石油を通じて、日本社会が密接な関係を結んでいる地域、中東。しかしその経済について、私たちはどれほど正確に理解しているだろうか。『中東の経済学』(カンゼン、2024年)といった著作などを通じて、意外と知られていない中東の経済的なバックグラウンドを積極的に紹介しているのが、細井長・経済学部教授だ。
前後編にわたるインタビューを通じて、中東経済の一端を掴んでいく細井教授の歩みは実は参考になるところが大きいかもしれない。政治情勢に興味のあった若かりし頃の細井青年の目が転じていく過程から、徐々に話を聞いていきたい。(このインタビューは令和6年10月に実施しました)
中東を中心にした国際経済、エネルギー経済を専門としています。日本にとって中東という地域は、石油を通じて重要な場所であり続けてきました。しかし政治や文化といった観点から論じられることこそ多いものの、意外なまでに、経済という観点から論じる向きはさほどありません。そうした語られざる中東経済について、論文から一般書までを含めて、議論を進め、その詳細を紹介してきています。
とはいえ実は私自身、かつては経済志望ではなく、国際政治を学びたいと思っていました。高校生の頃、パレスチナ問題なども含めた中東情勢に興味を抱き、大学では国際関係を学べるところに入学したんです。転機のひとつは、大学1年生から2年生にかけての春休みでした。シリアやヨルダンを、個人で旅をしたんです。1990年代後半、ちょうど猿岩石というお笑いコンビが世界中をヒッチハイクするというテレビの企画が大ヒットしていた頃。私も若者のひとりとして、シリアやヨルダンの街並みを歩きました。
ところが……人々は親切でしたし、いい思い出もたくさんあるのですが、現地の空気が“しっくり”こなかったんです。この感覚はいまだにきちんと言葉にできないのですが、とにかくピンとこなかった。ただ翌年の、2年生から3年生にかけての春休みで、UAEとバーレーンにいったんです。これがまあ、とにかく楽しかった(笑)。2000年代以降は、日本人がUAEにいくことが簡単になりましたが、当時は日本人が観光で入国するなんてほとんど想定されていない時期でさえありました。にもかかわらず、空気が自分にマッチして、とても居心地がよかったんです。
加えて思い返してみれば、その旅程において、UAE経済のダイナミズムのようなものに触れたということが大きかったように思います。
UAEは7つの首長国から成る連邦国家ですが、そのうちのひとつであるドバイまでの日本からの直行便が、当時はありませんでした。シンガポールからスリランカのコロンボを経由してドバイに入り、帰りはドバイから直接シンガポールへ、というルートをとりまして、ドバイを拠点とするエミレーツ航空も使用しました。いまのように世界的な大企業となる前のエミレーツ航空です。その帰路、ドバイの空港で見た光景に、衝撃を覚えたのです。
前もってその知識は得ていたのですが、湾岸産油国は外国人労働力に依存しているという特徴をもっています。特にUAEでは、人口における外国人比率が9割に達しています。通常、途上国では経済発展に伴い農村部から都市部への人口流入が起こりますが、湾岸産油国には農村が存在せず、必然的に外国人労働力に頼らざるをえなかった、という歴史的な背景があります。
そうしたUAEの、ドバイ国際空港での出来事です。ソニーのラジカセを大切そうに脇に抱えコロンボへ帰ると思しきスリランカの労働者が搭乗券を見せながら、「自分は何番ゲートへ向かえばいいのか」と英語で訊ねられたんです。数字も含めて、文字が読めない方だったんですね。スリランカは多くの出稼ぎ労働者を輩出している国ですが、そうした場所から国境を超えて、文字をまともに読めない労働者がUAEへと出稼ぎにきている──。知識としてこそ頭のなかにはあったわけですが、実際に目の当たりにしたその光景に、圧倒された。ドバイの街中でも、接する人、接する人が、とにかく外国人だらけでした。
大学1年生のとき、教養科目として経営学入門のような授業をとって面白く感じていたこともあり、この時期から徐々に経済学・経営学のほうへと関心が移っていきました。そのとき、未開拓の分野として専門としていったのが中東経済でした。大学で経営学の博士号をとりながら、日本で紹介が進んでいない中東経済について研究していく日々へと、やがて入っていくことになりました。
ちなみに、中東経済について学んでいく途中においても、こうした外国人労働者が多いという現地の環境から、ある種の恩恵を受けていた、といえるかもしれません。中東についての情報を得るにはアラビア語が必須で、もちろん私もできる限り学んだのですが、実は当時から、経済分野については英語で報告書や統計が出されていました。
どういうことか。実は「外国人労働者」として働いているインド人等が統計を作成しているので、英語で書かれてあるんですね。もちろん中東の経済統計の信頼性についてはかなり留保が必要で、たとえば石油の埋蔵量については各国がその詳細なデータを公表していないということがあり、仮に公表されているものについても簡単に信頼することはできません。
そもそも、経済学では統計データをもとにして計量的な分析を行うことが主流となっています。しかし、中東経済に関しては、その統計データが不完全かつ、信頼性に欠けるため、計量的な手法をとらないことが多く、伝統的にインタビューなど質的調査に依拠する方法が多くなっています。近年は変化しつつありますが、とくに湾岸諸国経済ではこの傾向が顕著です。
とはいえ、かろうじての手がかりとなる、表に出されている統計については、アラビア語のみならず英語でも表記されていることが多い。これは日本も含めて、中東の“外”から研究する立場にいる人にとって、ありがたい事なのではないかと感じます。
こうした経緯を通じて研究してきた中東経済について、近年の動きも踏まえながら、インタビュー後編ではより具体的なところをお伝えしていければと思います。
細井 長
研究分野
国際経済学、中東地域経済
論文
カタール危機の経済的影響-貿易面から見た経済制裁の成否-(2023/09/30)
湾岸諸国における産業政策としての政府系企業育成(2020/03/25)