昨今、中東経済にかんするニュースを、日本でも報道で見聞きすることが多い。たとえば令和6(2024)年9月に開催された「東京ゲームショウ」には、ファイサル・ビン・バンダル王子を含めたサウジアラビアの面々がブース展示で参加。建設を進めている娯楽都市「キディヤ・シティ」をアピールした。これらは平成28(2016)年に発表された「サウジ・ビジョン2030」の延長線上にあるものだ。
こうした中東経済の新たな動きを、どう捉えればいいのだろうか。四半世紀以上にわたってその動向を追ってきた細井長・経済学部教授は、冷静だ。幾度ものアップダウンを繰り返してきた湾岸産油国のリアリティを語る、細井教授へのインタビュー後編をお届けする。(このインタビューは令和6年10月に実施しました)
湾岸産油国では、国家財政の多くを石油収入が占めています。その収入は、国営企業を通じて石油を外国に販売した対価として得られるわけですから、湾岸産油国は石油および外国からの収入に依存している、ということができます。王族が支配する政府は、自ら生産的な活動をおこなっているわけではなく、こうした石油収入を国民に分配する──ほとんど課税をすることなく、医療や福祉、教育もほぼ無償で提供され、国家公務員として国民を雇い入れるなど──ことを中心に運営されています。このように、外国からの収入に依存した国家のことを「レンティア国家」といいます。
「レンティア国家」にかんしては以前にもインタビューでお答えしたことがありますので、今回は簡単な紹介にとどめますが、実はこうした国家体制が築かれたのは、そう古いことではありません。アラビア半島で石油が発見されていったのは1930年代のこと。現在に至るような急速な経済発展は、1970年代の石油危機以降のことなのです。
怒涛の発展を遂げた湾岸産油国が興味深いのは、そのありようが他の途上国の経済発展の仕方とは異なる、という点です。通常であれば、とにかく「お金がない」というところからすべてがはじまる。たとえば、お金はないけれども人は余っている……というような状況から、経済が発展していく。
しかし、湾岸産油国の場合は、「とにかくお金はある」という状況が基底となったのが、非常に特徴的であるわけです。その急速な発展プロセスの果てに生まれた状況にも、当初は国際政治的な興味を抱いていた私が、やがて経済学・経営学的な関心を抱くようになった一因があるようにも思います。
湾岸産油国は、そうした収入の一部を国外に投資して利益をあげるなど、ある意味で建設的な国家運営を行ってきました。しかし、欧米諸国を中心に“脱炭素”へと舵を切るようになった昨今、脱石油化する世界のなかで、たとえばサウジアラビアに象徴されるようなレンティア国家は、新たな道を模索してもいます。
そうしたとき、ひとつの道を示しているようにも見えるのが、石油産出量が少ない国・地域です。少ないといってもあくまでも相対的なもので、ある程度の石油収入を見込めるわけですが、そのうえで石油に依存しない道を築いてきたところもあるのです。
たとえばUAEのドバイは、20世紀初頭から商都として栄えてきた地域です。1969年から石油の輸出は開始されるのですが、それでも交易や物流の拠点としての発展を手放さず、石油以外の産業の積極的な育成を図ってきました。1980年代から、フリーゾーン(自由貿易地域)をいくつも指定していき、外国企業の誘致を本格的におこなってきたのです。実際に多くの日本企業も進出していきましたし、こうしたドバイの姿勢は、湾岸産油国の今後を占ううえでも注視すべきものだと思います。
一方で、たとえばサウジアラビアのような従来型のレンティア国家が手をこまねいているわけではありません。平成28年には、石油依存型の経済からの脱却を目指す「サウジ・ビジョン2030」が発表され、さまざまな施策が進められていることは、メディアの報道などで皆さんもご存じだと思います。アニメやゲーム、eスポーツなどのコンテンツがお好きな方でしたら、そうした分野でサウジアラビアが積極的な動きを見せ、ときに日本で開催されるイベントでも話題を呼んでいることをご存じかもしれません。令和5年には、世界初のドラゴンボールのテーマパークを含むゲームやeスポーツに特化した都市計画である、「キディヤ・シティ」というプロジェクトも発表されました。
ただ、こうした新規の国家開発計画に対する湾岸産油国の意気込みは常に一定ではないということなのです。それこそかつてのオイルショックも含めて、石油価格というものはアップダウンを繰り返してきており、そうした波のなかで何度も変革のための開発計画を打ち出してきました。そして、その実現具合が後年にきちんと検証されてきたのかどうかについては、正直に申し上げて疑問符がつくのです。石油価格が低い局面で改革の必要性が叫ばれて開発計画が打ち出され、やがて石油価格が高くなるとその状況に安住してしまい開発計画が必要がなくなり、熱意が冷めていきいつのまにかフェードアウトしていく。湾岸産油国の国家開発計画はこの繰り返しと言えます。
たとえば平成20年のリーマン・ショックを受け、翌年には政府系持ち株会社の債務不履行によって金融不安が広がった「ドバイ・ショック」が起こりました。実は、ドバイが令和2年に万博を開催することが決定したのは平成25年のことで(コロナ禍により実際に開催されたのは令和3年になりましたが)、これは「ドバイ・ショック」からの復活をアピールしたいとの意向がうかがえました。
しかし、そうした流れのなかでドバイ万博の効果、とりわけ経済面での効果が真剣に検討されていたのかどうかは、コロナ禍を間に挟んだとはいえ微妙なところですし、中東地域においてはこうした数々の新規のビジョンの“その後”がフェードアウト状態になってしまいがち、という側面はあるのです。実際に「サウジ・ビジョン2030」にしても平成27年に石油価格は急落していた時期にだからこそ打ち出されたところがあり、その後、ウクライナ紛争等において再び価格が高騰するなか、本当に必死にそのビジョンを実現しようとしているかどうかは、風呂敷を広げすぎという状況も含めて、冷静に見る必要があると感じています。長年、湾岸産油国は「石油に依存しない国造り」を志向してきましたが、現実として、完全な脱石油は達成できておらず、好む好まざるにかかわらず、石油に依存する状況は当面、変わらないでしょう。
私が中東経済について研究し、発信を続けている理由のひとつは、こうした流れを継続的に追い、検証するなかで見えるものがあるからです。日本における湾岸産油国にかんする報道やSNSでの情報発信は、どうしても派手に目立つトピックだけを取り上げることになりがちです。その背後にあるものを、これからも考え続けたいと思っています。
細井 長
研究分野
国際経済学、中東地域経済
論文
カタール危機の経済的影響-貿易面から見た経済制裁の成否-(2023/09/30)
湾岸諸国における産業政策としての政府系企業育成(2020/03/25)