聴覚障がい者のためのオリンピックであるデフリンピックが、2025年に東京で開催される。國學院大學卓球部の牧野陽菜さん(中文2)は、この大会に日本代表として出場を目指す。日々、練習に打ち込む彼女に、卓球との出会いから今日までの歩み、喜びや苦しみ、未来にかける思いを伺った。
逆境をはねのけ世界大会銀メダル
小学校時代はテニスとサッカーのスクールに通い、デフリンピックを目指していた牧野さん。進学した中学校に、それらの部活がなかったことで卓球と出会った。卓球部は中高合同で活動していて、ろう学校の大会では最高峰の全国聾学校卓球大会で優勝の実績を持つほどの強豪校だったが、中2ですでに部内では敵なしになってしまったというから驚きだ。日本ろうあ者卓球協会ユースの部の強化指定選手に選ばれ、その合宿でデフリンピック4冠獲得の監督と出会ったことが道を決めた。『目指せば、デフリンピックに行ける』と言われ、卓球一本に絞って本気で目指すことを決意。それまで続けていたテニスのスクールを辞めて卓球のスクールに入り、厳しい練習を自らに課す。高校は悩みに悩んだ末、より強くなるために一般の高校の強豪校に進学した。
「ろう学校には1歳の頃から通っていたので、幼馴染たちと別れるのは本当に辛かったですね。でも、デフリンピックを目指して頑張れと送り出してもらい、その目標のためにやれることはやるという覚悟でした」
しかし、高校へ入学した2020年はコロナ禍で通学できず、インターハイも中止に。生活面でもマスク着用を含め慣れない環境の中で苦戦。卓球だけに力を入れる余裕がなく、結果が出ない日々だったという。それでもひたむきに努力を続け、高3の2月に世界ろう者ユース卓球選手権大会の最終選考会で優勝し、出場権を獲得。大学入学後に日本代表として参加した本大会で、見事銀メダルに輝いた。
自分を信じることから生まれる強さ
実は最終選考会の1ヶ月前に行われた1次選考会は決勝で敗れ、メンタル的にも大きく落ち込んだという。どうやってそこから立ち上がったのだろうか。
「とにかく自分を変えるためにできることは何かと考え、まず‘人を頼る’ことと‘コンディショニングの見直し’をしました。特に人に頼ることに関しては、これまで卓球に関する悩みを一人で抱え込んでしまい、解決できずに成績が伸び悩んでいたと気づいたんです。この敗戦を機に、周りの人を頼り、アドバイスをもらって実践するという‘自ら積極的に動く’ことを覚えました」
それによりメンタルを立て直し、望む結果を手にした経験は大きな自信になった。
「高校時代は、試合中に新しいことに挑戦しようとしたり、結果を気にしていました。けれども、大学に入ってからは、試合につながる練習を積み重ね、本番ではその時点でできることをやり切ることに集中するようになりました。ここまで頑張ったんだから負けても仕方がない、と思えるまで練習する。そんな自分を信じて戦えるようになったんです」
卓球は球が風を切る音や台に弾む音からも判断してプレイするが、デフの大会では補聴器の使用が禁じられており、すべて目で見て判断する。スタイルもリズムもまったく異なるため、常に補聴器なしの状態で練習するのが理想だ。そのためには、コミュニケーションや指示など部員の理解と協力が必要になる。そこで、それまで周りに言えなかった聴覚の状況や会話についてのお願いなどを伝えられるようになると、部員からの応援やサポートも感じ取れるようになった。自分が変われば周りも変わることを実感したという。さらに、大学では先輩やコーチをはじめ知り合いが増え、一人で試行錯誤するのではなく、いろいろな人に質問ができるようになったことも大きい。
「卓球には正解がないので、さまざまな意見を聞いて、自分に合っていると判断すれば取り入れ、自分の中で正解をつくっていくという感じです。私の人生として卓球があるので、自分がまず納得して、結果にも責任を持ちたいんです」
金メダル、そして未来へ
2025年デフリンピックは東京開催のため、家族や幼馴染などこれまで支えてくれた人たちが観戦しやすい。みんなの前で金メダルをとることが、目下の目標だ。かつてフェンシングでオリンピックの代表選手を目指していた母親が、食事面をはじめ陰に日向にサポートしてくれている。
「祖母には『陽菜の頑張りが生きがい』と言われていて、世界大会の後にはろう学校の仲間に『自慢の幼馴染だよ』と喜んでもらえた。みんなの思いが力になっているんです。だから金メダルで恩返ししたい。それは日本の卓球への恩返しにもなりますし」
女子選手は4人出場できるが、2024年2月時点のランキングは6位。年内の選考会で、あと2つ上げなくてはならない。
「2月の大会でも、私としてはとても良かったんです。優勝した選手とも接戦でしたし…あと一歩のところに来ています。課題を練習でクリアし、やれることを全力でやりつくします。やりつくしたことを信じられるかの気持ちの強さで本番が変わってくるから」
國學院大學卓球部のスローガンは‘今、一歩前へ’。牧野さんは強豪ぞろいのチームの中でもまれ、日々、収穫が得られているという。
「収穫は求める気持ちがないと得られないもの。学ぶ姿勢がないと収穫に気付けない。収穫を感じられるのは喜びですし、小さな収穫の積み重ねが結果につながると信じています。まさに‘今、一歩前へ’の毎日です」
牧野さんが國學院大學を志望したのは、卓球の練習環境面のほかに、国語の教師になりたいという子供の頃からの夢に近づける場所でもあったからだ。中国文学科では、中国思想とスポーツを結びつけて学んでいるという。特別支援学校の教員免許もとり、未来の子供たちがデフリンピックに挑戦する後押しをしたいとも考えている。しかし、当面は、卓球に集中だ。卒業後は実業団かプロで競技を続ける。スポーツの楽しさや厳しさ、社会の厳しさ、その両方を知った上で教師になる意義も自覚している。通学に2時間、週6日の部活、そして勉強も手を抜かない。1日1日を大切に頑張ることが、のちの勝敗を決めると、自らに言い聞かせるように頷く。その胸には日の丸がある。