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国学は人文知ではなく、総合知である

国学は“終わった”学問ではない  −後編−

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神道文化学部 教授 松本 久史

2024年9月17日更新

 

 人は迷ううちに、世界の豊饒さに気づくことがある。松本久史・神道文化学部教授の歩み、そして国学・神道史の内に秘められた多様な可能性へと目を開かれていく道筋を振り返ると、ふとそんな感慨を抱く。

 凝り固まった国学像をときほぐし、その面白さを掘り起こしていったインタビュー前編から、自身の人生を辿る後編へ。その語りはやがて、星が公転するように、アップデートされゆく国学の姿へと、再び回帰するだろう。

 

 いまでこそ国学と神道史を専門としていますが、はじめから定まっていたわけではありません。そもそもかつて、本学に学部生として入学したのは、文学部の史学科でした。それも歴史が好き、というぐらいのもの。何かを極めようとしていたわけではありません。大学1年のとき、国学の始祖とされる荷田春満が祀られている東丸神社に参拝したときも特に深い知識はもちあわせておらず、まさか後に研究することになるとは思いもよらなかったということは、以前もしたためたことがあります。

 振り返ってみればひとつの大きな出会いだったのが、当時全学共通で必修の教養科目であった、上田賢治先生の「神道概説」という授業でした。いまでは「神道と文化」へと名前を変え、私も講義を担当したこともありますが、とにかく当時の上田先生のお話が大変面白かったんですね。

 神道の授業ではあったのですが、上田先生のお話の中心は国学でした。しかも、賀茂真淵や本居宣長といった、よく言及される学者に注力されるのではなかった。上田先生のご著作『国学の研究 草創期の人と業績』(アーツ アンド クラフツ、2005年)、その副題が象徴的ではありますが、国学の草創期のお話を、丁寧に語っていらしたのです。

 私が大学卒業後、一般企業に3年ほど勤めるなかで、やはり学問の道に進みたいと考えたときに思い出したのが、その上田先生の授業でした。一念発起して当時の本学の、文学部神道学科第二部、いわゆる夜間部に学士入学。やがて修士論文を執筆するに至るまで、上田先生にご指導いただきました。インタビューの前編でお話ししたような、国学と神道史という視座において、国学草創期の荷田春満を研究するようになるというのは、上田先生あってのことでした。

 その後、博士課程後期以降は阪本是丸先生にお世話になりました。とはいえ、まだ私自身もフラフラとしていて、道が定まってもいませんでした。そんな折、2002年に創立120周年を迎えることを見据えての本学の記念事業として、『新編 荷田春満全集』の編纂・刊行のプロジェクトが立ち上げられ、偶然にも荷田春満について多少なりとも知見をもちあわせていた私に参加のお声がけをいただけたことは、僥倖そのものでした。

 荷田春満は、国学四大人のひとりとされながらも研究が進んでこなかったということは、このインタビューでも触れてきましたが、実はその理由に、残され、また研究のために整備されているテクストがあまりに少ない、ということがありました。古い全集はあったのですが、ほぼそれのみ、という状況。インタビュー前編で述べた通り、私はテクストのみならず、社会的・歴史的なコンテクストをあわせて考える立場の人間ではありますが、それにしても手がかりが少なすぎた。そんな折、新たに全集を編むプロセスをお手伝いする機会をいただけた、というわけなのです。

 ここまでのエピソードに象徴的なように、私は決して主体的に生きてきた人間ではないのですが、おかげさまで現在まで研究を続けることができています。近年特に関心を抱いているのが、「神道の復古」というテーマです。

 通説として、近代以降の神道史研究が回顧的に歴史を捉え返していくなかで、近代に連なる神道のありようとして、江戸中期以降の国学者たちが形成した「復古神道」が発見されていきました。

 しかし、そんな単線的な歴史ではないのではないか、と私は見ています。やがて「復古神道」として収斂されていく前の段階では、ほとんど無名の国学者たちをはじめとして、古代の神道のとらえ直しの仕方において、非常に多くの考え方がせめぎ合っていたと思われるのです。「復古神道」という概念・史観のみでは捨象されてしまうような、そうした多様なありようを、私は「神道の復古」という言葉と共に、再構成し、考えていこうとしているところです。

 荷田春満を起点に国学と神道史を考えていくとなると、むしろこのインタビューで批判的に言及してきたような、主要な国学者を中心にした視座を強化するように見えるかもしれません。しかし、私が目指すのはむしろ、これまで言及されてこなかったような広い裾野を含めての「神道の復古」の実像解明なのです。

 国学が含む多様な要素という話は、インタビューの前編でお伝えした、絶えず流動し、更新されていく国学というテーマへも通じています。

 私は、国学は人文知ではなく、総合知だととらえています。たとえば平田篤胤には、医学や天文学といった洋学を広く受容していった自然科学者としての顔があり、また門人たちが手がける農書にも携わっていったという点で、農学の人としての顔もある。本居宣長にも『真暦考』という著作がありますが、天体観測に基づく知識抜きに暦を考えることはできません。

 このように、現在では学際的ともいわれるような学問のありようは、国学の伝統のなかに見出だすことができる。2020年に本学の日本文化研究所「神道・国学研究部門」が開催した国際研究フォーラム「21世紀における国学研究の新展開 国際的・学際的な研究発信の可能性を探る」をはじめとして、これから新たな国学のさらなる展開、その前途が開かれていると、私は確信しているのです。

 

松本 久史

研究分野

近世・近代の神道史・国学研究

論文

荷田春満の『古事記』解釈と「神祇道徳説」(2020/03/10)

昭和戦中期の国学研究−藤田徳太郎を例に–(2020/02/15)

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