー教と神道の比較というのは、さまざまに面白い問いを含んでいる気がするのです。そして、そうした研究を進めることができる環境が整いつつある。私がもう少し若くてエネルギーがあり余っていれば、迷わず自分で取り組むのですが……(笑)。
──興味深いテーマです。これらは先生としては、これからの世代に託すのですね。
そうさせてください(笑)。こうした広い観点における「総合的な人文知」が、今後の共生・共存社会を考えるうえでも重要だろうと思います。たとえば出雲神話を改めて見つめ直してみると、そこには古来日本のなかに並存していた異質な信仰が、無理に包摂・同化させられることなく共に息づいているのか、といったことが見えてくる。神話として統一性を高めながらも、しかし他なる存在を選別し、駆逐することのない道を選び続けてきた、といえるだろうと思います。
──他者同士が生きる道を歩んできた、と。
これは私の専門外の話ではありますが、たとえば縄文人や弥生人をはじめとした日本人祖先をめぐる言説も、遺伝情報を解析するテクノロジーが発展していくにつれ、従来の定説を覆すような複雑な新説が唱えられるようになってきているようです。このような状況を見渡していくと、やはり私たちは、最先端の技術や知見を踏まえ、「総合的な人文知」を絶えずアップデートしていくことが求められているのだと痛感します。それは単に、自然科学を取り込めばいいということではありません。SDGsといった現代の課題も含めて、異なる人間同士が、あるいは人間がそれ以外の存在と、どのように融和し、共生・共存していくかという遠い、遠い道のりをめぐる問いがそこには横たわっているわけですから、私たちもすべての知見を投じて、じっくりと考えていかなければならないでしょう。
──なるほど……。改めてこのインタビューシリーズにおいて、人文知という言葉で名指そうとしているものの捉え難さや物事の大きさを、考えざるをえません。
本当に、難しい問題ですよねえ……(笑)。私が仮に「人文知とは何か?」と問われたとしたら、さしあたり、「生きていくための知恵」とお答えするだろうと思います。
──「生きていくための知恵」……ですか?
たとえば、「大和魂」といわれるものを古典的に遡って考えていくと、異なる文化、あるいは異なる者同士がどのように居合わせるかをめぐる、「生きていくための知恵」のことを指していると思われるのです。近代以降においては、むしろ排他的なニュアンスと申しましょうか、偏った形で理解されてきてしまった概念ですが、本来の意味合いではありません。異なる信仰をもつもの同士であっても、柔軟に、緩やかに生きていくための知恵こそが、もとは「大和魂」と呼ばれてきたのだと、私は考えています。そうした共生・共存へと至る知恵を学ぶのが、国学という「総合的な人文知」なのではないでしょうか。
人文知探究室後記 根本的にすべてを捉え返す態度が、重要な問いを招き寄せる──そうした国学の姿勢をめぐる話をしながら、自分たちが普段、自由に問うことをどれほど出来ているかを省みた。篤胤が天文学的な領域に向き合うとき、篤胤自身が問いを深め、考えを巡らせている軌跡が見て取れるように、私たちは人文知に向き合いたいと思う。 和魂漢才という言葉は見知ってはいたものの、そのうえで「大和魂」とは、異なる文化・人が混ざりながら「生きていくための知恵」を指すのだという説明を、松本教授から伺った。己の五感、魂で感じたものを、他者の感覚や魂と織り交ぜながら認識し、表現し、思考をしていこうとする、国学の取り組みの多様さのことを思う。中国から渡った学問・知識をかつての日本人は吸収しつつも、自分たちの日々に置き換え、比較検討し、そのあわいにおいて世界のありようを捉え直していったのではないだろうか? 人文知に挑む態度を、先人たちの態度を通じて教わった回となった。次回以降も対話の中で、人文知というものの拡がりを捉えていきたい。 |